真夏の夜の夢

七夕も過ぎ、夏まっさかり。皆さんは、いかがお過ごしですか?
しかし、とにかく暑いですね。この裏ブログが、最近、
隔週の更新になってしまっているのも、暑さのせい……という訳では
ありませんが(笑)、皆さんがお住まいの地域は、
ここよりも過ごしやすい気候でありますように。



ところで、たまりにたまっていた新聞を、再びまとめ読みしました。
政治のごたごたは耳にして、何となく想像をしていたものの、
実際に記事で色々と読むと、嫌な気持ちになりますね……。


が、暑さのせいか、漂う閉塞感のせいか、どうも、思考回路が停止気味。
感覚だけで物事を捉えてしまうこの頃です。



それで、最近、TV番組や、政治の様子を眺めていてふと覚えるのが、
「何か」が躍起になっている、という奇妙な感覚なのですね。


上手く言葉になりませんが、日本国内での価値観は、震災以降、
やはり少し変わったと感じます。が、かつての価値観から
抜け出せず、今もそれを押しつけ続けようとする「何か」がある感じ、
でしょうか。政治の世界を筆頭に、全てが停滞している原因も、
その「何か」のような気もします。


で、その「何か」というのは、人々の「感情」が、全てに
おいて先に立ってしまっている社会の状態、なのではないかしら。
何となく、時々ふと、地に足がついていないような、
奇妙な感じを覚えるのも、社会全体が「感情」に
流され易くなっているからなのではないかと思います。



たかが感情、されど感情。人の欲や感情というものは、行きすぎると、
とても恐ろしい「何か」に化けるのですよね……。



舞台の世界では、そういった「感情の怪物化」が
顕著に現れると思います。


例えば、リハーサルの過程で、役者の欲や感情が肥大化し、
強い影響力を持って、舞台に係わる全ての人の
まっとうな感覚を狂わせてしまうことがあるのですね。


芝居の内容によって狂気の質は異なりますが、役者を筆頭に、
芝居作りの中核をなす人々が、現実から乖離した異様な雰囲気にのみ込まれ、
リハーサルの間中、目を覚ましているのに、夢を見ているような
状態に陥ってしまうことがあります。芝居と現実の区別がつかなくなって、
後で思い返すとごく異常な事が、その時は当たり前のように
感じられていた、などという事が起こり得るのですね。
舞台に関りのある方には、心当たりがあるのではないかと思います。



英国ロイヤル・シェイクスピア劇団でも、昔、実験的作品作りを進め、
野心的にハムレットのリハーサルをしていた若手俳優の集団が
そういう狂気状態に陥り、自殺する役柄の女優が、現実世界でも
命を絶ってしまうという事件が起こったと、聞いたことがあります。



で、そういう集団の異様な状態が起こってしまった場合は、
実は、ごく単純に、事実をはっきりとさせればよいのですね。
例えば、起こっている出来事を紙に書き出し、羅列するだけでも、
状況の因果関係が明確になりますし、そうなると、集団ヒステリアの
根本にある事実は、意外と単純、と気付くことが多いのです。
演出家の身勝手な野心ですとか、主演役者への周囲の嫉妬ですとか、
役者間の恋愛ですとか、ね。人々がそれを隠そうと足掻き、
嘘をかぶせ続けることで、全体が少しずつおかしくなっていくのですね。
感情は、状況を曖昧にすればするほど、力を持ってしまうようです。


が、その狂気の原因の単純さを悟った途端、熱が下がるように、
すとん、と狂気はふるい落とされるのですね。そして、
1人が抜け出すと、集団全体も、徐々に目を覚ましていくようです。


全員が熱心で野心的だった、上記のロイヤル・シェイクスピア劇団の例は
稀で、大抵はどんな役者集団にも、異様な雰囲気に対する、
原始的で健全な嗅覚を持った役者が一人は含まれ、狂気に陥っても、
本番前には、集団ごと夢から覚めるはずなのですね。



と、長々と、舞台の世界の異常事態について書いてしまいましたが、
この「感情の怪物化」は、一般の日常生活の中でも起こり、
時には、社会全体が陥ってしまうこともあるのだと思います。


今の、原子力放射能に関連する政治の混乱も、「欲と感情」が
世に蔓延していることと無関係ではないと感じます。政治の世界は
きっと「原始的で健全な感覚」を失って、感情が支配する状態に
陥っているのではないかしら。ただ、これは今に始まったことではなくて、
長い間ごく異常にそこにあったものが、現在、膿を出すように
吹き出されているだけ、なのかもしれませんけれど。



