「食べる」

ひどくバタバタしている内に、気付けば5月に……。
先日は竜巻が発生して驚きましたが、
皆さんがお住まいの地域は、大丈夫でしたか?



さて、早速ですが、今回「食べる」事について、思う所を書こうと思います。



突然何事?と思われるかしら。実は、事の発端はですね、一年半程前に、
長年の友人から、一度「なまぐさ」を断ってみたらと言われた事なのですね。


元々その友人はVegan=菜食者ですが、こちらはかなりの雑食。
が、互いに互いの食習慣に無頓着で、それまで、そういうことが話題に
上ることもなかったのですが、何かの折に、近頃体調を崩しやすくて困る、
という話をしましたら、ならば、という感じで、菜食を勧められたのです。


大抵、そういう面倒くさい事は、また今度ね、と受け流すのですが、
その時は、素直にアドバイスを聞く気になりました。何しろ友人は、
医食同源の国台湾の人です。「騙されたと思って」という言葉に
妙な説得力があり(笑)、ごく単純な気持ちで、数か月
体質改善がてら、「精進もの」を試してみることにしました。



が、始めてみますと、これがかなり大変。まず、外食は不可能に
等しくなりました。なにしろ、出汁を使うものを避けねばならず、
麺類を筆頭に、一般的な和食はほぼ全て駄目。


野菜のサンドイッチにしても、市販のものは大抵マヨネーズが
入っていますし、パン自体にたっぷり卵が入っている事も
多いですから、見た目が精進でも油断なりません。
サラダといえども同様で、「菜食メニュー」に
魚介が入っていることは、ほぼ常識という感じ(笑)。



と、あまりの面倒くささに2日でうんざりしましたが、友人に約束した
手前、とりあえず4、5日は、と続けるうちに、いつの間にか
目的がですね、健康管理(?)から、「これをやり遂げなかったら負け」
という願かけ苦行(?)に変わっていて(笑)、1週間経った頃には、
とにかく3か月間は精進料理を貫いてやろう、という気になっていました。


で、その「3か月」の間に震災があり、以降、何となく、
2011年の一年間、ほぼ精進料理で過ごしたのですが、
結果、体調にさほどの変化はなかったものの、何と
「意識」のほうにかなりの変化が生じてしまいました。


どんな変化かと言いますと、近頃の日本(だけではないと思いますが)
の食糧事情はどうも異様だなあと、感じるようになったのですね。



何故そう感じるようになったのかは良く分かりませんが、
まず奇妙に思えてきたものが、「外食産業」でした。


こと、大手チェーンの飲食店、中でも、回転寿司や格安焼き肉店などが、
「安くて旨い」と誇らしげに宣伝をする様が、異様に思えてならなく
なりました。以前は、あまり気にしませんでしたが、落ち着いて考えると、
どちらも、「安い」食材であるはずがないのですよね。
それを、大量輸入・生産するなり、海外で加工するなりして、
無理やり安く提供しているというだけの話。


が、牛にしても豚にしても鳥にしても魚にしても、平たく言えば
命を奪って食らうわけですから、ありがたく美味しく無駄の無いように
厳かな気持ちで食らうのが、まっとうな感覚というものではないかしら。
それを、「激安食べ放題」って、何だかなあ……と。



また、モラル云々の前に、単純に「味覚」の話なのですが、
例えば一般的な回転寿司。ほぼ生で口にするネタを、物によっては
工場で大量加工している、のですよね。(……違うのかしら。)


で、酷い表現ですが、冷解凍を繰り返し、沢山の人の消毒された手で
いじくり回されたそのネタを、アルバイトにも等しい「調理人」たちが、
ビニール手袋を履いた手で、機械で固めたご飯の上にのせ、
体裁を整えて、客に供している、のですよね。(……違うのかしら。)


そんな食べものを、本当に人は美味しいと思って食べるのかしら?
それとも、曲がりなりにも「寿司」と呼ばれるものが安く食べられる、
という事実に、味覚がうっかり騙されているだけという事はないかしら。
と、その辺りの、人間の「味覚」の不確かさが何だか恐ろしくなりました。



で、何となく「食べる」ことについて考えるようになったのですね。
という訳で、以下ごく当たり前の事を、感覚と三段論法で、独断的に
じっくり考え直しました(笑)。



まず、基本、人は、食べなければ死にますから、食べる訳ですね。
育てるなり採るなり狩るなりして食料を調達し、それを摂取して
生きながらえている、と。シンプルに原始的に、
「食料調達→食う→生き延びる」という構造です。


それで、ですね、とにかく生きている限り食べる訳ですから、
「折角なら美味しく食べるか」というところに出てくるのが調理、
さらに、「折角ならもっと美味しく美しく食べるか」というところに、
料理人が登場する、気がします。そして、「折角なら楽しく食べるか」
というところに団欒がでてくる、と。(……単純すぎるかしら。)



が、近頃、この「食料調達→食う→生き延びる」という大前提の上に
成り立っているはずの「折角なら〜」の部分に、「市場経済」が入り込み、
なんだか「食べる」が、おかしなことになっている気がするのですね。


