苦い嘘・甘い真実

さて、W杯の日本代表。今回でこの集団の総括?の独断的解釈になるのでしょうか。これまで通り、今回もサッカーというより集団の話です。


まずは、ベルギー戦。本当にいい試合でしたね。稀にみる好試合。2点目を決めた時には、本当に勝てるのかもと思わされました。それと、このブログでは一貫して本田選手の能力に懐疑的ですが、彼の「言葉」が良い方向に集団の一部に影響した部分もあるのかもしれないなとも思いましたし、最後の10分、試合を見ている時は、もしかして本当にゴールを決めるのかもしれないとも思わされました。


負けた直後の感情や表情からは、選手たちは本当にまだまだこのチームで試合をしたかったのだろうな、集団がいい雰囲気だったというものは嘘ではないのだろうな、とも感じましたし、いろいろ内包しつつも、不思議にまとまった良い集団だったのだろうなとも実感。個人的には、昌子選手の悔しがり方には心が動かされました。それと、香川選手の何とも言えない笑みにも。二人とも、また戻ってきて欲しい選手です。他の選手たちもそれぞれに見事でした。やはり国を背負って何かをする人々は違うな、と。



その上で、です。
この試合だけを見ても、やはり「ただ感動をありがとう」にならない要素が数多くあり、やはり敗因は監督の能力の限界?質の不適格さ?だったとも感じましたので、その感動に水をさすような解釈をしようと思います。そもそも個人的独断的ブログですから許されるという前提のもと、ロシアの諺に「甘い嘘より苦い真実のほうが良い」というものがあるそうですが、それに則って、この目には「苦い真実」と見えることを最後に(たぶん)書いてみようかと思います。



確か昌子選手のコメントに、最後ミスから決勝点を奪われるまでの速攻の時、ベルギーチーム全員が同じことを考えていたと思った、というようなものがありましたが、疲れ果て極限の状態になった時に全員が一瞬で同じことを考えることができる、というのが「真の意味での結束」ができているかいないかなのですよね。やはり、日本代表の集団には一体感はあったものの、残念ながら核となる「真の意味での結束」が、最後まで作れなかったのだと思いますし、そこの責任は少なからず、監督とサッカー協会にあると思っています。監督は監督なりに一生懸命やった結果で、監督をかばいたい選手たちも多いと推測しますが、それはそれ、結果は結果です。素直に感動するということとは別の次元で、日本という国は、全てを感情と好悪を基準に見るのではなく、もう少し事実を客観的に見るようにならないといけないのではないかな、と思いますので……。



さて、まずはこの集団が最終的にたどり着いたチームとしての形とその戦い方を、これまでに使ってきた言葉で表現しますと、「新集団が旧集団を取り込んで結束し、ピッチ上で可能なかぎり自分たちの戦いをしたが、監督が大枠では『戦術本田』を貫いてしまった」です。


新集団が新集団らしく一試合を通してずっと戦えたのは結局「パラグアイ戦」のみで、少なくとも「コロンビア戦で失点をして」以降は、大枠「戦術本田」の中で、新集団が全力を尽くしてきた、という感じでしょうか。監督は試合の中で香川選手と本田選手を併用するということこそ、最後の最後までしなかったものの、結局はこの二人の選手をなんとかして同列で「併用」することに固執してしまったように見えています。で、合宿、本番を通してそういう準備しかしてこなかったことが、最終的には、ベルギー戦でベンチワークに手詰まり感をもたらし、自らの首を絞めることとなったと解釈しています。


結果論として振り返ってのみ言っているのではなく、少なくともパラグアイ戦からこの大会を通じてずっと、8強(もしかしたらもう少し上)にまでいける可能性のある構成員が、目の前で自分たちができることを見せてくれており、しかも選手たちの信頼という大きな後ろ盾をもらっていたのですから、本当に「集団」のあり方を見極めることができる監督であるならば、もっとずっと良い結果をもたらすことが可能だったはずです。が、彼はそこを見極めることができなかった、「戦術本田」に頼らざるを得なかった、と。そこに現監督の監督としての限界を、個人的には感じます。かつ、これは経験でどうにかなるものではなく、準備期間云々が関係するようなことでもないように思います。


