芝居と政治

個人的な印象ですが、今回の震災に対する対策の状況は、一先ず危機を脱し、
事態は、徐々に収束へと向かうのではないかと察しています。



昨日16日辺りから、もしかして、水面下で災害対策のトップ権力が
どこかに移ったのではないかしらと感じていましたが、
今日17日になって、急速に、迅速に物事が動き始めたようですね。


国土交通省防衛省を初めとする各省庁が、現在必要とされる作業を
一つの指示の下で一気に行い始めた感があります。
必要物資の数と場所などの細かい正確な情報が突如流れ始め、
担当省庁・業者などが必要に応じて、的確に対応しているように感じます。
今までの停滞は何だったのかしら、と思うくらい。過去の経験値と、
危機管理に関する公約から察するに、
自民党の手が入ったのではないかと想像します。
首都圏で今も行われている計画停電、買いだめ調整などの
被害の少ないものを除いて、
実質的な災害対策は、管首相の手を離れたのではないかしら。



安易かもしれませんが、原発などに、よほどの不測の事態が起こらない限り、
事態は、復興に向けて、少しずつ落ち着いていくのでは、と考えています。
ので、今回はもう少し、この度の災害と政府の対応について、
思うところを書かせて下さい。




と、その前に、なぜ芝居人であるはずの人間が、
こんなに政治的なことを書くのかしら、という疑問にお答えするために、
芝居と政治の奇妙な関係について、ざっくりとお話します。


実は、西欧の舞台芸術(特に古典)と政治とは、
切っても切れない関係にあるのですね。
複雑な相互関係がある上、基本構造もどこか似かよっているようです。
ので、大前提として、欧州の舞台関係者は大抵が政治通、と思います。



さて、まず、政治と芝居の相互関係ですが、なにしろ古典劇のテーマの多くは、
政治――権力抗争とそれに係わる人間関係です。
ギリシャ劇などがその代表ですが、
シェイクスピア劇もその類にもれません。シェイクスピア芝居の世界には、
シェイクスピア自身が生きた、エリザベス一世時代の政治闘争や
権力争いの様子が、如実に反映されているのですね。



何しろ、当時は、まさに弱肉強食。女王を含め、諸侯が、壮絶な権力闘争を
繰り広げている真っ只中です。今日権勢を誇った者が、
明日には処刑されているかもしれないような時代。
そして、芝居の一座というのは、
その権力者の庇護が無ければ、活動をすることが、ままならなかったのですね。
ので、当時の演劇人たち――こと、シェイクスピアとその仲間たちは
(その激動の中で生き抜き、成功を収めた劇団ですから)、とにかく、
今、権力がどこにあるのかを見極める力が並大抵ではなかったと考えられます。
そんな世に生きた人物が書いた芝居ですから、
そこに表現される世界にも、やはり政治や権力が多く絡んできます。


例えば、有名なロミオとジュリエット
若い恋人たちの甘く悲しい物語、と捉える方が多いようですが、どうしてどうして、
これは、権力闘争の犠牲となった若者二人の話です。
「権力争い」と「日常的な命の危険」。
本当は、この二つの要素を抜きにして、この悲劇は語れないはずなのですね。




また現実的な相互関係ですが、
当時の劇団に対する権力者の庇護というものには、
平時に君主が芸術を奨励するという事とは、
少し異なる意味合いもあったようです。
権力者は、才能ある役者集団を家臣として抱え、
自らの力を効果的に誇示するために、使っていたようなのですね。
役者たちが権力者の庇護を必要としたように、
権力者もまた、良質の役者軍団の力が必要だった、というわけ。
つまり当時の芝居というものは、政治の道具でもあったのですね。




