星空を眺める

10月も中旬に入り、すっかり寒くなったと思っていたら、ここ数日は、
蒸し暑い日が続きますね。先日も、うっかり厚手のカーディガンに
スカーフなどを巻いて出かけましたが、汗だくになりました。



そういえば、日本では、人々は実際の気候よりも、暦に従って
服装を決めるとは思いませんか?例えば、冬に初夏並みの
暑い日があったとしても、とりあえずジャケットとブーツで出かけ、
逆に、夏に初冬並みの寒い日があっても、やはり半袖とサンダルの
基本は崩さない、と言う感じですね。


先日も、暑いなあと思いながらスカーフを外し、周囲を見回しましたが、
似たような秋の装いをしている人が殆ど。しかしですね、待ち合わせを
していた米国の知人は、ケロリとタンクトップ姿でした(笑)。


真面目といいますか、規律正しいといいますか、こんな所にも
国民性がでるのかしら、と少し愉快な気持ちになりました。


皆さんは、いかがでしょう?秋の装いでお出かけでしょうか?



さて、早速ですが、前回の書き込みで触れたV6のコンサート。
再度行ってきました。そして、緊張せず、ちゃんと見てきました。
少し時間が経ってしまいましたが、今回は、そのことを書いてしまおう
と思います。……が、間違いなく独断的自己満足的記述ですので、
くれぐれも、軽く読み流して下さいね(笑)。



ええとですね、ズバリ、楽しかったです。
まず、席が良かったのですね。チケットを手配してくれた姉は、
あまり良い席ではないみたいと言っていましたが、どうしてどうして、
個人的には、最良の座席。全体がまんべんなく見渡せる位置で、
隊形が変わる様子(とても重要(笑))などもきれいに見えました。
しかも一番後ろで、背後の方々に気を使うことなく、
ゆったりと観コンサート?ができる座席でした。


それから、上から見る全体の景色も中々素敵。照明が落ちると、
観客が持つ色とりどりのライトが、会場を覆うように光を放ち、
とても美しいのですね。一回目の時も思いましたが、
あれは、眼下に夜景が広がっているようで、ともすれば、
宇宙を漂っている錯覚すら覚えてしまいます。



で、星空を上から眺めるような中で、ステージ上に6人の演者が
スッと現れるのを見た時は、迂闊にも心を動かされてしまいました。
非日常の高揚を体感したというか、舞台の持つ「夢物語的な部分」の
結晶を見たというか……。中央舞台から六方向に延びる通路の、
それぞれの端に現れた6人が、そこから、中央に向かって
歩いて行くのですが、その完璧な、夢物語の主人公のような
姿に、ああ、舞台の上に生きている人々だなあ、と、何だか感動。


そして、かつて、ピーター・ブルック演出の「テンペスト」という
芝居を見た時のことを思い出しました。暗転の後、真っ白な衣装を纏った
黒人の役者が、頭に船の模型を乗せ、長い木筒を手に
ゆっくりと歩きながら舞台上に現れたのですね。木筒は、
左右に揺らすと雨のような音を奏でるアフリカの楽器で、
黒人役者は空気の精の役。


芝居は、魔法によって引き起こされた大嵐から始まるのですが、
この、たった一人の黒人役者が、荒れた大海原と、そこに漂流する船、
そして、その自然現象を引き起こしている魔法までを体現していた、
という訳。全身総毛立つほど感動したのを、今でも覚えています。



感動の種類は異なるかもしれないけれど、今回、心の動かされ方が、
その「テンペスト」を見た時のものと同質だった気がします。



……って、感覚的過ぎて訳がわからないかしら。ええとですね、
……とにかく同じくらい楽しかった、ということですね(笑)。



お客さんも、打てば響くという感じで、会場が熱気に包まれていたのも
また、いとをかし、でした。舞台は、やはり観客によっても随分変わるのですね。


そういえば、前の席に座っていた父娘連れのお父さんも、双眼鏡で
がっつり舞台を眺め、さらにV6が1人ずつリフトに乗って近くに
やってくる度に、一生懸命手を振っていましたっけ。もしかして、
ファンは娘さんではなく、お父さんなのかしら……。
観客の大多数を女性が占める中で、なんだか不思議で
微笑ましい光景だったのを思い出しました。



