冬の花

いつの間にか冬至も過ぎ、日々の雑務や来年の準備に追われる
内に、気づくとあっという間に今年も終わっていそうです。
ああ、恐ろしい(笑)。


ともあれ、個人的独断によると(笑)、今が一年で最も美しい季節。
洋の東西を問わず、冬祭りたけなわの今日この頃、皆さんが、
忙しくも楽しい日々を過ごされていますように。



さて、冬のスポーツの中でも気に入りがフィギュアスケートなのですが、
先日、オリンピックの代表が決まりましたね。
前回の大会から、もう4年が経とうとしていることを思うと
何だかあっという間に年を食ったわね、とドキドキしますが(笑)、
また華やかな競技会を見ることが出来るのは楽しみです。


……と、今回は、今シーズンの浅田選手の演技について、つらつらと
書き綴ってしまおうと思います。首尾一貫、徹底的に(笑)
この話題ですので、ご興味のない方は、ご注意を。



ちなみに、今回も、スポーツ的要素を潔く無視し、舞台芸術的観点から、
ごく独断的に語ってまいりますのでご了承下さいね(笑)。では早速……。



ええと、浅田選手、立ち姿や表情が本当にきれいになりましたよね。
SPのノクターンの演技は、匂い立つばかりの美しさで、本当に突然
一皮むけたのだなあ、と見ていてしみじみ感じます。こと、今シーズン当初、
憑き物が堕ちたみたいに表情がすっきりしていたのは、とても印象的でした。


また、舞台芸術的な演技というものは、どれだけ解釈に深みがあるかで、
表現の仕方も、観客への見え方も随分違ってくるものですが、今回の
SPの演技は、一つ一つの動きが丁寧に解釈されているのが感じ取れ、
また、動きと音楽と解釈がそろっていて、見るのがとても楽しいのです。


ぜひ、このまま、周りの風景がみえてくるような、周囲をぱっと明るく
するような演技に磨きをかけていって欲しいですよね。



あ、ただ演劇的な観点から考えますと、今後、難しくなりそうなのは、
動きも、頭の中も、「練習通り」きちんとまとまりすぎて、
本番の演技に「伸びしろ」がなくなってしまうかもしれないことかしら。


ので、本番では「匂い立つような表現」がキーワード。
これまでに完成させてきた大元の解釈をベースとしつつ、
その時々の会場の雰囲気や、自らの気分・体調を丁寧に
感じ取って、それにぴったりと合う表現方法を、自然に、
試合ごとに、内側から生み出していってほしいなと思っています。



ええと、例えば、緊張してドキドキしていたら、それを取りあえず
素直に受け入れてしまうとか、失敗してもそれを演技の一部として
表現してしまうとか、技がうまくいって心から楽しいと感じたら
本当に笑ってしまう、とかね。何しろ、初恋で緊張したり、ものごと
がうまくいかなかったりすることなど、たくさんありますしね。
嬉しいことがいつもの何倍も嬉しく感じることも、です。
(……初恋、大変振り幅の広い、良いテーマですね。)


本番では、そういった演技中の実際の出来事(緊張や技の失敗・成功)
すら、「演技の解釈」の流れの中に組み込んでしまうような、
心に余裕をもった表現を目指してほしいな、とこっそり願っています。
「練習通り」の一つ上の、「生きた」表現、を目指す感じで。


で、本番前の頭の中を、「ミス無くできるかな」ではなく、「今日は
どういうふうな表現になるかな」にすることができれば、きっと
穏やかな「良い身体の緊張」へと繋がっていくのではないかしら。


演技中は、ともかく、ひたすら指先に意識を置いてみるのも、
良いかもしれないですね。もしかして良い集中が出来て、より滑らかで
大きな演技になるかもしれません。何しろ、指先は第二の脳ですし。



と、私たちが見ることが出来る、残り試合数は少ないですが、
こんなことを考えながら、次の試合を楽しみに待っています。
皆さんは、いかがですか……?




しかし、対照的に大丈夫かしらと気になるのが、フリープログラム。
ジャンプの失敗云々ではなく、このプログラムに対する努力の
方向性が、どうも適切ではないように感じられてならないのですよね。
こと、GPファイナル辺りからその傾向が顕著な気がしますが、
もしかして、同意される方は多いのではないかしら。



……ええと、相変わらず感覚的な話になってしまいますが、
以前、夏のオリンピックの時に、あの「五輪独特の空気」の中で
勝つ為には、その空気に呑み込まれずにいることがとても大切、
というようなことを書きましたが、実は、今、浅田選手は、
その「呑まれてはいけない空気」に呑まれてしまっているような
気がしてなりません。それが、フリープログラムの演技に、
顕著に現れているように感じるのですね。


