「ろみ男」

寒い日が続きますね。日本海側では暫くの間、大雪が続いていましたが、
今はやや落ち着いているのでしょうか。日本の自然は、美しいけれども、
厳しいですね……。何だか、天気予報を見てしみじみ考える(?)
この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?


気付けば、前回更新から随分時間が経っていました。先週末、
一つ仕事を片付け、今週、折を見て……と思っていたはずが、
いったい、いつの間に週末になっていたのでしょう??
近頃、色々な意味で、感覚が鈍っている気がしてなりません(苦笑)。



さて、ここ暫く在宅での書きものが多く、午前中に時間がある時に、
ちらちらと国会中継を見てしまいました。相変わらずの事ですが、
一つだけ、何度でも言葉にして確認しておきたいことが、現与党は、
本当に性質の悪い素人集団、もしくは騙り政治家の集まりだという事実。
言葉は悪いですが、彼らの言動を見ていると、
本職は、「政治」ではなく「騙り=詐欺」と思わされてしまいます。


にも関わらず、今の主要メディアが主要メディアとして力を持ち
堂々と「報道」を続ける限り、その問題点が的確に指摘されることは
もしかして無いのではないかしら、と近頃、強く思います。



ずっと以前からですが、こと震災以降、きちんとした職業政治家たちが
一貫して指摘してきているのは、民主党という政党が、政党としての
「実」を持たないという事実で、故に、気軽に国の運営を任せては
大変危険ですよ、という事だと思います。とても重要で、とてもシンプル。


が、このまっとうな「職業政治家たち」の、上記のような
冷静な指摘が、後に見るニュース報道で公平に要約されることは、
皆無に近いのですね。どころか、奇妙な編集で
的外れの議論をしているかのように報道されることもあります。



例えば、奇妙な例ですが、講演で、ある美術館の説明をしていたとします。
で、話の合間に、少しだけ話題が逸れ、そういえば、という感じで、
その美術館近くにあるカフェの紹介でもしたとしますね。もしも、
後の報告で講演そのものの要約が、「カフェの紹介」になっていたら
明らかにおかしいとは思いませんか?政治に関して言いますと
そういう奇妙な事が、堂々と公共の電波を使って行われているのですよね。



そして、多くの人々は、その偏ったニュースを鵜呑みにしてしまいます。
そして、それがそのまま、いわゆる「政治不信」に繋がるという訳。


勿論、私も、あまり興味の無い事柄に関しては、ニュースを流し聞いて
そのまま鵜呑みにしますから、当然といえば当然。だからこそ、
報道というのは、とても難しい、責任のある仕事なのだと信じます。
そして、現在の報道の在り方に、強い疑問を覚えてしまうのですね。



個人的に心から不思議なのは、報道人や報道知識人に顕著な
偏った反自民党感情です。与党でいようが野党になっていようが、
とにかくなんでも悪いことは自民党に押し付けようとする姿勢が、
いくら屁理屈で正当化しても、隠しようがないほどに明らか。


が、本来、政党云々に係わらず、悪い点は悪い、良い点は良い
と指摘する、第三者の立場を貫くことが、まっとうな報道人の
在り方なのではないのかしら。今、報道に携わる人々に、責任感や
義務感、そして罪悪感といった感覚は、本当にまったくないのかしら、と
とにかく不思議でなりません。


……ただ、最近はですね、悪意がある無いではなく、本当に物事が
分かっていないだけなのではないかしらと、疑うようになりました。
故に、右往左往しつつ、ひたすら感情論に走っているだけ、と。
これは、一言できっぱりと、みっともないことですね。



などと、どうしてもシビアな物の見方をしてしまうこの頃です(苦笑)。




ところで、今回のタイトル、「ろみ男」。いったい何?と、思われるかしら……。


実はですね、今、「ロミオとジュリエット」を扱っています。
この話は、オリヴィア・ハッセーのジュリエット版や、
レオナルド・ディカプリオのロミオ版の映画の影響もあり、
「甘く切なく悲しい恋物語」として、日本でも人気が高い、と思います。
タイトルやテーマの関係上、二人は素敵な恋人同士の象徴、というイメージが
強いですが、個人的には、どうにも納得がいかないのですね。



