世が浮く

5月以降、少し時間に余裕ができるかと思っていたのですが、実際は
ちっともそんなことはなく、変わらず地味に時間に追わる毎日です(苦笑)。
気付けば既に夏至も過ぎましたが、皆さんはいかがお過ごしですか?



突然ですが、最近は、ニュース等を見ていて、なんだか奇妙な
世の中になっているな、と感じることがよくあります。


自然災害も多いですが、それよりも、世の中全体に漂う雰囲気が
どこか妙に思えてなりません。もちろん世界的に、ですね。
何となく、同様に感じている方は多いのではないかと思います。
……こういう空気は、どうも、少し疲れますよね。



で、ここ最近、ずっと、何をどのように奇妙に感じているのか、
考えるでもなく考えていたのですが、少し時間ができましたので、
これまでなんとなく頭の中で仕分けしていた感覚を、
出来る限り言葉にまとめてみようと思いつきました。


……と、今回は、確実に独断的かつ感覚的な話になりそうですので、
ぜひ「まあ、暇だから読んでみっか」くらいの気持ちで、
軽く読み流してくださいね(笑)。



さて、早速ですが、近頃感じる世の不可解さを、個人的には、
架空に振り回される現実、ですとか、世の漠然とした錯乱、
頭脳の暴走、などと呼んでいます。


いつの頃からか、空想に振り回されて実世界が浮つき、
社会の虚と実のバランスが、おかしくなっている気がするのですね。



象徴的なのは、やはり「経済」の在り方と思います。
現代の価値観の中心にあるものですね。


経済には、まったく詳しくありませんが、何しろ素人の目には、
「投資」に関わる人々の予測と、実体のない電子マネーのやり取りで、
瞬時にして世界経済が動いてしまう状況が、異様に映ります。


しかも、予測というのは名ばかりで、一部の影響力のある人々の
利己主義的な思惑が、「予測」という名のもとに発表され、結果、
その「予測」通りに世の空気が操られている、という印象。



もちろん、人間の世界は、多かれ少なかれ集団の生み出す「空気」に
支配されていますから、これまでも時の権力者たちは、時々の空気を
読み、必要ならば、意図的に流れを作り出す事で、社会(=国)を
コントロールしてきた、とは思うのですが、どうもここ10年の
世の空気は、ひたすら「経済」の名の下のマネーゲーム
翻弄されるだけで、実体を伴っていなさすぎると感じます。


何と言いますか、いつからか、世相=世の空気は、人の生活の上に
自発的に生まれてくるものではなく、世界経済という観念の中で勝手に
「予測」され、人々の押しつけられるものになってしまっている感じ。



ので、世の中の空気=雰囲気が、かなり胡散臭い、のですね。


さらに、この胡散臭い空気に乗じ、虚と実の明確な区別もなくなって、
実体のない嘘も、大手を振って巷に溢れるようになっている気がします。



で、この、虚が蔓延する半バーチャルの世の中で、人々は、
自らの生活には直接関係のない、遠い誰かの利害に振り回されながら
ふわふわと生きている訳ですから、やはり精神はどこか不安定で、
どこかに歪が生じ、世界のあちこちで、虚の言葉に煽られたり、
実体のない価値観に影響されたりして、自覚もないまま、暴動やら
奇妙な事件やらを起こしている、ように感じられてなりません。




と、こんなふうに、今、社会は「虚と実」のバランスが崩れ、
随分不安定になっていると思うのですが、近頃、顕著にそうなってきた
原因の一つは、やはりメディアの発達・インターネットの普及なの
でしょうね。(……などと思いつつPCに向かい、Googleで情報を
確認しながらネット上にアップする為にこれを書いています(苦笑)。)



ありとあらゆる情報が、ありとあらゆる人々に、瞬時に行き渡るように
なり、便利ではあるけれど、本来必要ない多くの情報を押し付けられ、
知らない間に混乱し、人々は、本来人間が持っている正常な判断力を
失ってしまっているのかもしれません。