それを外から眺めて判断する人々の感覚も、情報過多やストレスで、
歪んでしまっているのではないかしら。よく、政治の世界だけ
社会の常識から切り離されている、と言われるのを聞きますが、
むしろ、政治の世界の異常は、TV等のメディアの世界や、
それにあっさり影響を受けてしまう人々の感覚の異常を
反映しているだけのようにも思えます。


今までは、その歪みすら歪みと感じられないような価値観が
大手を振っていたけれど、今はさすがに歪みが歪みと見え始めているはず。
が、これまで歪みの価値観の中で権勢を誇っていた人々には、
この事態は一大事。だから、人々を感情的に煽って、またその感覚を
歪めさせてしまおうと躍起になっている、という感じがします。
意識して、というよりも、それぞれが、それぞれの恐れや欲に
突き動かされて、行動している結果と思うのですけれど。そして、
人々が訳が分からなくなり、右往左往している、という印象があります。



……少々感覚的過ぎますね。


無理やりまとめますと、「感情」に傾き過ぎるのは、大変危険、
と感じている、という事です。それから、例え感情に偏っている
のではないとしても、本当に有能な政治家の方々は、有能であるがゆえに、
考え過ぎて、今、身動きが取れなくなっているのかもしれないという事。
が、このような時期には、ともかく原始的にシンプルに物事を捉え、
率直に発言し行動に移すのが良いのだと感じます。
被災地の方々の為にも……。


ちなみに、こうして何だか訳の分からないことを書いている自らへの、
自戒の念を込めています(笑)。


皆さんはどう思われますか?



今回のタイトル、「真夏の夜の夢」は、ご存じの方もきっと多い、
シェイクスピアの人気作品の一つ。これは、物語の進み方が、
「感情が肥大化していく狂気」の課程を、端的に表現しているように
思うのですね。劇中の登場人物も、それを見ている観客も、
知らぬ間に、少しずつ奇妙な「夢」の中に引きずり込まれていきます。
そして、気付いた時には狂ったような騒ぎの真っ只中にある、という訳。


で、登場人物たちは、疲れ果て眠りに落ち、朝日の中で目覚めた時、
健全な感覚に戻って、昨晩の狂気を振り返る、のですね。
勿論、個人的な見解ですけれど……。



と、気付けば、今回も長いですね(苦笑)。そろそろ自重します。



そういえば、前回の記事にコメントを頂きました。
ありがとうございます。ご意見に、勿論賛成です。過度の緊張や
気負いは演者最大の敵。それがパフォーマンスに
影響してしまっては、本当にもったいないですよね……。


前回少し触れたアレクサンダー・テクニックは、心身の緊張を
コントロールするリラクゼーション術のようなもの。
俳優に限らず、歌手、踊り手、音楽家、舞台に立つ全ての人々に
有効な技術と思います。生真面目で緊張癖のある人々には、特に。
自然と、身体のあちこちに生じる不要な力が緩和されていきます。


個人的には、緊張から解放された長野さんの声の可能性に、
期待してしまうのですね……。勿論、他の方の声も、とても好き。
そして、声が重なる様々なハーモニー部分も大好きです。



ちなみに、V6の中で、他にアレクサンダー・テクニックが
役に立つのではないかしら、と感じるのが、井ノ原さん。
映像で見る限りのごく勝手な想像ですが、気負いの方向が、
長野さんとは逆のような気がします。腕の付け根と胸の辺りに
外側に開くような緊張が出るタイプで、もしかして
腰に痛みがきたりしてはいないかしら……。


逆に、リーダー二人には、リラクゼーション術は、必要ないように
この目には映ります。動きが滑らかで、演技中は気負いも無駄も無い感じ。


三宅さんと岡田さんは……ええと、不思議な二人ですよね。
ラクゼーションがいるような、いらないような……。



……と、そういえば、一年くらい前に、深夜の番組で、
6人のオーラの色云々というのを見ていて、
それぞれの色に、成程!と、納得したことを思い出しました。


実は、声とオーラには関連がある、と言われているのですよね。
それぞれの色と声とを照らし合わせてみて、中々楽しかったので、
次回は、そのことについて書いてみようかしら。今週から暫くの間、
のんびりペースでの仕事ですので、そう遠くない折に……。



と、気付けばさらに長くなり、図らずして、タイトル通り、
夏の夜に書きなぐった、という内容になってしまいました。
まさに書き逃げです。ごめんなさい!
……暑いからです(笑)。



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