十二月雑記

……ええと、再び二週間以上が経ってしまいました(苦笑)。
先週までひたすら忙しくしていまして、今週、延ばし延ばしにしてあった
雑用を終え、やっと一息ついたと思ったら、もうクリスマスは目の前。
2011年も終わりに近づいているのですね。本当に早いものです。
皆さんはいかがお過ごしですか?


さて、ここ1,2カ月の間、気になりつつも時間に追われ、言葉に
できずにいたことを、今回書いてしまおうと思います。相変わらず
政治に関する事が中心になってしまいますが、少々お付き合い下さいね……。



現政権が発足して暫く経ちますが、やはりトップが誰であっても、
現政府・与党には、政権を担当する能力がない、という認識を
日々強めています。そして、そう感じている人は多いのではないかしら。


今という時期は、国内外ともに激動の真っ只中なのですよね。
もうこれ以上、この国には、素人たちの頑張りを、温かく見守っている
余裕などないのではないでしょうか。直ぐにでも政権を交代し
体制を立て直さなければならない状況という気がします。ですから、
本来ならば、世論が積極的に政権交代を訴えているべき時期なはず。



ですが、その先陣を切るはずのマスメディアは相変わらずの偏重ぶり。
2年前の政権交代の時には、実の無い揚げ足取りで執拗に騒ぎ立て、
時の政権を解散総選挙にまで追い込んだと記憶しています。


が、今は、なぜか言葉狩り・揚げ足取りは自重ムード。
防衛大臣ら閣僚の、一連の失態・失言は、それこそ
公人としての資質を問われるべき「実のある」失言・失態ですのに、
結局は何となく放置されてしまいましたものね。個人的には、
ピーターと狼」の寓話を、思い出してしまいました。



メディア全体が、現与党サポート・反保守で一致している
ようにも感じられ、だとすれば、中立を守るべき立場の人間の
誇りはどうしたのかしらと、怪訝に思わずにはいられません。



……ただ、TVや新聞の世界にも、まともな判断力を持ち、現在の
メディアの在り方に疑問を覚えている人々は多くいると思うのですよね。


ですから、内部からの自浄作用――良識ある人々の奮起と勇気ある行動を、
ごく地味に期待し、ごく地味に応援してしまうこの頃です。



また、諸事情から、もしメディアがそう簡単には変われないのならば、
人々が、「考えない」癖、もしくは「考えているふりをする」癖を
止めることが、社会に大きな変化を生み出す力になると思っています。



実は、近頃気になるのが、ニュースなどで見かける、興味も知識も
ないと思しき人々が、メディアの作り出す政治イメージそのまま、
もっともらしく批判をする様子なのですね。よくあるコメントは
「政治家など誰も同じ」や「与党も野党も変わらない」、または、
「庶民の感覚が分からない政治家など信用できない」というもの。


が、少し調べれば、政治家は誰でも同じではないことは分かりますし、
与党と諸野党の方針に違いがあることも分かります。ですから、
本当は、「有能な政治家」にきちんと仕事をさせていないのは、
メディア報道を鵜呑みにし、無責任な投票をして現与党に権力を
与えてしまった有権者自身なのですよね。で、そういう事に気づけば、
したり顔の安易なコメントなど出来なくなるはず。



……そう言えば、少々話題がずれますが、個人的には、
「庶民感覚」の政治家を信用していないのですよね。
庶民の意見にきちんと耳を傾ける度量さえもっていれば、
むしろ政治家の給料が無くても困らない「資産家」のほうが
政治家に向いていると思うのです。


勿論、賛否両論あるとは思いますが、問われるべきは
政治家としての資質で、元々資産家であるという出自は、
おまけの利点でこそあれ、欠点ではないと考えます。
(鳩山前首相は、資産家云々の前に、資質の点で論外。)
歴史的に見ても、むしろ、元々お金を持ったことの無い人間が権力を
得た場合にこそ、私欲に走り危険になる可能性が高いのではないかと思います。



逸脱ついでにもう一点。世襲です。なぜか近頃、政治家の世襲
叩かれ続けていますよね。が、職業の世襲は、日本ではごく普通のこと
ではないでしょうか。芸能の世界もそうですし、商売も職人もそう。
子が親の商売を継ぐことは、むしろ美徳にすらなっていると思います。
単純に考えれば、政治も然りなのではないかしら。幼い頃から
その職業を間近に見ている事が悪いとは、決して思えません。