やはり、労せずに画面上から「娯楽」と「情報」を与えられ続けると、
人は、感性が鈍り、やがてフィクションと報道との違いを、
見分けることが出来なくなるのでしょうね。真偽を見定める力が
弱くなって、情報の取捨選択が出来ず、取りあえずいちいち
全部に対して右往左往する、と。どうもそんな印象があります。



……どころか、近頃は色々な物事が、Mastermind(=市場の動きを操る人)
たちの手にも負えなくなっていて、いったい誰(何?)が主導権を
握っているのかも、分からなくなっているのではないかしら。まさに、
空想(仮想)に現実が振り回されている状態なのだと思います。



人間には頭脳があって、その頭脳で想像した事を、何とか
実現させてしまう能力にも恵まれていますよね。が、思ったこと全てが
こうも実現可能になってきますと、分を弁える=生物としての限界を
知ることが、まっとうな感覚を保って生きていく上で、とても大切に
なってくると思います。が、その辺りが、今の世の中では、
きれいさっぱり忘れられている気がします。


ああしたい、こうしたい、という欲望は尽きることがありませんから
どこかでけじめをつけ、例え目的が善であっても、人間には過ぎたこと、と
時に潔く諦める事も必要なはずですが、近頃は、想像したらとにかく
なんでも実現させるのが美徳、みたいになっていますものね。
「想像とその実現」に歯止めが利かなくなっている、のですね。
故に、個人的には、頭脳の暴走、と感じているのだと思います。



が、ふと、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが数々の優れた
発明を空想のままにしておいた訳は、実現する技術が無かったという
だけではなく、想像だけに留めておくべき物事を悟り、生物としての
身の程を弁えていたからではないかしら、と思う事があります。



現代人は、時の流れを進歩、近代技術を発展と呼ぶけれど、昔の人々が
今の人々よりも「遅れていた」とは思いません。人間の能力や理解
の程度など、解釈のしかたが異なるだけで、今も昔も然程変わらない
のではないかしら。生物である以上、やはり成長にも発展にも限界があり
そこをきちんと弁えていられるほうが「進んでいる」気もします。


現在は廃れてしまった「宗教の概念」は、そういった、人間の自戒の
辺りに貢献していたのでしょうね。……ただの私見ですけれど(笑)。



ともかく、現代の人々は、とても頭でっかちで、生物としての自覚に
乏しすぎると思えてなりません。故に、こうもアンバランスに、
頭脳部分だけに翻弄されるようになっているのではないかしらね。


やはり生物の基本:「食」が、娯楽化して乱れた結果なのかしら。
……って、なんだか今回、話が色々飛びますね。ごめんなさい。



話を戻しまして……。
と、こういった所(具体的にどういった所?とは聞かないで下さい)が、
世界の、現在の浮ついた状況と解釈していますが、
日本も、もちろん例にもれず、虚と実の見極めができずに、
きちんと(?)浮ついていると思います。



が、個人的には、日本は他の地域に比べ、安定している、
と思っています。草の根レベルでは、人々は地に足がついているし、
まっとうな感覚を保っている企業のほうが、虚に振り回されている
企業よりも、まだまだ数が多いと思います。震災の影響も
少なからずあるのでしょうし、やはり地理的に、海外からの
影響を受けにくいのでしょうね。



現在の日本の浮つきを生み出している元凶はごく単純で、
ずばりTV・新聞等に代表されるマス・メディア、
及び知識階級・エリート階級の驚くべき質の悪さ、と思います。



日本の(文化系)知識人・エリート階級に属する多くの人々の、
視野の狭さ、教養の無さ、頭の悪さには、既に定評(?)が
ありますが、やはりそれでは駄目、と近頃改めて思います。
一億総中庸知識階級では、こと、外交では通用しませんもの。
やはり、官庁や大学に属する、国の仕組み作りや運営、教養教育を
担う人間が、まっとうに優れているにこしたことはありません。


この辺り、ぜひひとつ、現政府・現与党に、真に頭の良い、
教養とユーモア溢れる知識人・エリートを育てるシステムを、
きちんと作り上げてもらいたいなあ、と願っています。
それと、まっとうな人材を適所に採用するシステムもね。