オリンピックは「爽やかなスポーツの祭典」のように捉えられがち
ですが、きれい事の色眼鏡を外して眺めれば、単純に「人間が
名誉の為に争う場」なのですね。こと近代オリンピックには、
権力や金銭(経済)も深く係わってきますから、爽やかどころか、
より、争いの醜い部分も際立つ場、となっています。ので、
どろりとした心理戦や駆け引きが、随分前から始まるわけです。


故に、たぶん競技者にとって競技準備以上に重要なのは、競技の瞬間まで、
この「心理戦や駆け引き」に影響されないことなのですよね。
これは、きれいや汚い、良い、悪い、の問題ですらなく、単純に、
近代オリンピックとはそういうもの、なのだと思います。


もちろん、選手は、純粋なスポーツ競技者としてまっとうな姿勢を
貫くという選択が出来ますが、それでも、戦う土俵が必ずしも美しく
はないと認識し、それに備えることは必要なわけです。それが
「心理戦と駆け引き」に的確に対応することで、実は、これが
「五輪独特の空気」の正体の一つなのではないかしらね。


日本人は総じて、これに対応することが苦手ですね。
(……真っ正直な国民性なのかしら。)
故に、対応どころか、ぺろりとこの空気に呑みこまれ、駆け引きに敗れ、
実力を発揮できずに終わってしまうことが、少なからずあるように感じます。



で、浅田選手も、既に、この「駆け引き」に引きずり
込まれてしまったように、この目には映っています。


こういった「心理的な駆け引き」は、主に、個々人の負の感情に
働きかけるものですが、弱点を突かれ、自信を失うなどのほか、
その人の自惚れや、自負、プライド、欲などの驕りを突いて、
正常な判断力を失わせる、などということも起こり得るのですね。



浅田選手の場合は、自らの調子の良さから、欲が出て
シーズン途中に「フリープログラムの完成形として目指すもの」が、
揺れ動いてしまったところに、上手くつけ入られた気がします。


ごく独断的に具体的に言いますと、「トリプルアクセルを二回飛ぶ」
という欲に固執させられ、知らず知らずの内に目標がぶれて
集中が乱れてしまった感じ、かしら。故に、理由も分からずに
調子を落としている気がしてなりません。



何しろ、オリンピックは、こういった面倒くさい駆け引きが横行する中で
戦っていくのですから、掲げる目標は、可能な限りシンプルがいいのです。


ので、金メダルを取ることが目標ならば、本当は、それ一点に
ターゲットをしぼるべきなのだと思うの。だから、「トリプル
アクセルを二回成功させて、納得のいく演技をして、勝ちたい」
というのは、変な言い方だけれども、欲張り過ぎ、と思うのですね。



で、です。もしも、ことGSファイナル以降、「何が何でも
二回飛ばなければ勝てない」と思いこんでいるのなら、
それこそ浅田選手に、真っ当に活躍してほしくないライバルたち
の思うつぼなのではないかしらね。嫌な言い方だけれど、「駆け
引きの攻防」の時点で既に主導権を握られている構図なのですもの。




「金メダルは取れなくてもいい、オリンピックで完璧なトリプル
アクセルをフリーで二回成功させたい」が目標ならいいのです。
ではなくて、「金メダルを取るためにアクセルを二回飛ばなければ
ならない」と思いこまされているとしたら、それが危険なのだと思うの。



確かに、3Aを二回成功させたい、を貫いた結果、金メダルが
ついてくることもあるかもしれません。でも、それを第一目標に
掲げた時点で、物質的な結果(メダルの色や有無)は、
あくまで二の次、という心構えでいるべき、と思うのですね。



何を第一目標に選ぶのであっても、この一点がぶれてしまったり、
どちらも、と欲張ってしまっては、いけない気がします。
二兎を追うもの……といいますでしょう?
もし、今、この部分にぶれがあるとしたら、それが、3Aが飛べなくなった
理由ではないかしらね。


下らないことのようだけれど、実体のない「空気」に惑わされずに
いる為には、こういった単純で簡単な「自己目標」を常にしっかり
認識できているかどうかが、とても重要なのですよね……。



個人的には、既に以前のオリンピックで達成した「3A二回成功」を再度
目標とするのではなく、「金メダル」を目標として欲しいと思っています。


そして、これまでやってきたことの完成形として、「文句のつけようが
ないほどの完璧なアクセルジャンプ+三回転‐三回転+技と振付と音楽
との融合」という形で、金メダルに挑戦してほしいなあ、と。
……もし、それを極めても、金メダルに手が届かないのならば、
悲壮な気持ちで3A二回を成功させたとしても、きっと結果は同じです。
そして、それは、たぶん、選手がどうこうできる問題ではないのです。
それは、実力ではなく、「時代」ということなのですね。