故に、全体の結果として、本田選手が「活躍」し名誉回復したイメージはあるものの、あれほどまでにハードワークを重ねた「チーム」が得たものは(「感動をありがとう」以外は)無いに等しく、結局は、集団として成し遂げたかったことを成し遂げることもなく、1勝2敗1分となりました。個人的には、一番そうなって欲しくなかった形だったのですが……。仕方がありません。そもそも、そういう意図の元に作られた集団だったと思いますので。このブログでは何度も書いているのですが、本田選手をどんな形であれ集団の中心に据えてしまっては、結局望めるものは「本田選手の活躍」だけであり、チームとして恩恵を受けることは無いのだと思います。単純に、彼は奇妙に影響力があり、かつ実際には自分の欲のみを純粋に追い求め「そういうふうに」動く選手だから、だと考えています。



ただし、やはりサッカーの神様はいるのか、それとも現実が単純に現実を浮き彫りにしただけなのか、今回の集団の「実態」が明確になったベルギー戦の内容と結果だったと思っていますので、是非とも「感動をありがとう」にせずに、少しでも、苦い真実を直視する方向に世が向かうといいなという願いを込めて、さらに解釈を進めます。



まずは、現監督の「功罪」について。
個人的に、この監督への評価は、今回の集団の構成員と前監督への期待値が低かったか高かったかによって真逆になると思います。前監督下でボロボロだったチームをよくぞここまで立て直した、と見るか、そもそもそのまま行けば8強までいける能力のある選手たちを使って、まあよくここまでしかいけなかった、と見るかですね。このブログでは、選手の能力という観点からは一貫して後者の視点です。理由は、結局新集団の選手たちが活躍できているから、です。集団における不満分子の対処という面ではまた少し異なるのですが。


で、現監督の功績は、もうこれは間違いなく、旧集団と新集団のバランスをとって、うまく(実は真の意味では分裂しているものの)一つの枠の中に収めたということだと思います。それと、多くの選手のコメントにあるように、選手の話を聞き自主性を重んじつつチームをまとめたところ。そして、良くも悪くも(博打的に)選手たちを信頼したところだと思います。これにより、選手たちのポテンシャルが最大限に引き出されたことは間違いないと思っています。


が、その引き出されたポテンシャルの活用という面においては一切功績となるような仕事はしておらず、どころか選手の足を引っ張る采配に終始していたと感じます。理由は、単純に、選手の才能の質と集団のバランスを見極める能力が十分ではなかったから、と解釈。ですが、監督という業務に必要なのは主にその能力と思います。なので、これは結果論ではあるものの、本来、この人物のいるべき場所は「監督」と「選手」の架け橋というポジションであり、やはり、今回の大会に限って言えば、自分が監督に就任して以降やってきたことを、前監督下で全力で行うべきだったのだと思いますし、それによってかなり良い結果が得られたのではなかったかと思います。とはいえ、結局、彼は今大会の間も選手間の人間関係という意味では、おそらくは主将任せで「事なかれ」主義を貫いたようにも見えますので、それができたとも思えないのですが……。理想としては、ということですね。



で、以下がそのまずかった「選手のポテンシャルの活用」についての解釈です。
まず、この集団の先発メンバーの基本形や戦い方が確立されたのは、パラグアイ戦の布陣・戦術だったことは、誰が見ても明らかだったと思いますし、以降、善戦した試合の基盤はそのようになっていました。そこで選手たちがやりたい戦術を明確に形にするのを引っ張ったのが、香川・岡崎両選手だったと思います。ですので、監督の仕事のうち、「戦術を考える」部分の大半は、実は選手たちがやってくれた、と。問題は、選手たちが示してくれたその布陣・戦い方を、手持ちの駒(選手たち)をどう使って、どう機能させていったか、という部分。これが「監督」のもう一つの重要な仕事のはずですから。


先発は、岡崎・乾・武藤、香川・柴崎・山口、酒井豪徳・昌子・植田・遠藤、東口 各選手というメンバーでした。で、後半になって、キーパーが中村選手に、遠藤選手が酒井宏樹選手に代わり、その他の入れ替えは省きますが、結果4得点を決めて逆転勝ちでしたよね。このメンバーで、最終的にレギュラー固定したのは、乾・香川・柴崎・昌子・酒井宏樹選手ですが、この試合では、酒井高徳選手・山口選手・中村選手も、万全ではなかったものの決して悪い出来ではなかったと記憶しています。で、個人的には、コロンビア戦も、この8選手を先発起用したほうが良かったと思っているのですね。そこに、岡崎選手に代わり大迫選手、武藤選手に代わり原口選手、植田選手に代わり吉田選手をいれ、スターティングメンバーを固定するのが、良かったのではないか、と。