で、マス・メディアです。
本来、TVや新聞・出版などの仕事に従事する人々には、最低でも
高度な感性、高い道徳心、真の意味での頭の良さ、物事を見極める力、
自立心が備わっていなければならないと思っています。
教養として、歴史、哲学、古典をしっかりと学んでいる事は大前提。
例え、TV局でコメディ(バラエティ?)を扱う人材だとしてもです。


個人的には、マスコミ業に就く為には、医師以上の厳しい
審査を潜り抜けるべきだと思っています。冷静に考えれば
社会の問題点や政治の良し悪しの見極め、芸術の評価・普及、
大衆への娯楽の供給、宣伝など、世に多大な影響を与える
立場に立つことになる人材なのですから、当然ではないかしら。



それが、どうも陳腐な感性を持つ、薄っぺらい人々が
この業界を牛耳っているようで、ニュースなどを見ていてすら、
ついつい眉を顰めてしまうことが多々あります。失礼だけれども、
今ご活躍の多くの方々は、あまりに程度が低すぎて、物事の、的確かつ
中立的な判断という、最低限の仕事すら出来ていないようですもの。



また、個人的に、マスコミの重要な仕事の一つは、才能を正しく
見定め、感情に流されることなく正統に評価することと考えています。


彼らは、自らが天才である必要は無いけれど、きちんと天才を
見極める能力のある人間でなければならないと思うのですね。



が、現在の日本のマスコミに顕著なのが、才能の種類を見極められず、
こと、天才と呼ばれるべき貴重な人々を、蔑にすることです。
そして、大衆受けする優れた凡人を代わりに天才として祀り上げ、
結局どちらも潰してしまうということを繰り返している気がします。


優れた凡人の描くビジョンは、一見難しく感じるものの、実はごく
単純で分かりやすいのですね。で、一般にも理解しやすいです。
一方、天才の描くビジョンは、一見単純なのだけど、
深く広く意味が広がり、難しいことが多いです。
故に、一般には理解されず、むしろ、馬鹿にされがちなのですね。
(馬鹿と天才は紙一重といわれる所以かしらね)。



勿論、どちらが良い悪いではなく、才能の違いですから、
その違いをきちんと見極められる人間が、分かりやすく説明を加え、
それぞれの才能を、それぞれ的確に、一般の人々に伝えれば良い訳です。


天才には天才の、優れた凡人には優れた凡人の、活躍すべき
場所があるのです。優れた凡人に天才の役割を担わせても
勿論、活躍は出来ないし、天才を凡人の場所においても、
やはり活躍は出来ないものなのですよね。何事も適材適所。



その見極めの役割を担うべきなのが、本来マスコミなのではないかしら。
が、その見極めをマスコミが怠り、一般の人と同様の主観で
陳腐に色々と煽りたて、様々なチャンスや人材を潰してしまうことが、
現在の日本では多々あると思います。政治然り、スポーツ然り、芸術然り。


そして、やはりそれでは駄目なのですよね。今後は益々そうです。


ので、近いうちに、ぜひマスコミ業界にも強力な自浄能力を発揮して
もらいたいなあ、と地味に願っています。実は、日本のマスコミの中にも、
主流ではないけれど、しっかりとした感性と的確な才能を持った人々が
いると思うのですね。そういう人々が、ぜひ勇気を持って声を上げ、
主流の座を奪っていって欲しいです。何事も、適材適所でね。



と、何となくですが、マス・メディアが少しでもまっとうになれば、
日本という国は、現在の世界の浮つきに飲み込まれずにいる事が
出来るのではないかしら、と思っています。そして、今後、
そういう、地に足のついた「落ち着き」が、浮つく世界の中では、
とても重要な意味を持ってくるのではないかしらね……。



……気づけば、相変わらず、長くまとまりもなく訳の分からない
内容になっていますね(苦笑)。何だか結論もへったくれも
無い内容ですが、この辺でそろそろ、まとめる事をきっぱり諦め、
こっそり書き逃げをしたいと思います(笑)。ごめんなさい!



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