昔の話

9月も半ばですが、相変わらず暑いですね……。


どうも、暑いのは7月と8月と信じているようで、9月に入ると
そろそろ過ごしやすくなるはずと、つい気を抜いてしまいます。
で、中々涼しくならずにストレスをためる訳ですが、もう来年は
「9月はまだ暑い」という8月中の心構えから始めようと
今から強く心に誓うこの頃です(笑)。


残暑厳しい折ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?



さて、先日、ふとしたことから、若い頃とても好きだった英国映画を
観る機会がありました。よく、「名作は、鑑賞する側の年齢や経験に
よって、受け取り方が変わってくる」などと言われますが、今回、
まさにそれを実感して、妙にしみじみとしてしまいました。


何しろ、かつて年上だった登場人物はとっくに年下になっており(笑)、
さらに、作中で共感する人物が昔とは異なったり、何度も見て良く
知っていたはずの内容の、実は表層部分しか見ていなかったことに
気付いたり、と、何と言いますか、色々感慨深かったのです。



それと、個人的なことですが、まだ英国という国が、自分にとって
美しいお伽の国だった頃の感覚を思い出して、何ともいえず不思議な気分に
なりました。同時に、当時は気づいていなかったけれど、現在の興味の素地は、
既にこの頃あったのだなあ、と、妙に納得。


(この映画は、単に、「よく見ていた単館上映の名作映画の一つ」だった
のですね。英語は分かりませんでしたし、どの国の映画も字幕でしたから、
当時は、これが「英国」映画だという認識もなかった気がします(笑)。)



さらに、これに誘発され、若い頃に読んでいた本も、ちらほらと
読み返してみたのですが、なんと、こちらも意外な程、現在の
商売に繋がる内容のものが多く、驚いてしまいました。本当に、当時は、
英国演劇のえの字も意識していなかったはずなのですけれど……。
「心引かれるもの」というのは、生涯変わらないものなのかしら。


皆さんも、こういった経験がおありでしょうか……?



で、ふと思ったのですが、これは「若く無知な頃から、心引かれるものは
本能的に知っていた」のか、それとも「若い頃、ふと好きになったものを、
無意識に追い続けた結果、それが今の興味・生活の核になった」のか、
一体どちらなのでしょう。


スピリチュアルな人々は、人間は前世の記憶を多少持って生まれて来て、
それが現世の興味や使命感に繋がる、などと言いますし、
現実主義者は、人の頭が関心を持ち思い描いたことが、その人の未来を
形作って、やがて現実になる、などといいますね。


何となく、どちらがより真実に近いかしら、と地味に考えてしまいました。
(……イヤ、別にどちらでもいいのですけれど(笑)。)



そしてですね、なぜかこの詩を思い出したのですね。米国の詩人、
Robert Frostロバート・フロストの'The Road Not Taken'という詩です:



  Two roads diverged in a yellow wood,
  And sorry I could not travel both
  And be one traveler, long I stood
  And looked down one as far as I could
  To where it bent in the undergrowth;


  Then took the other, as just as fair,
  And having perhaps the better claim,
  Because it was grassy and wanted wear;
  Though as for that the passing there
  Had worn them really about the same,
 

  And both that morning equally lay
  In leaves no step had trodden black.
  Oh, I kept the first for another day!
  Yet knowing how way leads on to way,
  I doubted if I should ever come back.


  I shall be telling this with a sigh
  Somewhere ages and ages hence:
  Two roads diverged in a wood, and I--
  I took the one less traveled by,
  And that has made all the difference.


  (ざっくりとした意訳:
  森で道が二つに分かれていた。
  残念だけれど、両方の道を行く訳にはいかない
  私は一人きりの旅人だから
  長い間、一方の道を、見える限りの
  遠くまで、じっと眺めていた;


  それから、もう一方の道を選んだ
  同じように良い道だけれど、草がボウボウで、
  どうも道筋をつけて欲しそうに見えたから;
  とはいえ、どちらの道を行っても
  同じ程度の道筋しかつけられなかったろうし、


  どちらの道も、あの朝、まだ踏まれていない落ち葉で
  同じように覆われていた。
  まあ、最初の道は、また別の日に取っておくことにしたよ!
  ただ、一度どちらかの道に行ってしまえば、
  どうしたって、戻る暇などなくなると分かってはいたけれど。


  きっと何年も何年も経ってから、溜息を吐きながら
  この時を思い出して言うんだろう:
  森で道が分かれていた。それで、私は――
  私は、あまり人の通った跡が無いほうを選んだよ
  それが、この全ての違いを生んだんだ。)




で、です。ふと、「興味」の起源や発端が何であれ、大きな岐路に立った時、
自分は無意識に、この、「心引かれる何か」の匂いがする道を選んできたの
だろうなあ、と思ったのですね。(勿論、細かい判断ミスを繰り返しては、
数々の小岐路で、度々間違った道に進んでもいますが(苦笑)。)


……で、ふと、この「素朴な'道の決定法'」を実践し続けるのは、案外
難しいのだろうな、とも思ったのですね。今、こうして、かつての興味の
延長線上にいられるのは、もしかして幸運なことかもしれないな、と。



ちなみに、この詩は、読み手次第で、「昔の話」が
ポジティブにもネガティブにもなる不思議な詩ですね。


人が岐路に立った時、選ぶべき「絶対的に正しい道」というものは
たぶん無いのですね。それでも、せめて将来、振り返って昔の話を
する時には、晴れやかな気持ちでいたいもので、取りあえずは、
自らの「心引かれる何か」を、なるべくきれいに研ぎ澄まして、
岐路だらけの森をうろついていたいものだなあ、と
しみじみ思ってしまいました。


……皆さんはどう思われますか?



……と、今回「懐かしの英国映画」から始まり、昔の事などを思い出し、
たいへん脈絡のないことをつらつらと書き連ねてしまいました(笑)。
くれぐれも、軽く読み流して下さいね……!



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