言葉の奥底にあるもの

昨晩ふと、なぜこんなにV6とその作品に魅かれるのかしら、
と真剣に考えてしまいました。


それでですね、6人の「完璧な均衡」と「職人気質(笑)」に
魅かれているのは勿論のこと、もしかして、「言葉」を
大切にしている感じがするからではないかしら、と思ったのですね。


正確に言うと「言葉の表現」でしょうか。
以前、「歌詞や動きの意味をきちんと解釈し、
噛み砕いて消化してからでないと、
歌も踊りも『表現』にまでは高められないはず」
というようなことを書いたのですが、そこの、言葉の部分です。



自らが、舞台芸術の中でも「芝居」という分野の出身なためか、
言葉とその表現には、やはり思うところがあります。


実は、「言葉の芸術」とも呼ばれるシェイクスピアの台詞。
独特の規則性と音楽性があり、台本は、
音とリズムを表す譜面のように書かれています。
ですから、意味など知らなくても、「譜面」にそって、
歌うように台詞を話すことができるのですが、
それでも、役者がもう一歩踏み込んで、それぞれの「言葉」の意味を、
きちんとその「言葉」に乗せて演じられるかどうかで、
演技の質は、随分変わってくるようです。
というか、それがあるか無いかで、観客に伝わるものが全く違うのですね。


「役者なら、それくらい出来て当たり前なんじゃないの?」
と思われるかもしれませんが、案外そうでもないのです。
ただ丸暗記をするだけでも、言葉の表層を理解するのみでも
その台詞を言うことはできますから、
そこどまり、という役者は意外と多いのです。


中には、言葉を「飾り」程度にしか捉えない役者もいて、
そうしますと、空虚な言葉は、観客の耳を素通りし、
心には何も残らないことが多いようです。
どころか、聞こえてくる音や言葉と、意味と、動きや表現とのちぐはぐさが、
観客に、もやもやとした不快感を与えることも少なくありません。


実は米国の役者さんには、この傾向があったりして。
……暴言でした(笑)。良い米国人役者さんも沢山います。



話題戻りまして、V6の作品群。
何となく全てがぴったり合っていて、
見ていて・聞いていて、やけに気持ちが良いあの感じ。
その根本にあるものの一つは、
「言葉」を大切にしているという事実なのではないかしらと思っています。
それが意識的にか、無意識になのかは、一ファンには知る由もありませんが、
この耳には、歌詞が、きちんと意味を成す「言葉」として伝わってきて、
それがなんというか、嬉しいのです。


劇的な言葉を劇的に表現するのが良い、というのではなく、
言葉の本質を見極めて、それを演者なりに解釈して
表現しているのを見るのが、無性に好きなのです。


ドラマチックなものはドラマチックに、
ナンセンスなものはナンセンスに、
悲しいものは悲しく、
愉快なものは愉快に、
それぞれの言葉の奥底にある意味を、
きちんと音に乗せて送り出す感じ。


簡単なことのようですが、難しいことです。


近頃のV6の場合、それに加えて、振付や身体の動き、
しまいにはフォーメーションまでが、
ぴたりと合って見えるものだから、なんとも性質が悪い(笑)。
好きになれと命令されているようなものです。
勿論、好みもあるのでしょうけれど……。



よく、褒め殺し、などど言いますので、
あまり熱く語るのは止めようと思いながら、
この体たらくです(苦笑)。


……ので、いつものように書き逃げを。


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