愚者の英断

今回の大震災を経験して、勿論、自らも含めてですが、
特に東北・関東の人々は、人間が生きていく上で、
何が最も大切なことなのかを、
改めて認識させられたのではないかと感じています。


価値観が、がらりとまではいかなくとも、
やはり変わってしまった人も多くいるのではないでしょうか。


個人的に、それを特に感じるのが、通常に戻り始めた
テレビ番組や宣伝、電車に残されている震災前の広告などを見るとき。
奇妙な、現実味の無い浮ついた価値観が表現されていて、
とても薄っぺらく、滑稽と言いますか、空虚に感じます。
そういう違和感を覚えて、思わずテレビを消してしまう人が、
きっと、少なからずいるのではないかしら、と思います。


暗いニュースばかりで、気が滅入ってしまうのを防ぐのに、
今こそ、空虚な、上面の乾いた笑いなどではなく、
お腹から笑える、心のある明るい番組が見たい、とも思います。




と、そんな時期ですから、今のメディア、特にテレビの在り方には、
本当に、共感を覚えることが出来ません。
本来、最も地に足をつけ、冷静で的確な目を持っているべき存在が、
今、最も浮ついた目を持っているように感じるのです。


このような大災害の後というのは、無駄な「観念」がそぎ落とされて、
感覚がより「生きる」という原点に近づいている時と思いますから、
その感覚がまだ生々しい内に、慎重に、迅速に
新たなスタートへむけての決断をしなければならないのですよね。
大げさに聞こえるかもしれませんが、
社会全体がどの方向へ一歩踏み出すのかで、
日本が次に向かうべき未来が、ある程度定まってしまう、
とても、とても大切な時期と思います。
メディアは、その方向決定に、大きな役割を果たしますね。



が、今のメディアを見る限り、日本という国が少し間違った方向へ、
一歩を踏み出そうとしているように感じられてなりません。
浮ついた雰囲気を煽る安っぽい感傷も、
ドラマ仕立ての報道も必要ではなく、
今、必要なのは、大きな視点から冷静に物事を判断する目と、
先を見通す、地に足のついた想像力の
喚起を促すことなのではないでしょうか。


現政策に乗っかって節電を訴えるのも良いですが、
その根本的な「方法」への疑問や提言が、
あまり出てこないのは何故なのでしょう。
もっと的確で、混乱や無駄の少ない方法が、きっとあるはずですのに。




政治に関して言いますと、既に幾つかの重要な問題の
論点が徐々にすり替えられ、
なんとなくメディアもその方向へ流されていっているように感じます。


例えば、菅首相への嫌悪。まったく同情はしませんが、
今、すべての責任を、首相の愚行・無能ぶりに押し付けるのも、
筋違いというものではないかと思います。
問題の本質は、もともと政治家・首相の器ではない人間を、
その職に据えてしまった、ということです。
これは、明らかに、菅首相一人の責任ではありませんよね。


例えば、現在も政府は、混乱の原因となる報道や短絡的な愚策以外、
現実的な政策を打ち出して、実行に移しているようには見えませんが、
これは、現在、災害対策の実権を担っているらしい
仙谷氏およびその周囲の愚行ではないでしょうか。
実際の権力が政府内の誰に移動したとしても、
根本の解決には繋がっていない、ということですよね。



また、無策の愚行だけならば、まだましですが、
こと原発などは、まさに目に見えて現在進行形の危機ですのに、
その収束へ向けての現実的な対応は明確に見えないまま
既に、誰の時代の責任だ云々の意見まで出てきており
問題の論点のすり替えが始まっているようで、不気味に思えてなりません。


問題の本質は、
現政府そのものが、良識と実行力に欠ける人々の集団だということ、
そして、人々が、メディアの作り出す浮ついたイメージに踊らされ、
そういう政府を選んでしまった、ということの二点です。


が、今、その問題の論点が「すべて菅首相が悪かった」や
原発を推進させたのは、我々の時代の前のことだ」に
すり替えられてしまっては、大変なことですよね。
現与党ならば、首相を見限って、イメージ回復のための犠牲にするということも、
災害発生直後の緊急時には、自分たちには対応能力が皆無だったという事実を
さらりと忘れ去る、ということも、あっさりしかねないと思いますもの。
そして、メディアも、それに乗せられてしまいそうですもの。



今、この時点で最も問われるべきことは、過去の不始末ではなく、
未来へと続く「現在」の不手際です。
過去の不始末への言及も、勿論されるべきですが、
それは、もっともっと後で行うべきこと。
落ち着いたように見えますが、今も、まだまだ非常時です。


「今こそ、しっかりした危機意識を持って、現在進行形の国の危機を、
前向きに、迅速に、的確に処理していくことが出来る
指導者が必要なのではないか」、
そして「その為にはどうすればよいのか」、ということが、
今、この時期に盛んに議論されているべきことではないでしょうか。


そして、今、「メディア」が正しい方向に論点を向かわせているのか、
受け取り手の私たちは、きちん判断していかなければなりませんよね。




個人的には、菅首相に、今、この時期にこそ、
解散総選挙・即投票という「愚行」に踏み切ってほしいと願っています。
勿論、災害対策本部の機能は、次の政府が立ち上がるまで
今まで通りに残したまま、選挙活動は一切無し、
投票も、とにかく簡略化して、です。
この際、今こそ慣例を無視して、押し通してしまえばいいのです。


一部の人々の恨みを買うでしょうが、多くの人々からは感謝されるはず。
そうして、首相退任後に政界から退けばいいのです。
終わりよければすべてよし、といいますから、
そうすれば、少なくとも首相個人のイメージは回復するのではないかしら。
(もしも、首相がその点のみに執着するのでも、この際かまいませんよね。)
今、この時期に、人々から「愚行」だ、なんだと叩かれようと、
それを一身に受けて貫けば、長期的に見れば、
菅首相最大の「英断」と評される日が、
来るのではないかと思うのですけれど……。



日本が向かうべき未来の方向性を決める、今のこの大切な時期に、
少しでも早く、地に足の着いた政府を生み出すのに、
今、手にする権力を使い、一役買って欲しいと願わずにはいられません。



メディアも、腹に力の入らない、具体性のない団結力や
安っぽい感傷を促したり、論点のすり替えに乗せられたりするのをやめて、
もっともっと、地に足のついた方向に向かってほしいと思うのです。




少し、悲観的な内容になってしまいましたが、
そういえば、「日本人の美徳の一つは、その楽観主義である」
というような記事を読みました。もともと、自然と向きあい、
その力に刃向かうのではなく、共存し受け入れてきた民族だから、
このような大災害に直面しても、
「自然に対して腹を立ててもしかたがない。どうにかなる」
と、さらりと流せる性質が、日本人には備わっているのだとか。
まさにその通りかもしれない、と思ってしまいました。


そのあっけらかんとした、素晴らしい楽観主義を、
もっともっと良い方向へ、前向きに、前向きに使って行きたいですよね。
皆さんはどう思われますか?



Players