直視することと単純であること

夏以降、慌ただしい日々が続いた為か、秋以降、奇妙な気候が続いた為か、
久しぶりの休みの週だというのに、うっかり風邪で寝込んでいます。
やっと復活の兆しが見え始めた今日この頃……。


皆さんはいかがお過ごしですか?体調を崩したりなどしていませんか?



さて、今回は、熱と咳に魘されつつ、少しだけ真面目なことを
書こうと考えています。ずっと、もやもやと頭の中にありつつも、
なかなかまとめられずにいたことですが、この国の政治の状況と、
社会全体に漂う空気について感じるところを、言葉にしておこうと
思うのです。ので、今回、少しだけ、お付き合いくださいね。




新内閣が発足して2カ月が経ち、やっとこの政権の本質が見えてきた、
と感じています。そして、現首相の言動に付きまとうのが
「周到な卑屈さ」という印象。で、結局のところ、現首相も前首相同様、
本物を装う偽物、なのかしら、とがっかりしている所……。


ただ、現首相は、自己認識が客観的なのだと感じます。故に、自分に何が
求められているのかを、外の視点から知り、その「求められるもの」に
合致するよう、取りあえずは無難に頑張れてしまっているのではないかしら。


が、物事の本質をきちんと見極める力や、広い視野、的確な判断力、
将来を明確に描くための想像力といった、曖昧だけれども、
今、最も必要とされる政治家としての能力は、欠如しているように、
この目には映ります。故に、本物になろうとしている偽物、に
見えてしまうというわけですね。



そして、今、こと疑問に感じるのは、「実行能力」の有無です。


奇妙な例えですが、オフィスの状況と仮定してみますね。
ある部署に、解決し文書にまとめなければならない山積みの案件が
あるとします。その一件、一件に対応し、必要部分を調べ内容をまとめ、
書類化して、それを然るべき書棚に収めなければならないとします。


で、今までほったらかしにされていたその仕事に、ある時、ある人が、
手を付けて処理し始めたとします。暫くすると、案件は一件、一件
解決され、文書にまとめられ、体裁の見事な書類が出来あがり、
徐々に書棚に納められてきている、とします。


作業を行っているその人は、一生懸命働いているように見え、実際、
書類は一見、見事に出来あがっているように見えるのですね。


が、きちんと詳細を見てみると、個々の案件への対応は拙いもので、
問題の根本的処理はなされないまま、とりあえず上面を無理やり
まとめただけで、結局整っているのは、書類の体裁と書棚だけ、と。



現首相は、全般的にそういうことをしている様に感じられてならないのです。



で、恐ろしいのは、現首相は、ある程度自分の信念を持ち、
前2政権の尻拭いをしつつ、上手く政治が回っていくように、とにかく
頑張っているように「見える」ところ。故に、何がこの政権の問題か、
はっきりとは分かり難いところ、と思います。


が、これは、身も蓋もないようですが、問題点は、もう単純にばっさりと
「器」なのではないかしら、と思うのです。前首相のように、誰の目にも
明らか、ではないけれども、今の状況に対応できるだけの器量が、
少なくとも現時点では、現首相には無いのではないかしら。


ですから、仕事や努力をしていないのではなく、本来、専門家ならば、
呼吸をするように行える仕事の基礎の基礎を、額に汗しながら
こなしていっている、という印象があります。
自らの能力範囲をはるかに超えた仕事を、何とか必死にこなそうとし、
余裕と深みと的確さに欠けたまま突き進んでいる、という感じ。



でも、これではいくら頑張っていても、一流の仕事に辿りつく訳が
ないのですよね。そして、今は、一流の人々に、一流の仕事を
してもらわなければならない時期。
頑張っている、ということは、人柄の評価には値するけれど、
政治家としての評価には、本来加えるべきではないと考えます。



そして、首相以下、国政を担う器量のない人々が、必要な知識も
経験もないまま、上面のみを舐めながら仕事をしているのが
現在の内閣・与党と思うのです。これは、大問題とは思いませんか?



言ってしまえば、民主党という政党そのものに、限界があるのですよね。


自らの専門での例えを使いますと、現民主党政権は、由緒ある劇場での
ロングラン公演を任され、右往左往するアマチュア劇団のよう。
例えば、役者なら、いくら気持ちでは良い演技をしようと思っていても、
きちんと声と身体を作り、技術を磨いて準備をしていなければ、
良い演技などできるはずがないですし、演出家なら、演出のノウハウを
知らずに良い演出などが出来るはずがないのです。
専門職の技能というのは、一朝一夕に見につくものではありませんよね。


政治家としての技能ならば、余計にそうと思います。


それを、今まで政治家の「ふり」をすることのみに集中し、
実のある準備をしてこなかった集団が民主党と思いますから、今、
付け焼刃の知識のみで、まともな仕事がこなせるはずがないのですよね。



対して、やはり政治家と名乗って然るべき政治家を多く有するのが自民党
正直なところ、現在の自民党執行部にも良い印象は持っていませんが、
それでも、国会中継を一度でも見たことのある人は、多くの自民党議員の
政治家としての成熟度を感じざるを得ないのではないかしら。


