「言葉」+「影響力」

今回は、言葉の大切さと、影響力とについて、思うところを……。


日本はずっと長い間、奇妙な価値観に踊らされ、
熱に浮かされていたような状態だったようには思いませんか?
もちろん自戒の念も込めてですが、人々の視野が極端に狭くなり、
以前触れた石原都知事の発言を借りますと、誰も彼もが
「我欲で縛られて」いる状態だったように思うのです。


個性が強い人々が増えたというのとは異なり、誰もが、
自分と、そのごくごく近辺の事にしか興味がない世の中、
という感じでしょうか。一人一人の、本当の意味での「個性は
消えているのに、「自分」を重要視・特別視する風潮があって、
「自分へのご褒美」「自分を褒めてあげたい」「私仕様」
といった言葉が氾濫していることからも、感じ取れますよね。
一見、自分の生活とは係わりが無さそうに見える、
政治への極端な無関心さも、そこから来ているのかもしれません。


日本がそうなっていった経緯は、勿論単純ではなく、
様々な要因があるのでしょうが、実は、
そういう現象を定着させるのに、一役買ってしまったものが、
時代の流行歌、特に、長期に亘って売れ続けたという
世界に一つだけの花」ではなかったかと考えています。
……ものすごい批判を受けそうですけれど。



が、問題にしたいのは、単純に、「歌詞」なのです。



一般に、この歌は「比べ合いや、一番争いなど必要ない」とか、
「それぞれが、そのままで特別な存在なんだよ」といった事を伝える
優しいメッセージソングとして、受け取られていますよね。
が、皆さん、正直なところ、この歌を聞いて
「でも、なんだかすっきりと腑に落ちないのよね

と感じたことはありませんか?


実は、この歌の「作者」のファンである友人が
「長年のファンから言わせると、彼の曲としては
なんだか、ちょっと変な風に売れちゃった歌なのね。
反戦歌とか言われることもあるんだけど、なんか違う気がする」
と言うのを聞いた事があります。個人的に、
彼女の言う通りなのではないかと思っています。これは、
ごく具体的なメッセージが、あやふやな言葉で表現されたがために
様々な方向に奇妙な解釈が生まれてしまった
典型的な例なのではないでしょうか。
簡単に説明します。



この曲全体の歌詞の裏を、丁寧に読みこんでいきますと、
伝えようとしているメッセ―ジは、ただ一つ。
「人には、それぞれ違う価値があるのだから、
互いに比べることなどせずそれぞれが一生懸命、
それぞれに合った生き方をすればいいんだよ」
だと思います。とてもシンプルで具体的ですよね。タイトルや、
繰り返される「世界に……」の部分の歌詞ともあっています。



ここに、「比べ合いや、一番争いなど必要ない」ですとか、
「それぞれが、そのままで特別な存在だよ」という、
一見「反戦歌」的な、「人類みな平等」的な、
不可思議なメッセージ要素が加わってしまったことの単純な理由は、
前後の歌詞の、言葉の使い方にあると思うのです。



純粋に「歌詞」だけを読みますと、
これは、言葉があまり的確ではなく、
何が言いたいのかが、実は、とても分かりにくい。
意味が矛盾してしまっているところもあるように思います。
特に、「一番」と「特別」いう言葉を
間違って受け取られやすくなるように使っていて、
受け取り手によっては
とても危険な解釈をしてしまえる歌詞になっています。
なんと言いますか、言葉そのものに筋の通った「力」がなく、
「言葉」から伝わってくるものが、とても消極的なのです。



詳しい説明は避けますが、危険だな、と思う歌詞の部分を、
作者が込めただろう意味が、よりはっきりするのでは、
と感じる方向に、少し変えてみます。
文字数や詩的表現は抜きにして考えましたが、「反戦歌」的な
「人類みな平等」的な要素は、随分なくなるのではないでしょうか。


   ここで誰が一番きれいなんて
   争うこともしないで
   バケツの中誇らしげに
   しゃんと胸を張っている


   それなのに、僕ら人間は
   どうしてこうも比べたがる?
   一人一人違うのに、どうして
   おんなじ価値を追いたがる?


