原点回帰=日本版ニルス…?

先日、新しい政権が発足しましたね。新首相の言葉は、
きちんと意味を伴っていると感じますし、震災後半年経って、
やっと「政治」が「政治」として動き出したような「印象」はあります。


が、新内閣の顔ぶれを見て、個人的には、がっかり。そして、
世論調査では中々期待が高いという記事を読み、つい溜息……。


で、今回は、自戒の念も込めて、ごく感覚的に、最近気になったことを
書いてしまおうと思います。(……って、いつも通りかしら。)



実は、数日前、新閣僚の面々が官邸入りするニュース映像を見た時、
官邸に入っていく人々の態度が「様になっている」という印象を受け
少しほっとしたのですね。政権交代後、何となく全体的にぎこちなかった
現与党に関わる人々も、「入閣」という出来事に慣れてきたのかしら、
などと思いながら見ていたのですが、同時に、ふと覚えた不安が、
自らの感覚は、今、正常かしら、ということでした。


以前も書きましたが、物事の好き嫌いを決めるのは、横幅の判断基準、
良し悪しを決めるのは、縦方向の判断基準だと考えています。
その縦方向の判断基準となる理性的な基盤を、今、自分がしっかり
持っているか、という事に対して、何となく不安を覚えたのですね。



例えば、「様になっている」と感じた映像ですが、それは
「政治家風」だった集団が、経験を重ねることで、ちゃんとした
政治家へ徐々に変わりつつあるのを見ている、と感じたのか。
もしくは、仕事の本質は履き違えられたまま、「政治ごっこ
そのものが、本物として認識されつつあるのを眺めていただけなのか。
それとも、今まで見せられていたものの程度が低すぎた為に
「見る目」が誤魔化され、次第点に過ぎないものが、優れたものに
見えていたのか。そういうことに対する自らの判断に、
なんとなく自信が持てない気がしたのですね……。



地震津波という災害が起こり、今までの半年間は、その非日常の延長に
いたけれども、前首相の退陣で、その非日常に一段落ついた気がします。
これから、震災という非日常は、徐々に「傷を負った日常」へと変化して
いくのだと思いますが、この「非日常から日常への過渡期」においては、
人間の肌感覚は、少々麻痺してしまうのではないかと思うのですね。


で、肌感覚が麻痺している時に、奇妙な価値観を押し付けられると、
人々は「……まあ、そんなものかな」と、案外あっさり受け入れてしまう
ようにも思います。(人の世?で、正気=Sanity を保つのは、
実は、すごく大変なことなのかもしれませんね……。)



そして、今は、「立ち止まって考える暇はないものの影響力はある」
という人々が、「奇妙な価値観」を次々に生み出し、発信していくという
社会のシステムと思います。個人的な意見ですが、メディア関係の人々には
特に、「立ち止まって深く考えることなく、思いつきと感情で
内輪受け価値観を発信していく」という傾向があるのではないかしら。
そして既に、震災の齎したものの意味をあまり考えない、新たな
「内輪受け価値観」が平然と発信されているのではないかと察します。


ですから、例えばTV等をあまり見ないでいますと、「奇妙な価値観」の
発信源が分からないまま、その流動的な価値観が生み出す雰囲気に
何となくのまれて、戸惑ってしまう気がします。


ともかく、自らも含め、社会全体が、又、地に足がついていない状態に
なっていると感じるこの頃で、その雰囲気に知らず知らずの
うちに慣らされていることに、不安を覚えたのではないかと思います。


それで、以前、演劇世界の狂気と重ねてちらりと書きましたが、
こういう時、一番危険なのは、曖昧さ。そして、漠然と不安を感じたら、
とにかく事実を単純に羅列することが、一番健全なのだと信じます。



という訳(?)で、直感的に今の日本でもっとも曖昧なのが、
アイデンティティと感じていますので、「日本」に関して、
ぱっと思いつく単純な事実を、言葉にして並べてみようと思います。



日本という国は……


・比較的肥沃で水に恵まれた国土を持つ島国。
・四季があり、一年を通して、気候に著しい変化がある国土を有する国。
・南北に長く、風土・気候が地域によって大きく異なる国。
・日本語を話す人々が住む国。
・ざっくりと自然信仰の国。
・国土の約四分の三が、森林と農地の国。
・神社・仏閣を多数有する国。
・領土内に、一つの系譜から続く「天皇」という存在を、1,500年以上
有してきた国。
・主に神事を担う、歴史ある特異な「王家」が現存する国。
鎖国政策下で、他国との交流が極端に制限された200年の後、他国と
交流を持ち始めてから、約150年しか経っていない国。
・その150年という短期間に、西欧化、戦争、敗戦、急速な
近代化・経済成長を遂げるなどの、急変化のあった国。