もちろん、初戦がどう転ぶかなどわからなかったわけですから、長谷部・長友・川島3選手の経験値(といっても、少なくとも山口選手は前回大会を経験しているのですけれど)に頼ることを決断したのも理解できます。ですが、セネガル戦までこのベテラン選手で行ったとして、ポーランド戦は、上記3選手を酒井豪徳・山口・中村選手に入れ替え、もしくは結局あれだけの大博打にでるのだったら、それにプラスして吉田選手に代わり植田選手の4人の変更で試してみるべきだったと思っています。うまくいかなかった場合に、すぐに「安心できる」布陣に戻すことができますし、何より、一度、親善試合とはいえ実践で試してうまくいっている布陣ですので大博打ではありません。が、おそらく同じ形であっても、集団としての戦い方はかなり異なったでしょうから試す価値はあり、かつ、ベテランを含む集団よりも、ポジティブに機能する可能性の方が高かったと個人的には思っています。


理由は、コロンビア戦は1失点で抑え勝ったものの、結局10人相手に攻めあぐねており、かつその理由を、多くの選手が「失点の後、後ろに重心がいってしまって、バランスが崩れた」と言っていたからです。一方、昌子選手が、パラグアイ戦では、諸先輩たちのベンチからのアドバイスと、自分たちのピッチ上の感覚が異なったが自分たちの肌感覚を信じたと言っていて、かつ結果、パラグアイ戦では4得点(オウンゴールも含まれますが)しているから。かつセネガル戦もコロンビア戦と同じ布陣で行って、2失点した上で得点がなかなか取れていなかったから、です。で、結局最後のベルギー戦まで「2得点の後、後ろに重心がいってしまって、バランスが崩れた」と言うのを耳にしましたから、結局監督が、最初にパラグアイ戦で、比較的手に入りそうな答えが出ていたにもかかわらず、この部分のずれを最後まで解消する術をもたなかったことが敗因となった、という解釈です。



パラグアイ戦における、酒井豪徳選手・山口選手・中村選手の出来から考えて、この3選手をコロンビア戦先発に持ってきて大化けしていた可能性は低くないと、個人的には考えています。主要メンバーとなった柴崎選手のその後の急成長ぶり・乾選手の活躍ぶり、3選手の年齢から考えても、そう思います。……でも、結局、実際に使われた選手は、ポーランド戦でもベルギー戦でも使えなかったじゃん、という声が聞こえてきそうですが、使われた両選手の特徴から考えると、あのような起用のされ方をして試合に入っていき、活躍できると考える方が、監督判断としては現実離れしていて奇妙に思えてしまいます。


むしろ、ポーランド戦でこの3選手が機能するかしないかを「適切な位置・起用法で」確認し、もし使えたとすれば、試合に勝って首位通過できた上で、次戦(イングランドだったかもしれませんしベルギーだったかもしれませんが)は、その先発で挑むことができたはずです。


かつ、確かに主要メンバーに十分な休息は与えられなかったかもしれませんが(と言っても、大博打の現実でも実質は香川選手・原口選手を休ませただけです)、チームの勢いは増し、さらに長友、長谷部、川島、岡崎各選手(場合によっては植田選手も)という、現集団においては、これ以上ないほどの強力な「控え」を確保できたことになります。これらのベテラン選手は、途中から試合に入っても確実に計算できる経験ある選手たちですし、先発が疲れてきたところで岡崎選手、もしくはリードして試合を落ち着かせたいところで長谷部選手、活性化させたいところで長友選手という「確実に使える」持ち駒を監督は持っていたことになります。


さらに、その後の試合を考えた時も、同じ布陣での先発のオプションが増えていたわけです。プラスして、次代につなぐ意味で、中村選手・ことによっては植田選手にも、大舞台を経験させることができたはずです。


もちろん、単純に集団のあり方から考えているだけですので、実際にはそううまくはいかないのだと思いますが、それでも現実的で効果的なオプションが、大博打の他にもおそらく多々あった、ということは言えるのではないでしょうか。



ですから、そもそもの選手選考で控えの質が云々というのを見かけますが、手持ちの駒の使いようで、十分に8強までたどり着ける戦力はあったと、個人的には思っています。実際に活躍している選手たちが、このメンバーならもっと先にいける可能性があったと言っているということは、選手の実感としてそれがあったということで、その可能性を、監督采配でみすみす無駄にしてしまった、というのが、この集団の戦いぶりをみての解釈です。先発組と控え組の実力差がありすぎた、ではなく、監督の采配が、ベンチとピッチの実力差を必要以上に広げてしまった、が正しいと思っています。これは結果論のようですが、それだけでは無い真実も少なからず含まれるように思うのです。



