only dreaming

今週はですね、時間にやや余裕があるのです。
ので、いち早く、この裏ブログに戻ってきてしまいました(笑)。


早速、前回に引き続き、「マニアックな視点から楽しむV6」
シリーズで、お届けしたいと思います。



公共放送の番組版「only dreaming」のパフォーマンス映像がテーマです。




既にお芝居の域に入ってきているかのような、このパフォーマンス。
セットも照明も絶妙で、まるで舞台芝居を見ているようです。


実は、最初にPVを見た時、何だかとても技巧的……という印象が先に立ち、
他の作品に比べて「腑に落ちる」感の少なかった、この曲の振付。
その印象が、この映像を見て、すっかり変わってしまいました。
本当に、なんと見事にバランスよく、全体が構成されていることでしょう!



まず、曲中にいくつか、静止画的にしてある場面がありますね。
あれが見事です。全体で4か所ありますでしょうか。



最初の場面は、初っ端の前奏部分。
6人それぞれの姿形、視線の向かう先、全体のバランス。
そして、演者の存在と、光の具合・音楽とのバランス。
何もかもが、しっくりと合って見えますね。


また、その静止状態から動き出すタイミング、それぞれの位置に向かう、
演者一人ひとりの歩き方、隊形と空間とが広がっていくバランス。
歌と踊りへ入る時の、息の合い方。空気の変わり方。
観る側の好みの差はあるにしても、これらも、ほぼ完璧に映ります。




続いて、次の静止部分は、


     穏やかな街並みと 君の横顔が……


のところです。
ここも、一人ひとりのポーズと、全体のバランスとが絶妙に定まっています。
そして「君の横顔が」で、それぞれが顔を動かし出すタイミングとその動く方向。
良いですね。なんとドラマティックな構図と動きなのでしょう。




さらに、次の場面、


     朝が来ても 光が射しても……


部分。個々の立ち姿と、全体のバランスの良さは、もう言わずもがな。
ここでは、やはり、全員がゆっくりと上を見上げるタイミングと、
そのイメージとが、非常に美しいのですよね。


さらにですね、よくぞ、「光が」ではなく、「射しても」で、動き出してくれました。
「光が」から動き出す選択肢もあったはずですが、
これは、間違いなく「射しても」で、光を指さしながら
天へと腕を動かしていくから、より印象的なのだと思います。




そして4番目の静止部分。曲の最後です。
歌い終わりの隊形、手と腕の形も素敵ですが、
人影を照らしだす光と、床に映る影の具合がまた良いですよね。


それから、TV映像的なことですが、個人的には、歌っている映像の最後に
番組のエンディングテロップ(? 番組製作者の名前などですね)が
入ってくるのが好きだったりして。
だって、何だか大御所感がありますでしょう(笑)。
そして、実力的には大御所であって然るべき人たちですもの。




それでですね、この映像を見てから、この曲の振付の印象が変わった、
と書きましたが、その理由です。


実は、上記の4場面が、
「only dreaming」と言う芝居(そう呼んじゃえ)の枠組みを形作り、
6人を、その一つの芝居の中に、繋ぎ止めている感じがするのですね。
そして、その芝居的な構造が、場面と場面の間の、歌と振付部分とを
それまでの「技巧的」という印象とは違ったものに見せたわけです。


以前、この曲の歌詞の曖昧さが素敵、というようなことを書いたのですが、
まさにその曖昧さを最大限に利用して、何と言いますか、
6人が、それぞれ異なった物語を表現しているように見えるのです。


ですから、不思議に技巧的な、「曖昧な」振付を踊っている間というのは、
互いに交錯し合いつつ、同じ歌詞を歌いつつも、
それぞれが、違う世界に生きている印象があるのです。
それぞれが、違う夢を見ている、という印象ですね。


でも、その6つの夢が、ふと、どこか一か所で混じり合うわけです。
それが、この4場面。
故に、異なった6つの物語世界を、一つの芝居の枠の中に納めている、と。
そう感じたわけです。


そして、故に、「技巧的な振付」から「異なる感情を自由に演じるための道具」
に変わって見えたのですね。そして、成程、と納得してしまったわけです。


意識的にか、無意識にか、彼らは既に、一つのことを集団で演じた「Guilty」の、
ずっと上を目指しているのではないかしらね……。




……ああ、なんて高度な演技技術。なんというチームワーク。




V6というグループは、舞台芝居向きの演者集団でもあるなあ、と
改めて思ってしまいました。


この6人で舞台芝居を作ることがあれば、いったい
どれほど素晴らしいものが出来あがることか、
想像しただけでゾクゾクしませんか?
ぜひ一度、やってみてくれないものかしら……。


ちなみに、『そうだなあ、一つ、英国的にピーター・ブルック的に、
シェイクスピア芝居でもやってみっか』と思われた場合は、
ぜひPlayersにご一報を。翻訳、脚本、演出までお任せいただけます。
って、いったい誰に語りかけているのでしょうか(笑)。


いいのです。今回のタイトル通り、only dreaming なのです(笑)。




……などと、ごく傍若無人に、そして独断的に
only dreaming 論を展開して参りましたが、
勿論、この解釈は、制作の方々や、演者の意図とは
全くかけ離れているのかもしれません。
また、皆さんは、全く違った印象をお持ちかもしれません。


が、個人的に、作品が製作者・演者の手を離れ、
それぞれの受け取り手の中で、様々に広がり始めた時、
その作品は最も成功したことになるのではないか、と考えています。


ですので、only dreaming、まさに大成功、という結論で、
めでたく終了としまして、今回も、そそくさと退散いたします(笑)。



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