10月雑記

10月は比較的静か、などと書いた矢先、続けざまに大型の台風が。
本当に近頃は、次から次へと自然災害が起こりますね……。
今回の被災地が、一日も早く「日常」の日々を取り戻せますように。


そして、こういう時、直接被害を受けていない立場の人間は、
不必要に感傷的にならず、現実的に冷静に見守っていたい
ですね。自戒をこめて。



……と、そう言えば、先の台風被害の報道で気になったことを一つ。


こと自然災害に関して言えば、「既に起こってしまった災害の原因を
解明すること」と「災害を予測すること」は、根本的に質が異なると
思うのですが、近頃の報道では、それが同列に扱われがちですよね。


何かが起こった後で、その出来事の、時系列に並べた記録をもとに、
より的確な防災策を考え出す事は簡単です。


で、その検証結果を、次回の防災や準備に生かす、というのが、
経験から得られた知識のまっとうな使い道、と思います。


が、その「事後に得た知識」を引き合いに出して「なぜ事前にこういう
対応をしなかったのか」と、当事者を咎めることに意味はあるかしら。



「予測が甘かった」というのは、結果が分かっているから言えることです。
どこに何がどのくらいの規模で起こるかは、決して事前には
知り得ない事ですし、また、例え万全の準備をしたと思っていても、
的が外れ、それがまったく役に立たないこともあるはずです。
が、本来、自然災害の予測というものはそういう不確かなもの。
結果が分かった上での検証とは違うのです。


その根本的な違いを無視し、過去の時点での予測を、検証結果と
照らし合わせて、判断ミス云々と、責任問題論争の種にすることは、
純粋な時間の無駄で、ただ色々なことの妨げになるだけではないかしら。



個人的には、防災準備の是非というものは、
「正確に予測し危険を回避することができたかどうか」ではなく、
「予測を越える何かが起こった後の対処の仕方が的確だったかどうか」
で問われるべきと思っています。


あまり指摘はされませんが、今回の災害後の為政者の対応は、
かなりスムーズと思います。人は、何か問題が起こってしまうと
騒いで着目するけれど、「何事も起こらない」と、その地味な
功績は見過ごしがちなのですよね。本当は、こういう事態の後に、
万事が無難に対処されていることこそ、すごいことと思うのだけれど。



主要報道機関にお勤めの報道関係の方々も、事あるごとに、
重箱のスミをつつくように、為政者の「過ち」を指摘して
満足するのではなく、今後は、もっと精神的に自立してですね、
自らの存在意義を、他者にたてつく・媚びることに依存するのではなく、
例えば、自らも災害発生前の最も有効な情報発信源であることを自覚して、
いかに今後の防災に的確に協力できるかを真剣に検討する、くらいの、
ごく最低限のまっとうな仕事をして、少しはまっとうに社会の役に
たってみてはいかがかしら。


……って「何様?」の意見の駄長文ですが、いいのです(笑)。
感傷とプロパガンダに満ちたTVニュースや新聞報道に、
今、たいへん食傷気味なのです。



さて、前置きが随分長くなってしまいましたが、今回は、前回に続き、
夏以降なんだか考えさせられたことについて、つらつらと書きつづって
しまおうと思います。……ちなみに、間違いなく、長く退屈な内容に
なりそうですので、ご注意を(笑)。



では、早速。ええとですね、実は、夏以降、妙に実感しているのが、
世界のバランスといいますか、構図といいますかが、物凄い勢いで
変わってきているということです。そう感じている人は、少なくないはず。


前回、日本は、今、落ち着いている気がする、というようなことを
書いたのですが、裏を返せば、国際社会が浮ついているということ
なのですよね。過去5、6年の間、騙し騙し何とか保ってきた、
これまでの世界の構図(=勢力図?)が、今年に入って、本当に音を
立てて崩れているような。それに伴い価値の概念も変わっていて、
昨年の今頃の価値基準さえ、既に、現在にはそぐわない、
古いものになっているのではないかしら……。



で、日本の政府が、この「世界の構図と価値観の急激な変化」を、
外交・内政含め、どう見極めて、どう対応していく(いる)のか、
そんなことが、やけに気になってしまいます。


よく、政治は生き物、などと言われますが、まさに今が、それを
一般の人々も実感出来る時のような気がします。現政府が政権を
取り、実際の政策プランを考えたはずの1年前(数年前?)とは、
既に色々なものごとが随分異なっていますものね。


