価値観

いつの間にか、立秋を過ぎていました。
8月は、まだまだ夏と言う気もしますが、頂点を過ぎた、
秋に向かう感じはあって、妙に納得の「立秋」です。
皆さんはいかがお過ごしですか?


昨晩、ロンドンでの暴動のニュースを遅ればせながら見て、溜息……。
一体、人々はどうしてしまったのでしょうね、と思う反面、長い間、
先進国での「人の生活は、どこか現実味の無い状態が続いていたから、
来るべき時が来ただけ、という気もします。英国という国が、
この出来事に、今後どう反応するのか、個人的には、興味深いところです。



さて、今回は、「価値観について思うところを書こうと思います。
何となく、社会全体の「価値観」が歪んでいると感じているのですね。
この裏ブログでも、何度か書いている、「本物を見極める力」の欠如とも
繋がること、と思うのですけれど……。


そんな事を、ふと考えた原因は、実は、先日行ったドライブ。
子供の頃、度々訪ねていた場所を、久しぶりに訪ねたのですね。
で、そこに行くためには、ひたすら海岸線の道を走る……はずが、
驚いた事に、その海岸線の道がすっかり閉鎖されて、代わりに、
山を突きぬける、長い大型トンネルが開通していました。
落盤事故があって、ここ10年弱の間に急ピッチで工事が進み、
数年前に全開通したのだそうです。


その場所は、それまで陸の孤島になりがちだったのが、このトンネルの
開通で、一気に経済圏の仲間入りをしたということでした。
ので、地元の方には良かったということかしら、とは思ったのですが、
個人的には、複雑な気持ちでした。


海岸線の道(旧道)からは、その土地独特の、美しい海の景色を
見ることが出来たのですね。それが、まったく閉鎖されてしまい、
今は、目的地までは、行けども行けども、真っ暗なトンネルなわけです。
旧道を閉鎖したのは、諸事情あれども、やはり維持管理費用の面が
大きかったよう。


私見ですが、大きな視点から見れば、「便利」の代わりに失ったものは、
決して少なくは無い、と思っています。感傷ではなく……。



……と、まったくタイトルと繋がらないように見えるかもしれませんが、
ええとですね、落盤事故発生から、新道路の開通、旧道の閉鎖に至る
一連の流れは、様々な物事を一ずつ判断し、向かう方向を決める
決断を繰り返した結果、ですよね。で、「様々なこと」を判断し、
決断を下す時の基準となるのが、何を良しとするか、の価値観です。
で、この価値観に少々違和感を覚えたのですね。


と、長々と説明しましたが、そんないきさつで、
ふと「価値観」について考えてしまった、という訳です。



早速、話を戻しまして、価値観の歪みについて、です。
以前も書きましたが、近頃は(前から?)、何もかもが、すぐ
短絡的な感情論、又は極端な責任論となってしまう気がします。
物事の因果関係を的確に捉えた上で、ごく建設的に議論を進めるという、
単純で大切な事を、社会全体がしていない気がするのですね。


で、その理由が、価値観の歪み、もしくは、健全な価値観の欠如、
にあるのではないかしら、と思うのです。



この国の、良し悪しの判断基準=価値観は、ものごとの質を問うもの
ではない気がします。というよりも、多くの場合、一般的な金銭感覚、
名誉感覚によってのみ、価値を決めているのではないかしら。
さらに、長い間、健全な価値観の代わりに、一部中枢のご都合主義の
ような、奇妙な合理性がまかり通ってきた、とも感じます。


例えば、良いものだから高い、ではなく、高いから良いもの、となる。
良いものが有名になる、ではなく、有名だから良いもの、となる。
良いものが賞を取る、ではなく、賞を取ったから良いもの、となる。
もしくは、「安い・便利」は、とにかく良いもの、といったふうに。
で、金銭・名誉の価値を決めているのが、経済的・都合的合理性、と。