では、なぜそうなったのか、というところですが、一概には言えないものの、大きな要因は二つあると考えています。


一つは、上記に書いたように、この監督の能力の質が、選手や集団を的確に見極め起用するという類のものではなかったこと。故に、パラグアイ戦の監督の意図は、ポーランド戦と同様の単なる大博打で、ラッキーボーイを見つけたいというだけだったのだと思います。で、そういう意図の元に彼が見つけたラッキーボーイが、乾選手であり柴崎選手だった、と。


そもそも、監督に必要な視点は集団の全体像を俯瞰していなければ持てないもので、選手と同目線で個々の話を聞き入れ、間近で選手と接してしまっては見えにくいものだと思いますから、彼の監督としてのアプローチそのものが、中々こういう短期決戦で成果を生み出しにくい質のものだった、と。



もう一つの大きな要素が、「本田選手」の扱い方にあったと思っています。かつ、今大会あれだけ調子がよかった香川選手(円熟の極みと呼ばれている記事なども見ましたが)が、大会期間を通して、監督下で過小評価され続けたのも、おそらく本田選手との兼ね合いで、かつ先発起用され続けたのは周囲の選手たちの要望との兼ね合いだったと、個人的には理解しています。


上記のように、能力と質で現集団の構成員を見れば、トップ下は香川選手以外の選択肢はなかったように思います。本田選手を起用できるポジションがあったとするとFWで、本来ならばW杯を通して原口選手、もしくは大迫選手の控えが妥当だったと思いますし、実際、最終的には、ベルギー戦でそのように起用されています。ということは、おそらくはあの時点では延長戦も視野にいれていただろう監督自身も、本田選手をトップ下で起用することの限界を知っていたことになるのではないでしょうか。おそらく、それを理解していないのは、本田選手本人だけなのかもしれません。


そもそも、彼がW杯で結果を出しているのはFWとしてですし(ブラジル大会では得点こそ決めていますが、チームは勝っていません)、本人が得点を決めることだけを目指す発言をしています。「結果の出し方」には疑問が残るものの、確かに彼が、こと自分が活躍できそうな場面では、得点を取ってくれそうな空気は持っていますし、実際に結果を残しています。かつ、この集団においてトップ下として機能したとは言い難いことも事実と思います。ならば、なぜ時間限定で得点を取るための「FW」の選手を「トップ下」起用することに固執し続けたのでしょうか。


これまでも書いているのですが、意識的にか無意識にかはわからないものの、監督が先発から「ベテラン勢」を外せなかったのは、トップ下での香川選手と本田選手の併用を、このチームの戦い方の基盤としたからだと思っています。それが、本田選手を信頼していたからなのか、そういうふうに使わなければならない、と思わされていたのかはわかりませんけれども。



で、本田選手です。同選手は、結局、集団の成功を犠牲にして、最低限自分の望んでいたものを勝ち取ったと思っています。


が、おそらく、本人は間違ったことは何一つしたとは思っていないと思いますし、周囲の選手たちも、同選手を嫌っているとかそういうことはないのだろうと想像します。何と言いますか、彼は自分のしていることを、自分が見たいようにしか見ることができず、故に全く悪気がないのだと思うのですね。そういう人物を目の前にして、苦手ならいざ知らず嫌うというのは、なかなかできないことですから。


が、やはり個人的には、こういう、現実をきちんと判断することができず、強い思い込みとエゴを、選手としてだけでなく人として持っている人が、権力を持つことはとても危険と思っていますので、「感動やっぱり△」の風潮に水を差すように事実確認。


「W杯に愛された男」「大舞台に強い」「結果を出す」「日本代表のレジェンド」という、彼が望んでいたものを、選手としては最小の努力で全て手に入れた本田選手ですが、彼の今回の日本代表という集団での働きを客観的に列挙してみます。


監督交代から始まり、混乱の中にあった代表、というのがまずは前提。
で、彼がピッチ上で主導した前親善試合(ガーナ戦・スイス戦)では、チームを機能させることができず連敗、選手内から戦術・本田選手の働きへの疑問の声が上がったことで、次戦パラグアイ戦では先発が入れ替わりました。このパラグアイ戦で、当時の控えメンバーが結束し、戦術の基盤を作り勝利。基本、代表はこの戦いを基盤としましたが、経緯から考えてもその後のインタビューから考えても、ここの一連の決断や戦術作りに本田選手は関わってはいなかったと考えるのが妥当と思います。本大会では、コロンビア戦・セネガル戦と、後半残り20分前後で出場し得点に絡んでいますが、この試合において、彼自身の力以上に周囲のそれまで・それ以降の頑張りがあったことを否定できる人は少ないはずです。ポーランド戦は出場なしで負け。ベルギー戦は残り9分で出場、チームの負けに直結する決定的なミスを犯しています。


