兆し

風邪をこじらせ、うっかり一週間ほど寝込んでしまいました……。
どうやらやっと復調の兆しが見え始めた今日この頃。
皆さんはいかがお過ごしですか?体調を崩したりしていませんか?



……気付けば、今日は3月11日、震災からもう一年が経つのですね。
が、ものごとは果たして好転しているのかしらと、疑問ばかりが
先に立つ一年になってしまった気がします。
次の一年は、地に足の付いた、堅実な一歩を踏み出すもので
あってほしいと、強く願ってやみません。


個人的には、生活に、目に見える大きな変化をもたらすものは、
本当の意味での政治の力と考えていますので、一日も早く、今の素人集団
から、まっとうな政治家たちの手に、国政が戻ることを願っています。


そして、そうなった折には、「国を守り復興を果たす」という、
まっとうな政治家たちのまっとうな働きを、主要メディアが
妨害する、というような愚行が繰り返されない事を、
心のどこかで無駄かしら、とは思いつつも、期待してしまいます。



また、今、再び震災後の数カ月を振り返った時、複数名から
万死に値すると評された前首相の失策が、正当に
裁かれる日が訪れますように、と願わずにはいられません。


震災直後から書いていますが、こと、原子力事故の状況を、天災から
人災に変えたのは、当時、権力の中枢にあり、判断と決断を任されていた
前首相の愚行と虚言の数々と信じて疑いません。また、現在、事態の解決
と収束の大きな枷となっている、多くの無用の論争も、大元は、この人物の
発した「全て東電の責任」という無知かつ無責任な一言にあると感じます。


責任を問うべき深刻さの度合いが増せば増すほど、責任が追及されなくなる
という不思議な傾向がこの国にはありますが、それが許され続けては、
政治が益々素人の手で蔑にされることに繋がってしまうと思うのです。



個人的に、今でも強く覚えているのが、震災から数カ月が経ち、
原発事故も危機を脱したかのような空気が流れ始めた頃、
どこかの局で放送された、第一原発で働く下請け会社の作業員の方の
短いインタビューです。確か、事態は収束に向かっていますか、という
問いに対する答えだったと思いますが、「向かう訳が無い。元々、
一企業の手に負えるような性質の事故では無いものを、国が無責任に
東電一社に押し付けて、まかせっきりにしている状態。一企業の力では、
これ以上悪化しないようにするのが精いっぱい。国が主導して、あらゆる
勢力を結集させて収束にあたらなければ無理」というような返事でした。


もしかして、今でもその状況に変わりはないのではないかしら、と危惧します。
福島原発の被害というものは、一気に汚染が広がったというよりも、比較的
対処可能だった事故が、有効な対策が取られないまま放置されたが故に、
数か月、半年とかけて徐々に拡大していった(ている)というのが、
単純な事実なのではないかしら、と思うことすらあります。
勿論、個人的な見解に過ぎませんけれども……。



現政権も、「検討」ばかりが先に立ち、決断する責任を負わないという体質に、
さほど変わりはないように感じます。現首相は、とにかく現状における
物事の優先順位を見誤り続けているのではないかしら。故に、原発
係わりの無い被災地の復興ですら、今も将来の展望が開けないまま、
後回しにされてしまっているように感じられてなりません。



権力は悪のように言われて久しいですが、ものごとを正しく判断して、
大勢の人々の行動の方向を決めて一斉に動かす力、というものが
権力なのですよね。まさに使い方次第の代物で、やはり
復興を現実的に主導するのに、欠かせない力と思います。


故に、権力は使い方を知る正しい人々の手にあってほしいと願います。
権力が小市民化してしまうと、こと、有事には状況を悪化させるのだと
思いますし、小市民が権力を手にした時に、悪政と独裁に繋がる事が、
圧倒的に多いのではないかしら。適材適所が、全ての基本と信じます。
と言う訳で、やはり、素人政治家集団に権力を持っていて欲しくは
ないのですよね……。



それともう一つ。こと政治に関して言えば、学者や大学教授などの
いわゆる「有識者」と呼ばれる人々が、自らの仕事の領分を弁えることも、
大切と感じます。あくまで「調べる・考える」のが専門の人々、と思いますが、
その意見を実行者=政治家たちがどう参考にし、どう実行に移すかにまで
近頃の「有識者」たちは、口を挟むことが多いような気がします。


実行者たちは、「ここから先は自分たちの領域。口出し無用」位の
気概を持って意見を聞かなければ、机上の論理に現実が振り回されて
しまいかねません。その辺りの、専門的な分担意識が、
この国はどうも曖昧な気がします。


そろそろ総「総合職」嗜好・思考を脱却して、専門職の重要性に
気付いても良い頃なのではないかしら……。



……などと、病み上がりに、ついつい相変わらずの事を
長々と書いてしまいました。そろそろ自重します(苦笑)。




そう言えば、今扱っている「Cymbeline」という芝居の中の
台詞のひとつが、中々素敵なので紹介しますね。


ごくまっとうに真面目に生きているのに、次々と不運に見舞われる
青年の、苦しみを見るに見兼ねて、亡くなった両親と兄二人が、
安息の地Elysiumからやってきて、Jupiter神に、正当な助けを、
と懇願する場面があるのですが、そこに現れたJupiter神の台詞です:



   ......Poor shadows of Elysium, hence, and rest
   Upon your never-withering banks of flowers.
  Be not with mortal accidents oppressed,
  No care of yours it is, you know ’tis ours.
  Whom best I love, I cross, to make my gift
  The more delayed delighted. Be content,
  Your low-laid son our godhead will uplift:
  His comfort thrive, his trials well are spent......


   (ざっくりとした意訳:
   エリシウムの死した影どもよ、去れ、そして
  おぬしらの住まう、永遠に花咲く楽園で眠るがよい。
  現世のものごとに心を痛めるでない、
  其れはおぬしらのあずかり知らぬこと、我らの領域じゃ。
  最も愛する者には、より試練を与えるのが、我らのやり方、
  祝福が遅く来れば、得る喜びもひとしおとなるものゆえ。
  安堵せよ、おぬしの貶められし息子は、神の手が救いあげよう
  喜びは栄え、試練の時はすぐに終わりを告げようぞ。)



この言葉が、多くの人々に当てはまる事を願いつつ……。



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