そうなっていった原因は、やむをえない時代背景等、様々あるはずですが、
個人的には、教育・食育の質の低下が大きいのでは、と思っています。
生きるという実感と共に、考えたり・感じたりする力が、
育まれ難い環境なのだと思うのです。代わりに、個々の好き嫌いの
感情のみを肥えさせる環境、と言う訳ですね。勿論、これは
教育現場だけではなく、社会全体の問題として、ですけれど。



少し話がずれましたね……。
ええと、価値観の欠如が、短絡的感情論を生む、ということですね。


自らで考える力や、自らの身体で感じる感覚が鈍りますと、
物事の本質や価値が、自らでは見えなくなると思います。思考・信念の
拠所が無くなり、そうなると、大多数が考えている(らしい)方向に
賛同することで、なんとなく価値を量るようになりますよね。


が、基本、そういう価値観は、自らの腹で感じたことから来ているもの
ではありませんから、ごく不安定と思います。で、例えば
「一般的価値観」がぶれ始めると、頼るものが無くなり不安になる。
はっきりしているのは、好き嫌い・喜怒哀楽の感情ですので、
それに頼り、故に、主に感情で物事を捉えるようになるのではないかしら。
そして、感情による価値は、公平な判断材料にはなり難いのですね。



今、まさに、判断の拠所となるべき価値観が、感情にとって代わられて
いて、その為に何もかもが、堂々巡りになっている気がします。
「どこに向かいたくて、その為には、どうすればいいのか」という、
シンプルで建設的な論が、表立って出てこない、のですね。



例えば、「……古いものを壊して、一から新しくすることだけが、
進歩発展と考えられがちだけど、最新技術の粋を使って、
古いものを守り、何の変化も無いかのように維持することも、
一つの進歩発展の形。壊し、新しく建てることの仕事は、
いつかは終わるけれど、守り維持すると言うことの仕事は、
無くならない。近頃は、「時」というものの価値を、軽く捉え過ぎ。」


という上記は、個人的な価値観に基づいたランダムな意見ですが、
これに対する、いや、私はこう思う、いや、それはこうだ、といった
議論は、それぞれが、それぞれの価値観をきちんと持っていなければ
始まりません。で、そこの議論が出来ないと、
社会全体の価値観の方向を決める事も難しくなります。
結局、「核」が曖昧なままでは、何も先に進まないのですよね。



ということで、今は、とにかく、全ての根本となる「価値観」を
じっくりと見直すべき時期なのではないかしら、と思ったのですね。
政治、経済、芸術、教育、生活、医療、全てを形作る基礎となるのが
その国の人々の共有する健全な価値観と信じます。


個人的には、やはり、「日本人とは何かという問いに
社会全体が、きちんと取り組むべきと思っています。
客観的に、また本質的に。
そこから、色々なものが明確に見えてくるのではないかしら。
世界と向き合う価値観を持たなければならないなら、なおさらです。


海外生活が比較的長く、また異国の文化を生業にしているからこそ、
余計そう感じてしまうのかもしれませんね……。


皆さんは、どう思われますか?



そう言えば、昔、英国のTVで、「英国的」とは何かということを
テーマに、視聴者投票をしているような番組がありました。


利害から客観性を欠く主要TV局ではなく、各地方局で協力し合って、
ごく素朴に、全国一斉に、そんな特別番組をやってくれないかしら、
などと思ってしまいます。意外に反応があると思うのですけれど……。


……なんだか、結局また訳の分からない書きなぐりになっていますね。
ごめんなさい。そろそろ自重します(苦笑)。



最後にもう一つ。価値観の歪みから、「好き嫌い」と、「良し悪し」も
混同されている気がします。例えば、好き嫌いを横幅とするならば、
良し悪しは縦幅の尺。好き嫌いは、感情が決めるものですが、
善し悪しは、健全な価値観によって判断されるもの。今は、その縦幅を
評価する基盤が歪んでいる状態、ですものね。この国の「一流の芸術」
が、今一つ微妙な理由かしら……って、暴言でした(笑)。


が、草の根レベルでは、健全な価値観をもっている人々が、
沢山いるのだと思います。それが日本の強み、ですものね。そこが、
きちんと力を持つようになって欲しいと、ついつい願ってしまいます。




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