以上が本田選手が今大会で出した「結果」です。で、以下、その目に見える「結果」の解釈です。


確かに、コロンビア・セネガル戦で決定的な仕事をしているように見えますが、これは、そもそも基本「本田選手トップ下起用」という縛りの中、他の選手にかかる負担は大きかった=メリットよりもデメリットが大きかった中での最善の結果と思います。もっと言いますと、「本田選手トップ下起用」というくくりに縛られていなければ、集団としてはもっと良い結果が望めたのではないかという可能性が高い中での、その可能性と引き換えに得た結果です。


かつ、ベルギー戦では数分の出場の中、「感動」でごまかされてはいるものの、逆転負けに直結するミスを犯しているのですよね。山口・昌子・川島各選手の失策のように捉えられがちですが、これは「彼が得点できる理由」である「普通のサッカー選手なら考えないような自分勝手な思考回路で動いている」ことと、「日頃の地道な練習と実力の欠如」がもたらした失点と思います。彼のセネガル戦の同点弾が、監督の起用とともに称えられるなら、ベルギー戦の決勝点献上につながるミスもきちんと彼の責任として、監督の指示とともに追求されるべきです。


それから、個人的に彼の力は言葉の力と思っていますが、彼が雄弁になる時とそうでない時というものは非常に分かりやすいです。自分が活躍・結果を出している時には雄弁、そうではなく他が結果を出している時には言葉が少ない、です。メディアの前だけでなく、集団内での発言の仕方=影響力もそれに比例していると想定しますと、中々面白い解釈があります。それが、彼の雄弁さと試合結果の関係ですね。



 監督解任〜代表発表まで 雄弁=集団内での影響力 あり○
  ガーナ戦 負け✖️
 ガーナ戦〜スイス戦まで 雄弁=集団内での影響力 あり○
  スイス戦 負け✖️
 スイス戦〜パラグアイ戦まで 言葉少なめ=集団内での影響力 なし✖️
  パラグアイ戦 勝ち◯
 パラグアイ戦〜コロンビア戦まで 言葉ほぼ無し=集団無内での影響力 なし✖️
  コロンビア戦 勝ち◯
 コロンビア戦〜セネガル戦まで 言葉少なめ=集団内での影響力 なし✖️
  セネガル戦 引き分け△ 
 セネガル戦〜ポーランド戦まで 雄弁=集団内での影響力 あり○
  ポーランド戦 負け✖️
 ポーランド戦〜ベルギー戦まで 雄弁=集団内での影響力 あり○
  ベルギー戦 負け✖️



見事なくらい、同選手の雄弁さとチームとしての結果が真逆なのですよね。確か、ポーランド戦前くらいに、本田選手自身が、目に見える結果を出せば、俺の言うことを聞いてもらえる、というようなことを言っている記事を目にしましたので、あながち的外れの因果関係ではないかもしれません。


ですから、客観的に見れば、本田選手が活躍したというよりも、本田選手が活躍できるようにするために、他の選手たちが犠牲にされた一連の戦いであったように感じるのですね。故に、不完全燃焼のまま8強入りを逃した感が消えないのだと、個人的には考えています。


そういった目に見えにくいグレーな部分が見逃され、本田選手は結果を出した、これまでありがとう、では、今後のサッカー界にとっても、もちろん本田選手本人にとってもよくないことと思えてなりません。個人的には、同選手の野心と執念がどこかで解消されることがない限り、日本のサッカーは、常に今回の監督交代のような奇妙なことに振り回され続けてしまうのではないかと思っています。


代表は引退のような報道を見かけましたが、気になるのは、自分の意思を継ぐような選手を何人か見つけた、というコメントでしょうか。今度は「教え子」を通して「自分が」W杯初の大躍進の立役者になろうとするのかしら、と危惧してしまいますから。いちサッカーファンとして個人的に一番望ましいのは、彼の度を越した執念や欲のようなものが昇華され、ごく普通のOBになってくれること、サッカーを離れビジネスに邁進してくれることあたりですが、今のところどうもそれには懐疑的です。今回のW杯を経験したことで何か変わっているのなら、それだけでもこの奇妙なW杯の意義はあったようにも思いますが、実際のところはどうなのでしょうか。