個人的には、もし何らかの政策を変更する必要性が生じてきたら、
それが、しっかりとした価値観に基づいた変更である限り、
周囲のどんな騒音も気にとめず、淡々と実行に移して
もらいたいと思っていますが、そうもいかないものなのかしら。


これからは、どうも様々なことが色々と難しくなっていく気がしますが、
いよいよ難しくなってきたら、配慮や駆け引きはキッパリ諦め、
「自らの感性が信じることを素直に行う事が、最善の結果を生む」
あたりの信念に従う方向で、全てが行われていくと良いですね。
(……って、我ながら、何て大雑把で玉虫色な表現でしょう(笑))



……ええと、今回、何が書きたいのか、説明することは潔く諦め、
どんどん話を進めてまいります(笑)。



その現政権ですが、とりあえずは、夏以降、権力の基盤も固まり、
順風満帆に滑り出したところ、と思います。が、個人的には、
今が色々な意味で正念場なのだろうな、と思っています。
こういう時期こそ、実は、不要なしがらみも増え、
うっかり道を踏み外してしまいがちなのですよね……。
こんなに色々な変化が内外で起こっていればなおさらです。


ので、こと現首相には、まずは、定期的に感性をリセットして、
定期的に傍観者の精神状態に戻って、常に簡素にものごとを
見極めていてほしいな、と願っています。



どんな事でも、どんな立場にいる誰であっても、自らが信じる、
最も単純で大切な価値基準に、常にものごとを照らし合わせて
判断していけば、大きく道を踏み外すことはないのですよね。


また、どんなに複雑に見える状況でも、その原点にあるものを
突き詰めていけば、ごく単純な構図であることが多いと思います。
故に、問題の最善の解決策も、意外なほどシンプルなことが多い、と。



物事がややこしくなるのは、核心以外の余計なしがらみが
増えるから、です。困った時は、問題の核の部分を的確に
見つけることさえできれば、ややこしいしがらみ部分を
丸無視しても、意外とスムーズに問題は解決してしまうもの。


例えば、ごく複雑に見える現在の世界情勢も、その混乱の
中心にあるものは、単純に「米国と米国的価値観の凋落」
ではないかしら、と思っています。物事を複雑にしているのは、
米国自身がその事実を直視したがらないからで、米国が
取り繕っている理想上の「米国像」と、まっさらな現実との
不一致が、今の世界情勢を複雑に見せている一因と、個人的には
考えています。そこを、誰かがすっぱりと認めてしまえば、
ものごとは、もう少しスムーズに動き出すのではないかしら。



TPPに関しても、やけに複雑にみえるのは、「本来、成立する
はずのない協定」という単純な事実に、各国があえて目を背けて
いるからという気がします。さらに今の事態を難しくしているのは、
昨今の急激な価値観・情勢の変化で、「成立はほぼ不可能」という
根本事実に目を瞑ってまで妥協案を見つけたかった、これまでの
「必要性」そのものが、多くの国にとって無くなってしまったから
ではないのかしら。


ですから、これも、誰かが「今、世界的にちょっと色々よく
分からなくなってるから、また後で考え直すことにして、
取りあえず一旦止めとく?」あたりの提案をすれば、案外、
各国の首脳は飛びつくかもしれない、と感じることがあります。


……って、さすがにそんなに単純ではないかしらね(笑)。



でも、とにかく、今の時代は「見せかけに騙されず、そこにあるものを、
そこにあるそのままに受け取る」ことができれば、まずは吉。


逆に、意地や見栄、体裁や既成概念などに少しでも捕らわれて
しまってはたいへん危険。いかにそれらに縛られず、
自らの感性がこうと定めたことを貫けるかが、これからは
いっそう大切になってくる気がします。こと政治の世界では、
と思いますが、誰であっても、何をしているのであっても。
これも、力いっぱい自戒を込めています(笑)。



で、常にシンプルにものごとの本質を見極められるようでいる為には、
常に、判断の基本となる価値観を、きちんと自覚していなければ
ならないのですよね。個々人でもそうですが、国単位でもそうと思います。


何に価値を見いだすかは、時代によっても国によっても変わりますが、
日本にとっては、今が、現在の日本に適した価値基準が何かを問い正す、
良いタイミングなのではないかしら。



例えば、ですが、個人的には、「グローバル化」や「成長経済」
といった概念・価値観は、今後、全世界的に過去のものになっていく
と思っています。そして、今後の国際社会では、「自立と緩やかな連携」
ですとか「多様化、地域基準」あたりが、価値を見出される概念に
なっていくのではないかしら。


