The word and the action

慌ただしくしていて、少し(随分?)時間が空いてしまいました。
皆さんは、いかがお過ごしですか?


今回は、久しぶり(!)に舞台芸術について、書き綴ろうと思います。
まずは、タイトルの出典「Hamlet ハムレット」のことを少し……。



シェイクスピアの作品の中で、日本でも有名な「ハムレット」ですが、
「……良く知らないけれど、生きるか死ぬか悩む王子の話?」
と思われている方が、案外多いのではないでしょうか。が、これが、
「言葉と行動との関係」や「役者の在り方」を技術的に問う芝居で
あることは、あまり知られていないように思います。


よく、役者にとって最も演じるのが難しい芝居、などと言われる
作品ですが、その理由は「表現すべき人物の心理が複雑だから」
ではなくて、「人が言葉を発する時の、あらゆる方法が
散りばめられているから」なのですね。



ごくざっくりと説明しますと、人は、思う・感じる・考える事を
率直に話したり、嘘をついたり、誤魔化したり、と、
色々な「話し方」をしますよね。


聞く側の立場から見ますと、例えば、誰かが話しているのを聞いていて、
何となく「ああ、この人の言う事は分かりやすい」とか
「何を言っているのか分からない」、もしくは、「この人は信じられそう」
や「胡散臭い」などと感じることがありますでしょう。その印象を
決めるのが、話し手の、声と顔、身体全体を使った「言葉の発し方」
と思いますが、それのことですね。



総じて、聞いていて、話全体の内容が伝わる時や、心を打つ時は、
話し手の思考と言葉が一致していることが多く、逆に、どんなに上手く
話していても、発言の意図が分かりにくい時や、言っていることは分かるけれど、
どうも腑に落ちないという印象を与える時は、嘘をついていること・
腹の内を誤魔化していることが多いのですね。
日常生活の中でも、なるほど、と思う事がありませんか?


他にも、色々な「話し方・言葉の発し方」があります。
視野の広い人、狭い人、深く物事を考える人、考えない人の言葉の発し方。
話者が意味を理解しないまま発する言葉。客観的に真実を伝える伝達。
表面上の意味とは異なる事を伝える言葉。陶酔。まねごと。
真実を突いているのに、話すのが苦手な人もいれば、
口は上手いけれど、言葉に意味がない人もいます。
挙げるときりがありませんが、人は、
日常で本当に様々な「話し方」しているのですよね。



で、日常生活では、ほぼ無意識に行われるこの「話す」という行為を
意識的にコントロールする術を持っているのが、役者、と思います。
元々、自分のものではない考え=台詞を、もっともらしく話すのが
仕事ですから、これは役者の主要な技の一つ、「話し方の技」
とでも言うようなもの。主に訓練によって養われる、
芸術家のというよりも、スポーツ選手のものに近い能力、というと、
伝わりやすいでしょうか。



それでですね、「ハムレット」という芝居には、とにかく
様々な種類の人々の、様々な「話し方」が散りばめられているわけです。
ですから、これを演じる為には、役者は上記の「話し方の技」を、
しっかり体得していなければなりません。ですので、ただ台詞を覚えて、
「演じる」まねごとするのがお芝居と思っている役者には、
本来、技術的に、演じることが出来ない作品なのですね。


ですが残念ながら、現在国を問わず、この「話し方の技」を身につけている
役者のほうが少数派です。故に、適当な役者が大まかに演じ、大抵、
公演は上手くいかずに、結果ざっくりと「難しい芝居」と呼ばれる訳です。



それで、面白いのは、そういう役者事情は16〜17世紀当時も同じだったのか、
シェイクスピア自身が、「話し方の技」=演じるということについて
アドバイスを残しているのですね。それが、第3幕第2場、
ハムレットが劇中の役者たちに向かって言う台詞です:


  ...suit the action to the word, the word to the action, with
  this special observance: that you o’erstep not the modesty
  of nature...