と、不思議といえば、もう一つそんな感覚を覚えたのが、
コンサートの半ばに入るお話の時間です。MCと言うのでしたっけ。
何が不思議かといいますと、同じ空間で本人たちが話しているのに、
いつの間にか映像を見ているような気になっていたからですね。又は、
まったく関わりのない人々を、窓越しに観察しているような感覚に。
勿論、話の内容は愉快で、とても楽しかったのですけれど。


舞台上で繰り広がっているものはパフォーマンスではないから、
当たり前なのかもしれませんが、その時に舞台と客席との間にあった
不思議な距離感が、個人的にとても印象的(象徴的?)でした。



と、言うわけでですね、以下、その「不思議さ」を、ごく無意味に、
かつマニアックに解析してみることにします(笑)。



また英国演劇の例で恐縮ですが、演者が舞台上で演じるときには、
大まかに3パターンの表現の仕方がある、というのを学んだ事があります。


ごくざっくり説明しますと、第1パターンは、内に向かう表現。
演者が、自らの為に自らに向けて行う表現ですね。逆に第3パターンは、
外向きの表現。外側に向かって、ひたすら発し続ける表現方法。
で、第2パターンというのが、それらの中間で、内から滲み出るものを
外に向かって発し、かつ外からの反応を内に取り込む、全体を
演者の演技の中に巻き込んでいく表現の仕方、なのですね。
(ちなみに、シェイクスピアで最も望ましいのが、第2パターンだそう。)



で、コンサートの、他の多くの部分が、第3と第2を行ったり来たり
していると感じたのに対し、MC部分は、第1パターンに似たものが
主流を占めていたのではないかしら。だから、舞台の向こう側の世界が
客席方向には広がって来ず、どこかガラスを挟んだ映像のようだった、と。


端的に言ってしまえば、観客は置き去りにされているのだけど、
でも、それで然るべき、なのですね。
その、内方向に向かう彼らだけの世界を、観客の多くが
愛おしそうに眺めている感じ。それをV6も分かっている感じ。
それが、なんとも独特で、不思議で、きっとこれが
「アイドル」という存在なのだなあ、と、勝手に納得してしまった、
というわけです。(勝手な解釈過ぎるかしら……。)



しかし、あの後、会場をまた「パフォーマンス」の空気に戻して行く
のは、大変だと思うのですね。難しい事をやっているな、と思わず脱帽。



ところで、演者には、様々なタイプがありますが、
大まかには、2種類に分類されるように思います。
一つは、人の注目を浴びるのが好きというタイプで、
もう一つは、舞台上で表現をするのが好きというタイプ。


一般的に、職人肌と言われるのが後者タイプで、例えば
役者の場合ですと、役柄を離れると、目立つのが苦手な、
シャイな人々であることが多いのですよね。彼らは、大抵、公と私を
見事に分けています。逆に、前者タイプは、公と私の区別がほとんど
無い、ということが多いよう。国を問わず、そうだと思います。



で、個人的な独断と偏見により(笑)、V6全体としては後者だと
思っていますが、アイドルという「私」的な部分を内包する「公」、
パフォーマンス時の技を見せる「公」の二つを、絶妙に
使い分けている感じ。とても危うい(?)ライン上に、
見事なバランス感覚で存在している、という印象です。
今、円熟味が増してきて、さらに、もしかして、演者のとしての
新たな立ち位置を模索中で、より、そう見えるのかしら、と思ったりして。


今後は、どんな方向に挑戦するのでしょう。……ごく地味に
大胆な挑戦をしそうですよね。ますます楽しみです。



……と、無意味かつあまり明確ではない解析は以上です(笑)。



そういえば、忙しい日々が続いたせいか、食に中ったのか
実は、当日、すこぶる体調が悪かったのですね。とりあえず
無理やりコンサートに出向いたものの、その晩は高熱間違いなし、
というくらいだったのですが、コンサートを見終えて帰る頃には
ケロリと回復していて、驚いてしまいました。……V6的神通力?



と、気付けば、訳の分からない感想文になっていますね……。
演目(?)についても書きたいことは山ほどありますが、
長くなりそうなので自重します(笑)。


ところで、タイトルの、星空を眺める、というのは、今回の
観コンサート?体験の全体の印象なのですね。直接的に
会場を埋め尽くすライトの光景のイメージもありますが、
色々含めて、ざっくりと、こういう印象でした。




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