こと、ロミオ。ジュリエットへの愛を貫いた悲劇の美青年、ですが、
よくよく見ていくとですね、なんとも情けない、やさダメ男なのですね。


ご存じの方も多いと思いますが、元々はロザラインという別の女性に
恋焦がれていて、ジュリエットとの出会いの場となった仮面舞踏会へも、
その女性の顔を見たいが為に出かけていく訳です。
そこで、あっさり心変わりをするのですが、心変わり云々よりも、
ロザラインに相手にされず、泣き暮らしていた頃、
「他の美人に目を移せば、忘れられるぞ」という従兄の忠告を
頑なに拒絶し、ロザラインへの愛と忠誠を散々誓い倒していたはずが、
結局は、ケロリと従兄の忠告通りの事をしている所が、何だか情けない。



そこに目をつぶってもですね、めでたく両想いになり、結婚した
直後の事。うっかり浮かれて、空気の読めない行動をした挙句
余計な手出しをして、日常の「喧嘩」を悲惨な殺人事件へと
発展させてしまうわけです。さらに、そこで殺された友人の為に、
というよりは、その事で自らの名声が汚された事に腹を立て、
うっかり「キレて」、友を手にかけたジュリエットの従兄を
殺してしまうのですね。……頼むよロミオ、という感じ。



で、追放の沙汰が下された時も、潔く腹をくくることなく女々しく泣き叫び、
全ての不幸を、自らの愚行ではなく、生まれと名前のせいにして、
神父に叱りとばされます。さらに、初夜の後、別れの朝の場面でも、
よく見るとダメダメぶりを発揮しているロミオ。


まだ朝ではないわ、行かないで、という新妻に、分かった、俺、
ここに残ったら殺されるけれど、それが君の願いなら残る。死よ来い!
それがジュリエットの望みだ!さ、愛しい人、お喋りを続けようか?
と返す訳です。……ロミオどうよ、という感じ。



また、ジュリエットが死んだという誤報を受け、自らも後を追う
決意をして、毒薬を買いますが、その買い方が情けないほど横柄。
毒薬の販売は違法ですから、わざわざ貧しくて金に困っていそうな
薬剤師を選び、ズバリ金を積んで脅して、売らせる訳ですね。


さらに、死ぬ為に向かった霊廟で、親が決めたジュリエットの許婚と鉢合わせ、
取りあえずこれも、と、手にかけてしまいます。この芝居中、
ロミオを除いて5人が命を落としますが、何と、直接・間接あわせて、
全員の死の原因が、実はこのロミオ。……ああ、なんだかなあ、ロミオ。
なぜそうロミオなんだろうか、という感じ。



で、そんなことを考えながら台本を作るうちにですね、頭の中で、
いつのまにか名前の変換が「ろみ男」になっていて、
恰好悪すぎてぴったり、と姉と大爆笑してしまいました。



……が、ですね、ロミオ情けないなあ、と呆れ果てるのですが、
同時にふと、人間って所詮そんなものかしらね、とも思わされるのですね。
移り気で、自分勝手で、時勢も読めず、後先を考えず、責任もとれず、
感情のおもむくままのたうち回り、全てを人のせいにしたがって、
さらに人に頼ってばかり、と。きっと、多かれ少なかれ、
全ての人にそういう部分があるのだろうなあ、と。



ロミオの台詞の中に



   O, I am fortune’s fool! (ああ、俺は、運命の神の道化だ!)



というものがあります。これは、なるほど、自覚はあるのね、と、
何となく、この間抜けでみっともないロミオを、
愛すべきキャラクターに保ってくれている一言です。



自らの力ではどうしようもない「流れ」の中で、足掻き、
大小の過ちを犯し続ける人の姿を、ロミオは体現している、
という所なのかしらね……。



人は、それぞれが、それぞれの信念や立場や価値観に従って、
間違いながら、のたうちまわって生きている訳で、見方を変えれば
悪人が善人に、善人が悪人に変わってしまうのですよね。


私が、みっともないと感じる「ろみ男」のような人々も、
私が、正しいと感じる「まっとうな」人々も、勿論、私自身も、
所詮、皆、同じようにFortune’s foolといったところなのでしょうか……。



と、相変わらず訳のわからない事を考えた二月の初めでした(笑)。



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