本物を見極める力

震災の影響で、自宅で地味に仕事をする日々です。
何だかポカンと開いたような奇妙な時を過ごしています。
せっかくなのでブログでも書こうと思い、インターネットを開きました。


本当は、NY公演の決まった「金閣寺」について書こうと思っていましたが、
どうしても書きたいことが出来てしまい、「金閣寺」は、また次の機会に……。


今回は、本物を見極める力の大切さについて、少し書かせて下さい。



先日、地震から数日が経った今、恐ろしいことは、直接被害を受けなかった人々の
不要な感傷や、利己主義的な虚栄心ではないかと思う、
というようなことを書きましたが、それが、すでに現実になっているようです。


二つだけ、簡単に取り上げます。石原都知事の発言とそれへの反応、
そして、あまり主要メディアで取りあげられない、首相の虚栄心です。



まず、石原知事の「天罰」発言です。メディア等で取り上げられ、
都知事か随分叩かれていたようですね。


が、実は、私は、この発言を前日に新聞記事で読み、これに関しては、
共感を覚えていたのです。ですから、後にメディアなどで問題視され、
知事が発言撤回・謝罪という事態にまで至ったことが
奇妙に思えてなりませんでした。以下、記事から、発言内容を書き写します:



   『我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。
    津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。
    やっぱり天罰だと思う。被災者の方はかわいそうですよ。』



ここで問題にしたいのは、聞き手・読み手のこの発言の「解釈」です。
この中から、「天罰」と「被災者」いう二つの言葉を引っ張り出して
表面のみをざっくりと解釈しますと、
『これは、被害に遭った人たちが天罰を受けたのだから仕方ないね』
という発言であったように思えます。それが、今回、知事が叩かれた原因ですね。
が、この解釈には疑問を覚えます。


勿論、解釈は、受け取り手それぞれに異なって当たり前ですが、
上記のような解釈を、個人的には
「直接被害を受けなかった者の不要な感傷」と捉えます。


この発言に対し、「被災者の心境を無視した酷い発言だ」と
騒いでいるのは、決して直接の被災者の方々ではないはずです。
現在、電波が届かないとされている被災地で、人々が
この発言を耳にする機会があったとは思えませんし、もし仮にあったとしても、
今、こんなことに抗議する精神的余裕があるとは考え難いですよね。


ですから、メディアを含め、安易な、不必要な感傷や同情から、
このような解釈をしている人が多い、ということではないかと察します。


個人的な意見ですが、この記事を読んで、共感を覚えた時の解釈は:



   『単なる人気取り競争になり果てた政治をはじめとして、
   日本全体が我欲にまみれ我儘になり、それに対して日本という国に
   天罰が下ったのだろう。その犠牲となってしまった方々はかわいそうだ。
   が、今は、この「天罰」=災害経験を無駄にせず、洗い流す気持ちで、
   今までの日本という国の在り方を反省し再検討し、
   今後、きちんと軌道修正をしていくことも大切だ』
 


もしかしてこれを言った「タイミング」に、問題があったのかもしれませんが、
発言そのものは、なんら「酷い」ものとは感じられません。


皆さんの解釈はいかがでしょうか?



さて、続いて、首相の虚栄心に関して、です。地震発生当初から、
会見での発言を聞くたびに、その言葉の裏に、
何も伝えるべき「意味」がないことに、苛立ちを覚えていましたが、
以下の記事を見つけ、なるほど、と納得してしまいました。



   『管政権の政治主導演出へのこだわり、混乱を増幅』
   
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110315-00000086-yom-pol

  (記事を掻い摘んでまとめますと、自身の記者会見の為だけに、
   当時、爆発事故等の対応に大忙しの、原発の技術者を
   首相官邸に何度も呼びつけ、
   怒鳴り散らしていたのだそうです。

   また、停電に関しても、首相記者会見の見栄えにこだわり、
   同様の利己主義行動を貫いて、現場を大いに混乱させたようです。)


   

個人的には、原発問題、及び首都圏の停電に係わる混乱は、
首相という公の立場にいる愚者の、
自己中心的な虚栄心が生み出した人災と考えます。


また、救助活動が、現在素晴らしい成果を上げているのも、
担当官庁及び現場の方々の的確かつ懸命の努力によるもので、
首相及び政府が直接、最善の判断を下した結果であるようには、
決して見受けられません。


政治権力のトップに立つ者の仕事は、
正確な情報収集、的確な判断と、素早い決断であるはず。
が、管首相が、そのどれをも遂行しているようには、この目には映りません。
そして、その点に触れる主要メディアがあまり無いことが不思議でなりません。


今後、首相・一部メディアの愚行により更なる被害が生み出されないことを、
心から祈ります。

与野党を含め、首相を上手く傀儡にでもして、裏できちんと正しく主導する、
くらいの気概を持って行動出来る政治家はいないものなのでしょうか。)



そして、この二つの点に共通して言えることは、ここでも度々書いていますが、
近頃の、人々の「本物を見極める力」の欠如ではないかと思うのです。
言葉の裏にある意味を的確に読み取ることをしない。
例え映像からであっても、愚行を愚行と認識することをしない。
どちらも、その力の欠如から生まれることです。


が、前回も書きましたが、その力というのは、実は、長い年月をかけて、
日本人の身体にしっかりと刻み込まれているのではないかと思います。
困難に直面した時には、身体が自然とその力を思い出す
民族なのかもしれませんね。
ですから、平時にも、意識して、その力を自覚すれば
良いだけのことだと思います。


人の本質や考えは、発する言葉の裏、その表情に、必ず現れます。
言葉とその後ろにある思考が一致しているか、言葉だけの虚構なのか、
それを見抜くことは、さほど難しいことではありません。
また、何が本当に必要とされる情報・行動なのかを、正確に判断することも、
少し冷静になり、少し想像力を使って相手の立場になり考えれば、
自ずと見えてくるものです。


私たちの多くは、被災を受けることなく、被害に遭われた方々の惨状を
遠くから眺めていることが出来ますよね。
そういう立場にいる人間がすべきことは、
安易な同情や、自己満足の善意行動ではなく、
何が本当に必要なのかを、きちんと考え行動すること、
そして、被災地の救助・復興に向けて、
主導者が最善の判断を下しているのかを、
しっかりと見極めること。その主導者の判断に賛同すれば、そのサポートをし、
また、必要があれば、きちんと反対の声を上げることではないでしょうか。




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