愉快なもの

今週は天気が大荒れでしたね……。
しかも、肌寒い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしですか?


それにしても、こう異常気象が続くと、取りあえず神社にお参りに
行っておこう、という気になりますね(……ならないかしら)。
明日にでも、散歩がてら近所の神社に行ってこようと思います。



さて、早速ですが、前回同様、今回も、近頃気になる、愉快な
言葉使いについてを書こうと、随分意気込んでおります(笑)。



実はですね、今日、「桜をご鑑賞してみませんか?」
という張り紙を見て、一頻り腹を抱えて笑ったところ。
「……もっと言い回しをご検討してみませんか?」
と、思わず呟いてしまいました。


あまり気にする人がいないのかもしれませんが、
「桜を観賞されませんか?」、もしくは「花見の集い」や
「観桜会へのお誘い」では駄目なのかしら。ああ、不思議。



そして、もう一つ、近頃TVを見ていて気になるのが、
「貰う」と「与える」の乱用です。特に、人々が「感動」と「勇気」と
「元気」を与えたり貰ったりする、あの独特の言い回しですね。
近頃は、老若男女、年がら年中、元気を貰ったり、
感動を与えたり、勇気を頂いたりしていて、もう大変。


既にイラっとする段階を過ぎ、聞く度に、姉と腹を抱えて笑う日々です。


美しい景色ですとか、頑張る姿ですとか、ディズニーランドなどからも
勇気や元気を貰っている、と真摯に語る人々の姿を見る度に、
イヤ、いろいろ貰いすぎだよ、と戒めの言葉を呟いてしまいますし、
ぜひ「感動」を与えたいと言う人々からは、まだ何も受け取ってはいませんが、
姉妹とも陽気さは与えて貰っている、という事で、取りあえずはいいのかしら。
……って、酷い言いようですね(苦笑)。



個人的には、むしろ、まっとうなスポーツ選手が、例えば
「代表として恥ずかしくない戦いをしてきます」などと言うのを聞くと、
何だかじんわり心を動かされ、実際に「代表として恥ずかしくない戦い」
をしているのを見ると、ずいぶん勇気づけられます。



が、例え同じことをしていても、「観客に感動を与えられれば良いと思います」
では、何となく興ざめしてしまうのですね。



勿論、「言葉」が人を表す全てではありませんが、語彙があまりにも乏しく、
表現が安っぽくなると、それに伴って、思考や行動そのものも、
どんどん薄っぺらになるような気がしてなりません。


これは、「言葉は変わり続けるものだから」という言い訳で、
放っておいてほしくはない、とても大切な問題と感じます。



……例えばですね、もし政治家が、「今国会中にこの法案とか
通してあげないと、マジやばいのであります。政治生命をかけて、
これをやり通させて頂き、リスペクトする国民の皆さんに
感動を与えさせて頂きます」などと言い始めたら、愉快ではあるけれど、
国政とか任せるの、マジやばい気がしますもの。


くだけた表現が悪い、と言うのではなくて、その場その場に応じた
言葉をできるだけ的確に選べるようでいたいですよね。



が、先日、友人に同様の話をしましたら、あまり気にした事は無いそうで、
そんなものなのかしらと、少々寂しくなりました。こういうことは、
単に興味と感性の問題なのかしらね……。皆さんはいかがでしょうか?




さて、話題変わりまして、今回も、シェイクスピアの詩を一つ、
紹介しようと思います。なかなか愉快な内容のもの:



 A woman’s face with nature’s own hand painted
 Hast thou, the master mistress of my passion;
 A woman’s gentle heart, but not acquainted
 With shifting change, as is false women’s fashion;
 An eye more bright than theirs, less false in rolling,
 Gilding the object whereupon it gazeth;
 A man in hue, all hues in his controlling,
 Which steals men’s eyes and women’s souls amazeth;
 And for a woman wert thou first created,
 Till nature as she wrought thee fell a-doting,
 And by addition me of thee defeated,
 By adding one thing to my purpose nothing:
  But since she pricked thee out for women’s pleasure,
 Mine be thy love, and thy love’s use their treasure.
                      

 (ざっくりとした意訳:)
 自然の手が形作ったそのままで、あなたは、女性の様な
 顔をしている、私の心を捉えてやまぬ愛しい人よ:
 あなたは、女性のように優しい心の持ち主で、でも不貞な女どもの
 変わりやすい浮気心とは、まったく縁がない;
 あなたの瞳は、女たちの目よりもずっと美しく輝き、しかも
 厭らしい媚がなくて、見るもの全てに眩い光を投げかけている;
 男性の躯体、身の律し方も男性のもの、
 でもその美しさは、男の目を奪い、女の心を震わせる;
 きっとあなたは、もともと女性となるべく形作られたのだ、
 自然の女神が、あなたを創りながら、あまりの美貌に惚れこんで
 思わず、私の欲望を打ち砕くようなものを一つ付け加え
 この情熱の行き場を無くしてしまうまでは:
  でも仕方がない、自然があなたを、女の歓びの為に選んだのだから
  私は、あなたの愛を貰おう、あなたの体は、女どもにくれてやる
                      <十四行詩 第20番>



どうでしょうか。愉快にあやしい詩ではありませんか?
まさに、女性方面に厳しく、美青年方面に優しかった、
シェイクスピアの本領発揮と言ったところ。


が、日本語訳から受ける印象ほど、原文はシリアスでは無いのですね。
むしろ、かなりユーモアに満ちた内容だと思います。例えば、構造。


この詩のスタイルでは、一行につき10の母音が入るのが基本形ですが、
この詩には、ある一行を除き、全てに11母音が入っているようです。
まさに詩全体に「一つ付け加えて」あるのですね(苦笑)。
で、一音少ないと思しき行は:



  And for a woman wert thou first created,
(きっとあなたは、もともと女性となるべく形作られたのだ)



という所。……ごく大人びた遊び心が伝わりますでしょうか(笑)?



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