さらに、基本構造が似通っている、と言うことについてですが、よく日本でも
政治ショーという言葉が使われますので、想像しやすいかと思います。
権力者(=政治家)は、民衆の心を掴んで、その後ろ盾を得ないと
活動していけないのですね。
その構造が、役者が観客の心を掴むやり方に似ているわけです。
エリザベス一世時代の貴族などは、まさに自らを「演出」し、
素晴らしい演説や見事な衣装で、
民衆の心を酔わせなければならなかったようです。
(そういう、役者的な要素を持った政治家というのは、
シェイクスピア芝居にもよく登場するのです。)


両者が異なる点は、当然、役者の仕事は、表現することそのものですが、
政治家の本当の仕事は、政治を行うことだ、ということ。


が、平時には、どうしても政治家の役者的な部分の力のみに
フォーカスが置かれてしまいがちです。
ですから、こと、現代社会のような、国民が政治家を選ぶ民主主義社会では、
民衆の側の、政治家の本質を見極める力が非常に大切になってくるわけですね。




と、ここで、今回の災害と、現政府のそれへの対応の話題に戻ります。



どこの国でもそうなのですが、こと最近の日本では、職業の本質を見誤った、
役者まがいの政治家が多くなったように思います。
政治家としての資質や知識に係わらず、
聞こえの良い言葉で「観客」(=国民)を騙し、
役者のように人気を集めて当選を続ける、
という人々ですね。何となく、納得するところはありませんか?
(これが、前回少し触れました、石原都知事の、
政治もポピュリズムでやっている、という発言の意味と察します。)


が、政治家はやはり政治をしてくれなければ困るわけです。
専門家ではありませんので、ざっくりと書きますが、
政治家の仕事の中で、最も重要なものの一つが、
国の危機管理だと思うのですね。危機管理と言いますと、
なぜかすぐに他国との戦争と繋げる人々もいるようですが、
こと、現代のような平時(一概にそうと言っていいのか分かりませんが)には、
むしろ災害対策の意味合いが強いのだと考えます。
まさに、今回の状況ですね。



個人的に、政治家は、政党に係わらず、その発する言葉の真偽で
善し悪しを決めています。が、先の選挙で、民主党の公約を一通り読んだ時、
ああ、これは現実味がないな、と思い、この党は危なそうだな、と思ったわけです。
が、なんと、その民主党が、選挙で大勝してしまったわけですね。
驚きました。


これは、政治をショーレベルにまで下げてしまった
メディアの責任もあると思いますが、
そのメディアに乗せられて、迂闊にも民主党に投票した
人々の責任でもあると思います。
本質を見極める力が欠如していたのですね。もちろん、自民党を含め、
他党に突出した指導的政治家がいなかったこともあり、
とりあえず今までとは違う党に政治をやらせてみるか、
というくらいの気持ちで投票した人も多いと察します。


ですが、民主党の政治家集団としての在り方と言うものは、
「とりあえずやらせてみるか」で国を任せるには危険と、個人的に考えていました。
だって、口先ばかりで、政治家に最低限伴うべき、中身が無いようなのですもの!
例えば、具体的な代替え案のないままで、自衛隊を廃止方向へ、
いうような考えがあったようですが、
もし今の状況で、自衛隊(つまり、国内にある訓練された救助隊ですね)が
なかったらどうなっていたと思いますか?
演出家・役者なら、今回、公演が上手くいかなかったで済みますが、
政治家はそういう訳にはいきません。
下手をすれば、国を一つ、潰してしまえるのですから。
そんな中で起った今回の大災害ですから、
本当に大丈夫かしら、と心配になったわけです。



数日経ちますと、案の定の経過。
地震の二日後くらいには、原発損傷及び被災地への救助・支援に対し、
何の具体的な対策も取られていないようだ、と感じていましたが、
日が経つにつれ、それが目に見えて分かるようになってきました。
メディアの多くは、先日になってやっと、被災地に
救援物資が届かないことを報道し始めたものの、その原因を、物資不足、
ガソリン不足、原子炉事故の弊害あたりにしていたように思います。
(政府も、国民に「節電と、買いだめをしないようお願いする」ばかりでした。)
その報道を見た多くの人々が、いっそう節電や物資の援助に協力した訳ですが、
それだけでは直接的な助けにならないことは、
一般にあまり認識されてはいなかったように感じます。