   小さい花や大きな花
   一つとして同じものはないから
   No1になれなくてもいい
   それでも特別なOnly One


どこが違うか、ご興味のある方は比べてみて下さいね。



話を戻します。


ですから、この「実は消極的な歌詞」を、
「演者」が「優しさ溢れるメッセージソング」
として歌うことは、本当はとても難しい。
演者は、作者と何度も話し合い、
もしくは、言葉の裏の裏を読み込み、解釈に解釈を重ね、
その上で表面上の言葉を超越して、表現しなければなりません。
演者の技術としても、それこそフィギュアスケート
三回転半か四回転のような、
超のつく最高難度の技術が必要と思います。


が、演者の方々にそれをしているだけの
時間的余裕があったとは考えにくいですし、
歌も、残念ながら、そのようには聞こえてきません。
ですから、これは、矛盾のあるまま、
なんとなくざっくりと前向きに表現され、
聞く人によっては、ざっくりと
「誰でもそのままで特別。一番争いなんかしないでいい、皆仲良くね」
という歌になって伝わってしまったのではないかと思います。


しかも、歌ったのが、拡声機のような影響力を持つ人々です。
この人々が歌ったことで、計らずして「危険な」考え方を内包した
この歌の言葉は、様々な方向に独り歩きし、
日本中に響き渡ってしまったのではないでしょうか。



そして、「一番争いなんかしない方がいい。皆、平等なんだもの」と、
「もともと自分は特別だからね」と言う考え方のコンビネーションは、
そのまま「誰もが、自分とそのごく近辺の事にしか興味がない」
我が儘で内向的な「我欲に縛られた」社会に、直結しませんか?


この歌が、奇妙な社会の風潮を作った原因だ、と言うのではありませんが
時代の雰囲気を定着させるのに一役買ってしまった、
とは言えるのではないでしょうか。


もちろん、演者を批判しているのではなく、
その影響力の強さに、改めて驚かされているだけですけれども。



そこまで考えて歌を聞いている人なんていないよ!
という声が聞こえてきそうですが、まさにそこがポイント。
ほとんどの人は、ざっくり聞いて、ざっくりと印象で歌を捉えるのです。
ですから、その印象を決めてしまう言葉は大切なのですよね。


ですから、歌の歌詞を紡ぐと言うことは、本当に大変な責任のあること。
影響力のある人が歌う歌ならば、本来、尚更慎重にならねばなりません。
勿論、例外はありますが、「シンガーソングライター」による、
影響力のある「アイドル」への楽曲提供に、
個人的には疑問を覚える理由です。
「餅は餅屋」がよいのですよね。



私見ですが、この曲とは反対の好例として挙げたい歌が、
なかにし礼氏の作詞によるTOKIOの「Ambitious Japan」です。
言葉に力があって、素晴らしい歌詞の曲です。
現代版鉄道唱歌(?)として、今なお支持されている理由がわかります。
ご存じない方は、ぜひ、一度歌詞を読んでみて下さいね。


と、なんだかまとまりが無くなってしまいましたが、
そういえば、この演者の方々の歌では、ずっと昔によく流れていた曲の
この歌詞を、覚えています。


   笑顔抱きしめて 身体に力
   辛いことなら弾き飛ばせ
   君が笑えば周りの人だって
   いつの間にか幸せになる


トップアイドルらしい、前向きで、力があって良い歌詞ですよね。
もし仮に、歌い手が何の解釈も加えずに、ただ歌ったとしても、
受け取り手が、そのメッセージを間違えて受けとることはまずなさそうです。



この、多大な影響力を持つ人々には、
時代の流れに乗っかった安易なメッセージソングではなく、
ぜひ、今こそ、「自分のことは自分でやろうぜ」や
「自分の足で立とう」、「立ち上がれ!」といったような
ガツン、と人々の目を覚ます、勇気溢れる、直球の、きちんとした応援歌を、
ガツンと歌って欲しいと、ついつい願ってしまいます……。


また、長くなってしまいました。ごめんなさい。



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