ですから「世襲政治家=利権屋、悪」は、メディアが生み出した
「政治家叩き」の悪イメージなのではないかと思います。
冷静に考えますと、金持ちの政治家や世襲が駄目という理由が
「庶民の気持ちがわからないから」では、信憑性に欠けますし、
前述のように、庶民の訴えを聞く耳さえ持っていれば、政治家に
庶民の「感覚」が「分かる」必要はないと思いますので……。



むしろ、政治家には、膨大な量の知識や、深い理解力、大局を見る力、
判断力・決断力が必要で、その仕事内容は、「一般庶民」に安易に
理解できるようなものではないはず。ですから、「庶民」たちが、
好き勝手に政治家に対して口出しできる力を持ってしまうことは、
実はとても危険と思うのですよね。


庶民、と言いますか、有権者に必要なのは、単純に、正誤を見極める力と
少しの想像力なのではないかしら。そして、「自分の生活」に関する
正確な認識。この3つの能力があれば、どの政治家が、自らの生活の必要性を
十分に満たしてくれる政治をするかを、見極めることができるのだと思います。
そして、その見極めこそ、一有権者の担うべき義務なのではないかしら。
そういえば、今、情報開示が流行りですが、過度の情報など、人々の
見極めの邪魔をすることの方が多い、無用の長物なのではないかしらね。



と、随分長々と話題が逸れましたが、要は、人々がきちんと考え、
自らの意見をきちんと持つことが、とても重要と思うのです。
もしくは、もし「知らない」のなら、生半可な知ったかぶりをせず
「興味がないので知らない」と、きちんと言える勇気を持つ事。
考えることを放棄するのならば、せめて「無知の知」を弁えることが
必要なのではないかしら。
それが、延いては、人々の無知に付け込んで支持を得ていた
実のない政治家たちの基盤を崩すことに繋がると思うのですね。



今は、社会全体の上辺のみ、どこか安穏としてしまっているけれど、
日本という国は、きちんと変わらなければならない時期と思いますし、
日本人という人々は、きちんと行動を起こすべき時と思います。


震災直後に多くの人々が垣間見たはずの、日本人としての原点を、
人々が、すでに忘れ去ってしまったとは思いません。草の根レベルで、
静かに、でも真のAwareness=自覚が育ってきていると信じます。



……などという、訳のわからない事を考えていた数カ月でした。
相変わらず、長々と書いてしまってごめんなさい(苦笑)。



そういえば、なぜか、最近やけに思い出してしまうのが、
英国の首相 Winston Churchill の有名な演説の下記の部分です:



I have, myself, full confidence that if all do their
duty, if nothing is neglected, and if the best arrangements
are made, as they are being made, we shall prove ourselves
once again able to defend our Island home, to ride out the
storm of war, and to outlive the menace of tyranny, if
necessary for years, if necessary alone. At any rate, that
is what we are going to try to do...(中略)...we shall fight
on the seas and oceans, we shall fight with growing
confidence and growing strength in the air, we shall
defend our Island, whatever the cost may be, we shall
fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds,
we shall fight in the fields and in the streets, we shall
fight in the hills; we shall never surrender, and even if,
which I do not for a moment believe, this Island or a large
part of it were subjugated and starving, then our Empire
beyond the seas, armed and guarded by the British Fleet,
would carry on the struggle, until, in God’s good time,
the New World, with all its power and might, steps
forth to the rescue and the liberation of the old.
   

(ざっくりとした意訳:もし我らが、各々に与えられた責務を
其々にやり遂げ、最善の手を尽くすのならば、例え何年
かかろうとも、例え孤立無援になろうとも、我らは、この戦乱を
生き抜き、独裁者の攻撃にも耐え抜いて、再びこの祖国の島を
守り抜くことが出来よう。それが我らの進まんとする道なのだ。
……(中略)……大海原で戦い、大空を制し、どのような犠牲を
払おうとも、我らはこの島を守り抜かねばならぬ。この地の
何処ででも、決して屈することなく我らは戦い抜いてみせよう。
そして、起こり得るとは微塵も思わぬが、仮に、この島が支配され
苦汁を舐めさせられる事態になったとしても、その時には、
海の向こうの盟友たちが、我が艦隊に守られ、この戦いを
引継ぐのだ――新世界(の国)が、然るべき時にその全勢力を
もって我ら旧世界(=英国)の自由の為に立ちあがるまで。)




戦争云々ではなく、帝国主義賛美云々でもなく、
このスピーチに込められている素直な愛国心と率直な決意に、
何となく、今、共感を覚えるのかもしれませんね……。


皆さんはどう思われますか?



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