ざっと、こんなあたりが浮かびます。特に珍しくもない当たり前の事かも
しれませんが、こうして言葉にすると、何だか少し距離感がでて、
「へえ、そういえば、こんな国だね」と意外に感心してしまいませんか?
(……しないかしら。)


個人的には、今、この国を覆う漠然とした不安の根源は、結局、
どのような国でありたいか、という問いへの答えが、いまだ不明確だ、
ということに尽きる気がします。で、その答えを導き出すためには、
やはり、まずはどのような国なのかを、客観的に知ることが
大切なのではないかしら。そして、それを知る為には、
ごく単純に、地理・風土と、各地で伝統的に続いてきた産業と考え方を
再確認することから始めるのが良いような気がするのです。


ここで、最も大切と信じて疑わないのが、確認の過程で、出来る限り
センチメンタリズムや感情に走らない事。主観・利害云々を抜きにした、
単純な事実の収拾・記録作業をすること、と思うのですね。



まずは、日本の自然と四季と伝統的な暮らし方を再確認し、価値基準の
基盤を作ってから、直近の150年の中で発展してきたものを再確認し、
現状の世界の価値観とも照らし合わせ、それぞれの物事の価値を
再検討していくのが、良いのではないかしらと思っています。
そうすれば、日本と言う国は、色々な意味で
力強く立ち上がれるのではないかしら。




……って、一体、何を考えているのでしょうね(苦笑)。


何だか、与党やメディアのお祭り騒ぎにすっかり惑わされたけれども、
やはり大切な根本は、今も置き去りにされたまま
と感じているのかもしれません。


新首相は、前首相とは異なり、きちんと言葉に力があるのだけれど、
聞いた後に、どこか、額の裏の辺りに障る何かがあるのです。
うまく言葉にならないのですけれど……。それが個人的には不安です。


新首相の取り組みは、政治家としてとんちんかんではないけれども、
現在の「特異な状況下での首相」としての物事の優先順位のつけかたを、
見誤っている気もいたします。勿論、私見に過ぎないのですが、
やはり新首相も、結局のところ、どんな国にしたいか(目的)、よりも
どんな政治をしたいか(手段)、に重きを置いている気がしてなりません。
手段の作成が目的になっているような……。


最終目的達成の為に、まずは手段を整えてから、というのは分かりますが、
達成したい「目的」が、やはり、前首相同様、ごく曖昧に感じます。
そこに、そこはかとない不安を覚えてしまうのかもしれません。
今は、政治を変える、のもう一つ上、しっかりと政治を行って、
日本と言う国を変える、というような時期と思うのですけれど……。


この台風による更なる被害への対策も、国としては何だか変わらず
後ろ向き。劇的に何かが変わるとは、決して思ってはいませんが、
新総理・新内閣が生まれたと言っても、ぐったりした閉塞感が、
まだまだ蔓延している感じがあります……。光明は何処?


ああ、明るい、明るい何かが見たい、としみじみ思うこの頃です。



ところで、個人的な事ですが、幼い頃、ニルスの不思議な旅、という
番組が大好きでした。勿論、本も読み、こちらも大好きでした。
英国時代に親交が深かったスウェーデン人の役者仲間2人がニルスの
「故郷」の出身と知った時、意味もなく親近感を覚えてしまったほど。


その彼らがですね、「ああ、あの本はスウェーデンの地理の教科書だね」
と言うのを聞き、へえ、と思ったことがあります。


で、7月に放映された、北欧関連の番組を最近見ましたが、そこでもやはり、
地理の先生だった作者セルマ・ラーゲルレーブが、自らの足で、二年に亘り、
地理を入念に調べあげ、その上で作品を書きあげた事が語られていました。


日本も、スウェーデン同様、縦に長い国ですし、地理も変化に富んでいて魅力的。
誰か、日本版ニルスとでも言うべき素敵なお話を書いてくれないかしら。
で、楽しみながら地理や産業、簡単な歴史を学ぶことが出来れば、この国の
子供たちにとって良いのになあ、などと、うっとり考えてしまいました。


もしも、既にそんな児童文学がありましたら、ご存じの方、
ぜひ教えて下さいね。
……と、今回、訳のわからないこのまま、書き逃げします!
ごめんなさい!(……でも、いつも通り?)



Players