冷静に見て行きますと、食料を初めとする支援物資は、
西日本から十分に供給できたようですし、
必要とされるガソリンも、優先的に確保しようと思えばできたようです。
必要なのは、流通システムの設定と輸送手段の確保です。
それが確立されていなければ、
いくら救援物資が有り余っていても、被災地には届かないのですから。
そして、陣頭指揮を取り、あらゆる関連機関に許可を与えたりして
それを整える力があるのは誰か、と言いますと、政府です。
それで、ですね、ここからは新聞の受け売りですが、
首相は、「緊急災害対策本部」という組織を立ちあげ、
自らを本部長としているそうです。
この場合、災害対策に関する全権限は首相に集中するらしい。
ですから、例えば、物資輸送に関して言いますと、
流通システム設定の全責任・全権限は、
災害が発生してからずっと、管首相一人にあったわけですね。
そして、ここが、まったく機能していなかったように見受けられました。
(あまり意味の無い報道活動に終始していた枝野官房長官も同様で、
正しく機能はしていませんでしたね。)



原発に関しても、地震発生当初から、
一貫して冷却装置の故障と言う事でしたが、
それに対する的確な処置がなされていたとは思えません。
全権保持者が、一刻も早い決断で、廃炉にするなり、
自衛隊・米軍の支援を得るなりの決定をして、
東京電力側に指示を出すべきだったわけですね。
それを、自分で何とかしろとでも言ったのか、
それとも具体的な指示を出さなかったのかは分かりませんが、
どちらにしても、適格ではない判断を行ったのでしょう。
察するに、東電の技術者たちは、
自分たちの処理能力を超えていると判断したからこそ、
危険の増す前に、いち早く政府に緊急事態の申し入れをしたのでしょうに、
それを今の今まで、東電の技術者のみで、
まさに命がけでなんとか対処をしてきたようです。
今では、米軍の中ですら、
東電の技術者を讃える発言が出てきているようですよね。


ちなみに、これは米国人の友人より聞いた話ですが、
放水設備を初め原子炉を冷却する術を持った米軍艦は、
過去数日間、いつでも出動できるスタンバイの状態でいたそうです。
日本政府からのGOサインが下りず、活動が出来ずにいたそう。
真実の程はわかりませんけれど……。



17日、物事が動き始め、同時に仙谷氏が官房副長官に任命された
というニュースが流れました。
あたかもその仙谷氏の指揮下で、全行動が開始されたかのようですが、
これまでの仙谷氏の発言と行動を鑑みるに、氏に、
こういった作業の指揮を取る能力があるとは考え難いですから、
これには、与党と自民党の間で、水面下で何らかの合意があったと考えるのが、妥当なのではないかしら。
個人的には、国交省防衛省が一気に動き出したことから考えて、
石破氏あたりが、災害対策のほぼ全権を掌握し、
自民党の全能力を集結させて
事態の収拾にあたっているのではないかと推測します。
(違っていたらごめんなさい。でも、そう思って自民党のホームページを
見てみましたら、現在行われている活動の具体的な原案と思しきものが、
15日の時点で発表されていますね。
15日には、政府との交渉を開始していたようです。ちなみに、
遅くとも12日には対策の原案が政府に提出されていたようですが、
政府からの反応は、全くなかったようです。
一方、首相官邸のホームページには特筆する変化はありませんでした。
節電と買い控えのお願いのみです。)



と、ここ数日、このような事を考えていました。
どうか、この推測が、ある程度でも合っていて、
全ての事態が良い方向へ向かっていきますように。



英国から帰国して以来、
「選挙なんて関係ないし、政治も係わりが無いからどうでもいい」
という若い人々を見かけては、不思議に思ってきましたが、
政治は、遠いようで私たちの生活に直結しているのですよね……。


何だかとても長くなってしまいましたが、
皆さん、政治って、改めて大切だとは思いませんか?




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