経済も、国ごとにその土地土地に合った形が確立されていって、
その上でまた新しい国際社会の関係のありかたが提唱されるように
なっていくような気がします。(……大体、ここまで交通機関
通信制度が発達し、物理的距離などあってないようなものになったら、
これ以上「グローバル化」を推奨する必要など、無いですものね。)



そうなっていくという前提で考えますが、日本という国に最も適した
経済の形は、右肩上がり(=成長)ではなく波型(=継続)、
直線ではなく円形だと思っています。ある一定の周期で
ものごとが完結し、また新たに始まる形ですね。


式年遷宮もそうですよね。それに、元々、日本の生活は、
一年単位でものごとが終結するようになっているはず。
新年に始まり、大晦日で完結をみて、また新年に始まるのですね。
その「終結と再生の継続」とでも呼ぶような考え方が、日本に
最も適している基本の価値観と、個人的には思います。


ですから、経済もね、復興・立て直しなどのある程度の
目途がついたら、目指すところは、「ひたすら成長」ではなく
「繰り返し」が良い気がします。成長経済ではなく円形経済。
新事業より継続。建設より循環メンテナンス、と。



それと、経済、と聞いて、近頃しみじみ感じるのが、日本は、
基本が農民と職人の国で、決して商人が価値観の主流にいる国
ではないな、ということ。ので、個人的には「確かな技術力に
支えられた安定した農業国」へと転換をはかって欲しいと
思っています。余剰食物は立派な輸出品になりますしね(笑)。



思いつくまま話は飛びます。


日本が、上手く自国の価値観の再生をはかる為にも、現政府は、
米国の凋落とさらりと向き合い、さらりと対応していって
ほしいなと思っています。見捨てるでも、助けるでも、
共倒れでもなく、礼を尽くして関知せず、といいますか、
今までのような関係とは異なる、対等な国同士の、かつ適度に
距離をおいた関係を築いていってほしいのですね。


そしてこれを機に、日本全体が、米国という国を、繁栄の象徴
という色眼鏡を外して、きちんと見極めるようになってほしいなあ、
とこっそり願っています。


批判をしたり、感情的に嫌いになるべき、というのではなくて、
冷静に客観的に、「米国」を認識するちょうどいい機会だと
思うのです。「米国」という国を、客観的に眺めると、まだまだ
成熟とは程遠い、文化的にも精神的にも未熟な国なのですよね。
しかも、一部表層の自由なイメージとはかけ離れた、厳格な宗教的
清教徒的)観念に、実はかなり束縛された国。そんな国の生み出す
価値観は、やはり少々観念的で短絡的な傾向があり、浅薄と思います。
そのあたりの認識を、きちんとしていたほうが良いと思うのです。


日本は、今でも、米国的美意識や価値観を無条件で賛美・享受する
傾向があるけれど、一度、立ち止まって、疑ってみても良いのでは
ないかしら。一度、米国的価値観(=商人的価値観)から脱して、
その上で、必要ならもう一回、米国の良い点をきちんと見極めた方が
良いのだと思います(それは何?とは聞かないでください)。



ただ、やはり、国の価値観は、その国の気候・風土、歴史と伝統から、
生み出されたものが、結局、一番適しているのだと思います。
今後は、そこにいち早く気づけた国が、強い国、となって
いくのではないかしら。……勿論、日本人ですので、
それが日本であることを祈っていますけれども(笑)。



そしてですね、また話は飛びますが、東京オリンピックは、
日本が「これまでの米国的価値観を、きちんと過去のものとして
清算してから取り組んでほしい催し」と思っています。


せっかくなので、「力強い先進国日本を世界に見せつける」と
いうような古い考え方はさっさと捨てて、「日本的な価値に
基づいた生活を確立した(=新しい価値観での国作りに成功した)
落ち着いて気骨のある国として世界の人々を迎え入れる」祭典を
作ろうという風潮になってほしいですよね。……って、夢かしら(笑)。



……と、相変わらず長々と書き綴ってしまいましたが、ここまで
読んで下さった方はいるのかしら。さすがにもう止めます(笑)。


夏以降、こんなことを脈絡もなくつらつらと考えていたら、
あっという間に秋になっていました(苦笑)。
仕事をしつつも、こんなことが頭の中を回っていましたので、
吐き出して、やっと仕事に集中できるようになる気がします。



……しかし、近頃、この裏ブログが、自らの頭の中を
整理する為の場所となっていますが、読んで下さる方には、
大変迷惑なことではないかしら。……気づいてしまいました(笑)。


「まあ暇だから、読んでみっか」とお付き合い下さった方々に
敬意を表しつつ、今回もこのまま書き逃げを致します。



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