「演者」という職業

前回の「完璧な均衡」にコメントを頂きました。
ありがとうございます。


その中に、また素敵な言葉があって、嬉しくなりました。
V6メンバーの森田さんのコメントとのこと。


やはり、作品世界を表現するのが仕事、と考えているのですね。
演者の心構えというのは、きちんと作品に反映するのだなあ、と実感しました。
この目に狂いはなかったわ、と誇らしい気持ち……(笑)。


彼が踊りながらふと伸ばした指先の美しさに、
ほれぼれしたことを思い出しました。
あれは、意識していなきゃできませんものね。


近頃、ずっと気になっていたのが、
いわゆる「アーティスト」と呼ばれる歌手カテゴリーの歪み。
下手でもなんでも、作詞作曲を自分ですることが、
真の「アーティスト」といった風潮がありますよね。


ですが、与えられたものを演じること、表現することというのは、
立派な芸術表現の形です。解釈が伴う分、
むしろ自分で作ったものを好き勝手に歌うよりも、
高度な芸術ではないでしょうか。人の作品世界を解釈して、
それをきちんと観客に伝わる形に表現するのは、
けっして簡単なことではありません。そして相当クリエイティブ。


ある人は、言葉を紡ぐことに優れているし、ある人は、
曲を作ることに秀でている。またある人は、
それを演じることに才能を発揮するのです。
その全てに同時に恵まれている人など、
そうそう簡単に出てくるものではないのではないでしょうか。
(それに、たとえ、本当に才能がある場合でも、
自分で曲を作り歌う人々というのは、もしかして、
他人が作った作品を上手く演じることはできないのではないかしら。
彼らは演じ手ではないですものね。)


適材適所で各自が最高の仕事を行えば、自然と作品に深みも生まれますよね。
それが、それぞれのプロフェッショナルが集って
一つの作品を作り上げることの意義と思います。勝手な想像だけれども、
V6は、そうやって作品を作り上げることを良しとしているのではないかしら。
きちんと、演者の部分を潔く、見事に請け負っている。
そうでなければ、ああいう素敵な作品にはならないのではないかしら。


シェイクスピア役者だって、自分で脚本など書きません(笑)。
それでも、人々の尊敬を集める立派な職業芸術家。
解釈と表現力と演技技術のスペシャリストです。


日本でも、そういう「演者」の価値が、もっともっと
きちんと認識されて欲しいと切に願う今日この頃。V6頑張れ!


また、V6について熱く語ってしまいました(笑)。
再び書き逃げします。


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