をかし

夏らしくなってきた今日この頃、皆さんはいかがお過ごしですか?


政治状況は相変わらず。最近は、実の無い言葉の応酬ばかりで、
政治が、ここまで空虚な腹の探りあいになるとは思いませんでした。
でも、ペテン師というのは、言い得て妙……。



代り映えのしないことなので、長々とは続けませんが、
言葉と行動について、少しだけ書かせてください。



実は、近頃気になるのが、こと現与党の政治家たちが揃って使う、
アイデンティティの摩り替え、とでも呼ぶべき話し方です。


例えば、AとBいう人物がいて、それぞれに顕著な行動があると
しますね。で、仮にAの行動には問題があり、Bの行動は
理に適っているとします。Aが、Aの(自らの)行動を弁護すれば、
Bは反論し、議論になりますよね。が、ここで、Aが、言葉上は
自らがBの行動をしているかのように話し、自らの行動を、
他人事のように堂々と批判するとします。これでは、
Bは議論のしようがありませんよね。責任転嫁の一種と思いますが、
こういった話し方をする現政府関係者が多く(殆ど?)、
この政党の特徴なのかしらと、少し不気味に思ってしまいます。



また、言葉を氾濫させて、「何だか訳が解らない」という状況に
してしまうのも、相変わらず……。


今回の、首相退陣に関わる一連の動きの最終目的は
「復興の妨げや政治空白の原因となっているものを取り除き、
体制を整え直して、政治を正常に機能させること」と思いますが、
言葉上、いつの間にか、「首相を辞めさせること」そのものに、
目的が摩り替えられつつあるように感じます。


最近の論調も、少々浮ついていて奇妙に感じますし、
気づけば、あまり代わり映えのしない新首相が生まれていた、
などということにならなければ良いのですが……。



こうなりますと、政治家やメディア報道の質云々ではなく、
情報の受け取り手それぞれが、きちんと物事を見極められる力を
持っていられるか否か、の問題になってきますよね。

メディアの作り出す「気分」に簡単には乗せられず、
情報の真偽を、自らで判断できるかどうか。


これから、ますます、その「見極める力」を問われる状況が
続くのではないかと察しています。気をつけていたいですよね。
自戒の念も込めて。


と、この辺りで止めておきます。……十分長いですね(苦笑)。




さて、今回のタイトル「をかし」。
すぐに「枕草子」を思い浮かべた方がいるのでは、と思います。
まさに、その作者・清少納言の好んだ、明るく理知的な美の感覚。
一方、紫式部の「源氏物語」に代表される「もののあはれ」は
感傷的な情緒美の感覚、でしたでしょうか。
(相変わらず、専門的正確性はきっぱり無視いたします(笑)。)



なぜ、こんなことを考えたかと言いますと、週末、ある本を
読んでいたから。Noel Cowardという、1900年代に活躍した
英国の劇作家をご存知でしょうか。軽妙で洒落た、
独特の喜劇を多く残した人物で、英国では(特に演劇界では)
かなり有名、と思います。週末、その人の名言集を読んでいたのですね。



Cowardは、よくその作品を「英国的」と評されるのですが、
母国への誇りと愛を、ごくシンプルに貫いた人のようです。
で、その名言集の中に、自分のPatriotism=愛国心についての
コメントがあり、それが面白かったのです。


「英国人は’most remarkable race=特異な種族’」と
偉そうに(笑)公言して憚らなかったこの人は、
英国人の数ある欠点には辟易している、と前置きした上で、
しかし、と続けています:



   ……it is what I love that really counts, and what I love
   about my country is really quite simple. I love its basic
   integrity, an integrity formed over hundreds of years
   by indigenous humour, courage and common-sense.



前後の文脈とあわせて、ざっくり意訳しますと:



   ……恨み言も多々あるが、この国の愛すべき部分だけが、
   結局、私にとっては、ものを言うわけだ。それというのは、
   実に単純なこのことに尽きる。この土地独特の
   楽観主義と勇気と常識が、何百年もの時をかけて、
   人々の中に培ってきた、心根の実直さ。
   それを私は愛してやまないのだね。



でしょうか。これは、個人的に、かなり納得、なのです。
この裏ブログでは、英国人の現実主義と呼んでいますが、
同じもののことを指していると思います。英国という国と、
そこに暮らす人々は、どこか、とてもあっけらかんとしているのですね。
潔い諦めというか、現実的な達観があるというか……。



で、ふと、自分にとっての日本の愛すべき部分は何かしら、と
考えたわけです。そこで、浮かんだのが、純朴さ、だったのですね。
美徳も悪徳も、その根本にあるものは、純朴さのような気がします。


更にCoward的に考えまして、その純朴さを培ったものは、
この土地独特の「をかし、無常観、もののあはれ」では
ないかしら、と思ったわけです。この三つの要素がバランスよく
保たれながら、素直さというか、素朴さというか、純朴さが
培われてきたのではないかしら、と。
(やはりここでも、専門的正確性は、きっぱり無視(笑)。)



それでですね、個人的な印象ですが、近頃の日本には、著しく
「をかし」の感覚が欠如しているように思うのです。
「知的興味をそそられる、感覚的、直観的な明るい情緒」が。
代わりに、「もののあはれ」が、やけに肥大化している、と。
しかも、個人的な感情・感傷に直結する「あはれ」だけが、です。


うまく言えないのですけれど、このアンバランスが、日本が表面上、
少し奇妙になってしまった大本のような気もするのですよね。
必要とされる知的な「軽妙さ」に欠け、代わりに重苦しい
感情的な「軽薄さ」が溢れている、ように感じます。



でも、「をかし」の感性を復活させれば、例えば、
今の政治状況を評しても、「いとわろし」でおしまい。
ごくけろりと、さっぱりと「馬鹿な事してないで、さっさと
政治家の仕事すればいいじゃん」と言えるのではないかしら。


個人的には、「をかし」派、と思います。「もののあはれ」に、
共感するところも、勿論、ありますが、
浸りすぎると危険と、距離をおいてしまうのですね。


皆さんはいかがでしょうか……?



そういえば、遅ればせながら、夏〜秋にV6がコンサートを
行うと知りました。ぜひ行ってみたいけれど、どうにも
世情に疎く、チケットの取り方がよく分からないのですね。


で、姉に聞きましたら、部外者(?)がチケットを
取るのは、たぶんほぼ無理、という返事でした。
やはり人気があるのですね。嬉しく、悲しいです(苦笑)。



ちなみに、彼らは「いとをかし」と感じさせてくれるものの代表格。
コンサートに行かれる方は、ぜひ楽しんでいらして下さいね!
(まだまだ先の話ですけれど……)




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