ただし、彼自身が理解している・いない、意図していた・いないにかかわらず、彼の我儘な行動が今W杯前に不必要な騒動を招き、おそらく他の選手たちに多大な迷惑をかけたこと、また彼自身が望むものを手に入れるために、少なからず集団が犠牲となる結果になったことは、曖昧なまま、やっぱりあんたすげーよ、本当はいい人だよ、で終わらせてはいけないことなのではないかと思っています。どれだけ、他の「友人選手」たちがかばっても、マスコミが美談を作り上げても、です。


「自分がみんなをもう一個上のステージに連れていってあげたかった」というのは、彼が心から言っていることとは思いますが、これは現実を理想から見た甘い嘘にすぎず、苦い真実は「自分がみんなをもう一個上のステージから引きずりおろしてしまった」だと思います。


彼にとっては満足のいくW杯に近いものになったかもしれないものの、その彼の個人的エゴを満たすために、日本サッカー界が到達できたかもしれない何かが少なからず犠牲になった、今大会で本来若手の選手に与えられるはずだった様々なチャンスが奪われてしまった、故に次のW杯に繋がるものをあまり残せない大会となってしまった、というのが、一連の流れを見ていての個人的な最終解釈です。


ただ、「自身の選手としての実力以上のエゴを手段構わず突き通し、どれほど集団そのものを犠牲にしようとも、目に見える個人の結果さえ出ればOK」ということには、やはり長い目で見ればならないと思いますし、どこかで相応のしっぺ返しが待っていると、個人的には思っています。


まずはマスコミが、今後、彼を必要以上に持ち上げないことを祈ります。



監督成果も同様です。前評判の低かったチームを「蘇らせた」功績を称え、上記グレー部分を無視して同監督を続投させることに、あまり明るい未来は感じません。個人的には、もし前監督がうまく集団を率いることができたなら(ベテラン勢との確執で、そこの可能性が半々だったとはいえ)おそらく8強には手が届いていたと思いますので。ですから、もし会長と協会が、最善の結果を真の意味で求めたのだったら、本来すべきことは、最後まで前監督をバックアップし、選手たちを納得させることだったはずです。



プラスして、やはり選手に監督以上の権限を与えるという、会長と協会の犯した愚行は、本田選手のエゴ以上に罪深く、きちんと詳細まで解明されて然るべきです。何はともあれ、予選突破という結果は出ていますので、「解任は正しかった」主張はできますから、真実を明らかにすることに何の支障もないはずです。こういう経緯で解任に至ったという事実は、うやむやのままにはしてもらいたくありません。一度、こういう悪しき前例を作ってしまうと、再度、集団に不可欠な規律を作ることは難しいものですから、徹底して今回の騒動の顛末を解析すべきと思います。まあ、ただ、それが起こるとは到底思えないのですけれど(苦笑)。



と、のんびりと個人的解釈の総括を書いている間にも、選手引退やコメントなどの記事をちらほら見ることも。


個人的には、あまり共感できなかった長谷部選手ですが、彼は選手としてはする必要の無い苦労を、特にこの大会で負わさた一人だろうなとしみじみ感じましたし、本当は彼にとっても他の選手たちにとっても、もっと良いW杯になるはずだったのではないかとも思わされます。


今回のW杯で日の目を見た選手、そうではない選手といて、それはそれでそれぞれ良いのだと思います。集団競技など、結局そういうものですし。


個人的には、今でも前監督のW杯を見たかった気持ちが消えませんが、こと香川選手や酒井弘樹選手の一連のプレーには、もし前監督が試合を見ていたならば、言葉などなくてもサッカー選手として伝わるものがあったのではないかなあと勝手に想像しています。



内情など全く知らないまま、ごく勝手に遠い集団の解釈を続けてきましたが、「甘い嘘より苦い真実のほうが良い」に少しでも繋がることはあったのでしょうか(苦笑)。結局のところ、甘い嘘がもたらすのは苦い現実ですから、一瞬甘く見えても本当は苦いわけで、苦い真実を突き詰めれば、最後には現実に恵みがもたらされると思っています。これからも、甘い嘘は、ただ受け流して距離を置くのが一番です。甘い嘘が覚めて失う仲間があっても、苦い真実の中に、また本当の仲間を見出すことも、きっとあるのでしょうね。それこそがおそらくは真の仲間なのだと思います。



と、結局わけのわからない解釈のまま終わり(笑)。




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