何と言いますか、商売の道具としての嗜好と流行に、
「食」が左右され過ぎてはいないかしら。
そして、「食」の本質が忘れ去られている感じ。



一部の人々が、奇妙な情報を集めて、現実の必要性からかけ離れた、
奇妙な流行を作りだし、大手企業が、力技でそれを実行に移して
社会に押し付けている、というのが、今の「食」の現状のように感じます。


TVなども、それを受け、「今話題」の食材・スイーツ・お店・
贅沢格安食べ放題情報云々を、次々と宣伝するのですね。
それに、「一部多数」が動かされ、一時のブームになり、
それが下火になると、また誰かが次の流行を作り、以下繰り返し、と。


が、新しい・珍しい・安い・贅沢な・便利なものを次々と提供する、
というのは、単なる「売上向上努力」の押しつけと個人的には感じます。
又、利益さえ見込めれば、余剰分の破棄も厭わないという価値観も奇妙。


「食」に関してだけは、「マーケットリサーチ」ですとか「商品開発」、
「ビジネスチャンス」等の言葉と、無縁であった方が良い気がします。
そういう安っぽい概念に侵されてしまっては、いけない分野なはず。



それに、実際は、多くの人々が、案外原始的な感覚に近い、
飽きが来ない、素朴な食べ物を望んでいると思うのですよね。


何しろ、地物・旬の物に勝る「安くて旨い」食材など、そうは無いはずで、
それを日常の「食」の基盤として、時折「ちょっと珍しい特別な嗜好品」が
あるくらいが丁度良いと思うのですが、いかがなものかしら。


美食を食らい尽した大金持ちが美味しいと感じるものは、ふと口にした
ごく質素な食事だった、などというのはよく物語のテーマにも
あるけれど、「美味しさ」は、純粋に素朴に食欲を満たした時に
誰もが感じることで、それに勝る美味しさは無いように思います。



ハレとケの使い分けと言いますか、かつては、ハレの日(非日常)にのみ
ご馳走が食べられるから、ご馳走はご馳走で美味しかったし、
ケの日(日常)は、食べるという行為の原点を満たす食べ方をするから、
美味しかったのではないかしらね。でも、嗜好による「美味しさ」を
追い求めることには限りが無くて、最終的には、味覚が麻痺して
「旨い」と「不味い」の境目すら分からなくなるだけ、のような気がします。



ハレの食卓をより楽しく、ケの食卓を豊か(本当の意味でね)にする為にも、
安い・便利・Monosodium Glutamate風味マーケティング食供給をさっさと
諦めて、是非、その土地土地に即した柔軟な食供給サイクルを作ることを
国全体で考えていって欲しい気がしますが、なぜかそういう方向には、
業界の主流や政治家の思考回路は向かわないのですよね。ああ、不思議。



ついでにもう一つ。個人的に「料理人」はあらゆる職業の中で、最も
価値がある職業の一つと思っています。なにしろ人間のごく原始的な欲望=
食欲を満たすという行為を、ある種芸術の域にまで高めている人々
なのですから、これほど洗練された人間的な職業は無いと思うわけですね。


が、近頃の、味に妥協しない「〜職人」というのが、調理に失敗したから、と
簡単に食材を捨てるのが、プロだ何だと持て囃される風潮には眉を顰めます。
もったいないから、絶対に失敗しない、とか、もし失敗したら、恥を忍んで、
無料で振る舞う、位の気概があるのなら、分からなくもないですけれど……。
これも、「食」の本質を見失った結果の一つなのかしら。



と、いう訳で、精進料理の2011年以降、日本の「食べる」の意識が、
どうも、我儘にだらしなく色々境目がなくなってしまっていると感じ、
早くまともにならないかしら、としみじみ思うようになりました。


とはいえ、一部に見かける何が何でも菜食、ですとか、肉食や贅沢はダメ
という思考にも賛成はしません。何事もね、程度が大事、と思うのですね。
贅沢な外食をすることも、安いジャンクを食べることも、勿論
あって良いけれど、どこかで「けじめ」だけは忘れずにいたいですよね。


皆さんも、是非一度、精進料理を数か月お試しください(笑)。
食べられるものが、大変減ってしまいますが
意外に、美味しいと思うものは増えるかもしれません。



……と、偉そうに長々と書き綴りましたが、実は2012年に入り、
既に精進生活から脱落しています。やはり元々が雑食の身(苦笑)。


ですが、せめて「食べる」ことにメリハリをつけるようにしています。
「食べる」ことを、単なる嗜好の問題にしないで、かつ適度に楽しみ、
贅に走り過ぎず、かつ、つまらない栄養補給にならないように。



ええと、何だか、結局よく分からない内容ですが、要はですね、
「いただきます」と「ごちそうさま」の美しい精神を
忘れずにいよう、と気付いたというだけの話ですね。
……なんという長文の無駄使い(笑)。ごめんなさい。



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