実際はもっと長く詳細に満ちた台詞ですが、上記の要点部分を意訳しますと、


  「振舞いを言葉に、言葉を振舞いに、ぴたりと合わせよ。よくよく気をつけ、
   それぞれの物事の本質に備わった『度』を越してはならぬ」


といったところでしょうか。心の内を吐露する言葉なら、
実際、真実を話す人がするように、嘘の言葉なら、
本当に嘘をつく人がするように、戸惑いの言葉ならば
現実で戸惑っている人がするように話せ、ということですね。
自然を手本に自然に話せ。まさに、「話し方の技」を学ぶ極意です。



……で、突然、話題が飛びます。この裏ブログでもおなじみのV6。
実は、つい先日、震災後に初めて、録画してあった公共放送の映像を
再び見たのですが(以前、マニアックに事細く感想を書いた例の2曲ですね)、
やはり、腑に落ちるなあ、いいなあ、と思ったのですよね。
お芝居ではないけれど、全体の「振舞いが言葉に、言葉に振舞いが、
ぴたりと合っている」のですね。漠然と、暗い気持ちになっていた中、
これは本当に、真剣に嬉しかった。改めて
心から、これから益々活躍してほしい人々、と思いました。


そして、これから活躍の場も、どんどん広がる予感もします。
何となく、「影響力」の質が、今後、徐々に
変わってくるのではないかしら、と感じるからなのですけれど。
上手く言えませんが、今までは、「虚」であればあるほど、
影響力を持つことができたけれど、これからは「実(じつ)のあるもの」が
必要とされるようになると感じます。そして、そうあるべき、と思います。
やはり、結局のところ、action をきちんと伴う人々が、
必要ということですよね。


たかが芸術、されど芸術。個人的には、本当に良い役者(演者)の、
良い芝居(作品)を多く見ることは、現実での、人の「言葉の発し方」の
真偽を見極める能力をも養うことになると思うのです。例えば、
見ず知らずの人の「話し方」で、「この人は真実・嘘を言っている」や
「この人は信用できる・出来ない」を、ある程度の自信を持って
判断出来るようになると思うのですね。本物を見極める力にも、
勿論、繋がっていくと思います。だから、「本物」の人々には、
もっともっと活躍して、良い影響を撒き散らして欲しいと願ってしまいます。



逆に、あまりに酷いものを見せられ続けると、人の感覚は、
もしかして徐々に麻痺してしまうのではないかしら……。


例えば、TV。なんだか、近頃、番組の類を問わず、多くのものが、
作りものとも現実ともつかない、異様なものに映ります。こと、
震災後にそう感じることが多く、やはり以前は、その独特の異様さに慣らされ、
感覚が少し麻痺していたのではないかしら、と思ってしまうのですね。
以前なんとなく笑いながら見ていたものを、なんだか、今は冷やかに見てしまう、
もう見なくなった、という方は、案外多いのではないかしら。
麻痺が、なんとなく覚めてきたのかもしれませんね。
今後、徐々にTVの在り方も変わっていくのかしら……。
そうあって欲しいけれど……。


そういえば、個人的に、今後、そのTVでの重要性が増しそう、と
漠然と感じる人々が、やはりジャニーズの、TOKIOだったりして……。
「実」が、ありそうに見えるのですが、皆さんは、どう思われますか?



ところで、また話題が飛びます。相変わらずの政治状況ですが、
ふと思ったのだけど、内閣総理大臣を含めた大臣たちって、
公務員かしら。もしそうなら、今回の、首相・政府の一連の震災対応って、
公務員職権乱用罪とか、脅迫罪・強要罪業務妨害罪あたりに
当てはまらないのかしら……。今回の不手際が生み出した損害は、
本当に莫大で深刻と思うのですけれど……。ちなみに、彼らは、
the word と the action が伴わない代表例みたいなもの。


そんな中で、独自に一歩一歩前進を続けられている被災地の方々、
大変な労働条件の中、今も身体に鞭を打って活動されている自衛隊
警察、消防、東電の技術者、その他大勢の関係者の方々に
心から敬意を表します。一刻も早く、皆さんが、ほっと一息つける日が
やってきますように。



ちなみに、ハムレットの芝居で、最後まで生き残るのは、ホレイシオ。
真実のみを語る人物です。屍の山の中、新王となるのが、フォーテンブラス。
とにかく潔く迷わず行動を起こす人物。言葉と行動の複雑な関係を、
これでもかと羅列してきた芝居は、ごく単純に、さっぱりと終わります。



……と、気付けば、今回、ずっと書けずに頭の中にあった様々なことを、
とにかく全部吐きだした、ような感じになってしまいました。
なんだか、これをまとめ直すなんて多分、至難の技。今度、
時間があるときに読み直したら、迷わず削除する気もいたします(苦笑)。


ので、今回、まったくまとまりのないこのまま、本当に書き逃げを……。
ごめんなさい!



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