舞台人の端くれという自覚があり、良識あるアマチュアならば、
自らには過ぎた任務と潔く身を引き、プロフェッショナル劇団に
頭を下げて、ロングラン公演を受け継ぐようお願いすると思うのです
けれど、政治家集団ではそうもいかないのでしょうね……。



もしくは、いつの間にか、気楽な「野党」職に満足している感のある
自民党執行部では、受け皿にはならないのかしら。
もしかすると、まずはプロフェッショナルの集団側が、自覚を新たにし、
目に見える変化を遂げてくれなければ、変わるものも変わらないのかも
しれませんね……。勿論、ここで言うだけは簡単なのですけれど。


ともかく、社会全体が現実を直視し、きちんとした判断を下し
「本物の専門家」の手に、この国の政治が任される日が、
一刻も早く訪れますように、と願わずにはいられません。




そして、そんなトップのもやもやが、今、社会全体に、疑心暗鬼と、
閉塞感と、短絡的感情論を蔓延させているように感じられてなりません。
政府を筆頭に、国全体が、現実をごく単純に直視する勇気を
失ってしまっているような……。



例えば、今、巷で何かと取りざたされる中国や、韓国に関する問題、
在日に関する問題も、事実を客観視し出来る限り単純に、
問題の本質だけを捉え、冷静に対応をすれば良いと信じます。
物事は、曖昧であればあるほど、感情に走らざるをえなくなりますから、
面倒であっても、事実を直視することを怠ってはいけないはず。



国同士の外交のレベルでも、他国が何をどう考えようと、他国の勝手ですから、
本来、口を挟むべきことではありません。が、自国の事に関して
他国に口を挟ませる必要は、もっとありません。やはり、卑屈になることなく
事実を直視し、堂々と自国の利に適う判断を下して対応すべきと思います。


で、そういった面倒な事柄を直視する勇気は、ごく単純でいることから
生まれると思うのですね。同情も、嫌悪も、卑屈さも取りはらった、
ごく原始的な自我と、ごく当たり前の誇りを持つ、という単純さからです。


そして、そういう、人や国としての単純な自我と誇りを持ってさえいれば、
誰にどんな理不尽な要求を突き付けられようと、堂々と、謙ることなく、
また横柄に高慢になることなく、はねつけることができると思うのです。


そして、そういう単純さは、何よりもまず、自らを熟知することから
生じてくるのではないかしら。何度も書いていますが、やはり
日本人自身が、長所短所を含めて、日本と日本人というものを、
よく知る努力をするべき時期と思うのです。そうすれば、本当に
色々なことが見えてきて、様々な分野で道が開けていく気がします。



個人的には、土地の自然と結びついて、長い年月をかけて育まれてきた
「国民性」というものは、そう簡単には変わるものではないと思うのですね。
そして、日本の国民性というものは、良くも悪くも「内向き」。ですから
日本は、今こそ、内に向かうべきではないかしら、と思っています。
(だからこそ、外交を担う国のトップには、きちんと外向きの
視点をも兼ね備えた「政治の専門家」が必要と思うのですね。)


例えば、日本古来の美しい国土と産業を取り戻すことに力を入れて、
そこに、全精力・全技術力を注ぎ込む、でも良いですよね。
例えば、江戸の町は、自然のままにされているようで、すべてに
人の手が入り、人工的に整えられた不思議な庭園都市だったそう。


よく未来の世界は、コンピューターで制御された、ハイテク世界として
描かれるけれど、過去と未来の「風景」は同じでも良いのではないかしら。
見た目は数百年前と一緒でも、内部の構造はまるで違う、といったものが、
未来都市の理想像となっても良いのではないかしら、などと思ってしまいます。



勿論、これは一つの例えに過ぎませんが、とにかく、今の日本には、
新しい価値観を産み出すことが、今、一番必要なのだと思います。
関係無いようだけれども、放射能汚染に対する過剰反応も疑心暗鬼も、
地に足のついた新しい価値観をきちんと定着させることで、
落ち着いて行くと思うのですね。復興政策も、経済問題も外交も、
原点に必要なのは、地に足のついた、新しい価値観と思います。


「安さ」や「経済成長」を信仰し、「グローバライゼイション」を
崇拝する価値観は、個人的にはとても古いと感じます。例えば、隣国
韓国の国家強化戦略を成功例としてあげる論調を耳にしますが、
そういった「成功」を成功とする価値観そのものが、既に古いと
思うのです。視点を全く変えて、新しい世界の構造や、物事の価値観を
産み出していく時期と思います。日本こそ、温故知新の精神で
積極的に、そういう方向転換をすべきではないかしらね……。
……とはいっても、現政府には、望むべくもないことかしら。
ああ、虚しい。


でも、土地と自然、そして歴史と文化とが示すこの国の本質を
きちんと再認識することを、まずは小さな、個々のレベルから
少しずつ始めてみるのも良いかもしれませんよね。


皆さんは、どう思われますか……?



と、気付けば、また訳の分からないことを長々と書いてしまいました。
間違いなく、熱のせいです(笑)。
ええと、今回は(今回も?)、病人の戯言と、軽く読み流して下さいね。
再び熱が上がってきたようですので、書き逃げし、このまま寝ます(笑)。



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