曖昧な真実

前回に引き続き、「言葉」をテーマに。
実は、歌詞について思うところを、ずっと書きたかったのです。


前回は、「演者の言葉の表現」についてでしたが、
今回は、「言葉を綴る」人々の重要性について。……長いです(笑)。



言葉を綴るというのは、とても大変な作業だと思いませんか。
やはり、それに見合った才能が必要で、本来、
誰にでも簡単にできることではないと思うのですね。
もちろん、個人的な日記や手紙を書くときのことではなく、
作品を作るときのこと。


例えば、歌を作るとき、主題は、たぶん日常にある何かですよね。
恋愛や友情、近頃では、家族愛あたりがポピュラーでしょうか。
で、その日常の一場面や、それに伴う感情の変化などを切り取って、
言葉に置き換え、表現したものが「歌詞」という作品なのだと思います。


そして、その「日常」を、どのように切り取って、
どのような「詩」に仕立てあげるのかが、きっと作詞家の腕の見せ所。
どれだけ綺麗に、日常を「物語」にまで昇華できるか。
どれほど端的に、表現したいものの真実をとらえて、それを普遍化できるか。
そんなあたりが、大切になってくるのではないかしら、と思います。


言うのは簡単ですが、間違いなくとても難しいことです。



例えば、相変わらずの例えですが、
シェイクスピアが、なぜ天才と呼ばれるのか、と言いますと、
複雑で面白いお話を沢山書いたから、ではなく
言葉を操り、紡ぐのが、非常に巧かったからなのですね。


話を構成することに秀でていたのは勿論のこと、
選ぶ言葉の的確さや、言葉の音と意味とのバランスの取り方などが、
人並外れて優れていたから。
それほど、言葉を紡ぐのに優れているというのは、
特異な能力。そして稀なものです。
(ちなみに、シェイクスピアという人は、日本的感覚では
劇作家より、作詞家に近い存在と考えています。)



昭和の高名な作詞家の作品も、素晴らしいですよね。
言葉が美しく、しかもたった数語で物語の情景が
目に浮かんできます。そのくせ、詳細は曖昧なのですね。
どこの誰に何が起こったのか、
ニュース報道のように、明確にはなっていないのです。
ですが、表現されているものが何か、という
中核の部分だけは、とてもよくわかります。
例えば、許されぬ恋とか、複雑な愛情、
やりきれない悲しみ、沸き起こる歓喜などでしょうか。
歌い手も、歌い甲斐があるというものです。



一方、個人の体験や感じたことを、
そのまま綴った「歌詞」も、近頃は多くありますね。
あれは、何といいますか、とても世界が狭いと思うのですね。
表現がストレートで、などと言うと恰好良いですが、
書き手の語彙と想像力とが、少ないだけのようにも感じます。


さらに、名作詞家たちの作品とは対照的に、
詳細が詰め込まれている場合が多いようです。
ですが、何が言いたいのか、は、よく分からないのですね。
もしくは、伝えたいことが、あまりに単純すぎるのかもしれません。
(これは、本当に上手い演者がその歌を歌った時に、
とてもよくわかります。歌が、演者に負けてしまうの。)


近頃、そういったものが好まれる理由は、
これはもう、友人の話を聞くようで、
共感しやすいから、ではないでしょうか。
受け取り手が、感性や想像力を使わずとも済むのですね。
ですが、これはズバリ、深みがない、ということではないかしら。
以前も書きましたが、「受け取り手の職人」が少ないのでしょうか。
とても寂しいことです。



さて、そんな近頃の状況の中で
V6の作品にうっかりすっかり魅了されてしまった理由の一つに、
選曲の良さ、特に歌詞の素敵さがあるのですね。
良い「歌」が本当に多い。



例えば、昨年の「星が降る夜でも」や「Only Dreaming」や
「Will」、そして数年前の「Way of life」。
これらの歌は、本当に歌詞がきちんと歌詞ですよね。


聞き手に、ちゃんと想像の余地を残してくれてもいます。
「Only Dreaming」なんて、
誰か大切な人を失ったのだろうな、
という肝心なことは伝わってきますが、
失った人が誰なのか、適度に曖昧にしてくれているでしょう。
それと、何故、どうしてその人を失ったのか、
死なのか別離なのかも、明確にはされていません。



ですが、表現したいものの核心を突いてさえいれば、
詳細など、むしろ曖昧な方がいいのですよね。
その方が、歌詞としては豊かなのではないかしら。


曖昧さという余地があるから、
書き手が綴ったその真実を、まず諸々の作り手たちが解釈して、
それぞれ詳細を想像して、表現することができる。
ここで作品の深みが倍掛けくらいになりますね。
で、演者が、それをまた解釈し、それぞれに想像し
丁寧にその歌詞の世界を表現する。ここでさらに深みが増します。


そして、今度は聞き手が、それを受け取り、解釈し想像しつつ
その表現された世界を楽しむことができますよね。
ここでも、聞き手それぞれに作品世界は広がっていきます。
それが、多くの人の想像力が掛け合わさって、
どんどん作品の深みが増す、ということなのだと思います。



何と言いますか、今の時代に、
あんなに素敵な詞を書いた方々も素晴らしいし、
「よし、この歌で行こう」
と思ったV6や制作スタッフの方々も素晴らしい。
勝手な想像ですが、おそらく数ある歌の候補の中から、
ちゃんとそういう歌を選び、それを、きちんと丁寧に表現して、観客に届けてくれている、そのことが嬉しいのですね。



もちろん、明るく楽天的で、希望に満ちた応援歌も素敵。
意味のない言葉遊びの歌も魅力的。


本当に、これからも、ずっと、いろいろな種類の「素敵な歌」を選んで、
歌い踊り続けて欲しいと、心から思います。頑張れV6!



……賛美し過ぎかしら(苦笑)。
でも、まあ、初めて、日本に帰ってきて良かったなと
思わせてくれた人たちでもありますので……。



最後に、少々V6賛美から距離を置いたフリなどしつつ(笑)
シェイクスピアの綴った言葉の中で、
最も美しいと思われる言葉を一つお届けして、
今回もそそくさと書き逃げをいたします。





          ......and then in dreaming,
     The clouds methougt would open, and show riches
     Ready to drop upon me, that when I wak'd
     I cri'd to dream again.
                 (The Tempest, Act3 Scene 2)




         ……そうして、夢の中で、
     ぱっかりと雲が割れて、眩しい宝物がきらきら
     おいらの上に落ちてきそうな気になる、そこで目が覚めて
     もう一度夢が見たくて、泣いたこともあったっけ。





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