ただ、個人的には、浅田選手の、開幕当初のプログラム構成での
完成形を、まだ一度も見ていない、と思っていますし、
あの構成で最上の完成形を目指す事が、このオリンピックの、
この状況下の、今のフィギュアスケート競技では、最も金メダルに
近いとも思っています。浅田選手にとって近いというだけではなく、
「そういう準備」をした浅田選手が、たぶん全参加選手の中で、
最も金メダルに近い、という意味で、です。



だって、シーズン当初の演技を見て、なんてバランスの良い、
しかも伸びしろのあるプログラムだろうと、素人目にも思いまし
たもの。これで、アクセルジャンプが完璧に決まるようになり、
三回転‐二回転が、三回転‐三回転になって、その他の技と振付と
音楽の完璧な融合が体現できるようになったら、どれほど美しいものが
見られるのかしら、とわくわくしましたもの。ので、その完成形が
見られないままに、3A二回の構成に変わったのを見た時は、
ジャンプの失敗云々以上に、とても残念だったのですよね。



また、もしも、浅田選手にとっては、三回転‐三回転よりも、
3A二回の構成の方が成功の可能性が高い、ということが変更理由の
一つなら、それは挑戦というよりも、(例え逃げ先がより高度な技で
あっても)、自らの安全エリアに逃げている、ということになるのでは
ないかしら。勝手な想像だけれど、むしろ、最初に今シーズンはこれ、
と決めた構成での完成形を目指すことが、ぶれのない、真っ直ぐな、
金メダルにむかっての「挑戦」なのではないかしら。



それと、個人的には、アクセルジャンプを二回いれると決めたことで、
振り付けと、音楽の解釈と、その体現の練習にかけるべき時間が
削られてしまっているのなら、トリプルアクセルという大技の為に
ラフマニノフの音楽と、振付師の想いとを蔑ろにすることになると
感じます。そして、その要素を犠牲にするつけは、
浅田選手にとって、あまりにも大きいと思うのです。


もし、もう振り付けと音楽の解釈はできていて、体現もまずまず、
と考えているなら、それは過信ではないかしら。今までの演技では、
まだまだラフマニノフの音楽を表現しきってはいないと感じますし、
振り付けや一つ一つの形・動きへの理解も、未消化のままだと思うのです。
残念だけれども、そう感じている人も、少なからずいるはず。



なので、ぜひ逃げないで、例え不利な土俵と感じたとしても、
その不利な土俵上で、オリンピックに挑んで欲しいと思ってしまいます。
大体、その土俵を不利と感じているのなら、それは、そう思わされているから。
思い切って堂々とその土俵に立ってみれば、自分が本当は無敵ということが
実感できるのではないかしら。ので、安全と感じる「高難度領域」に
逃げては駄目です。それこそ、ライバルたちの思うつぼですものね。


……で、美しいアクセル二回の挑戦は、来期の目標にまわして、
その欲を来期に達成してから引退してほしいです(……ファンの我儘?)。



ちなみに、今シーズン初めて浅田選手のフリーの演技を見た時に、
感じた事を書いておいたのを、うっかり放置してありましたので、
ここに続けてしまいますね。まだ荒削りだけど、ポテンシャルの高い
プログラムだな、ぜひ完成形が見たいな、と思いながら書いたものです。


演劇的表現力が評価されるのが、近頃のフィギュアの風潮だけれど、
というようなことを前置きにしまして:



『……でも、以前、体操の内村選手の演技を見ていて、ああ、美しいな、
と思ったことがあります。あれは何の物語を表現している訳でもなく、
何が美しいのかといいますと、人間離れした肉体の動き
そのものが美しいわけです。で、本来、フィギュアスケートにも、
この要素があってしかるべきなのだろうな、と思ったのですよね。


で、浅田選手が元来もって生まれた才能というのは、こういうもの
に近いのではないかしらと思っています。人間の喜怒哀楽などの
「意味」を越えたところにある、何とも説明のしようがない美を
体現出来る能力ですね。そして、個人的には、そういう能力に、
「演劇的表現力=演技力」よりも高い価値を見いだしています。


美を競わないスポーツ競技で、人間離れしたファインプレイを
見た時、理由もなく感動しませんか?あれに近いかしら。



演劇畑の人間が言うのも変ですが、芝居でも、結局、この、意味を
超えた「ファインプレイ」ができる役者が「特別」な役者なのですよね。
確かに言葉は意味を持つもので、芝居は大抵、何か具体的なものを
表現しているのだけれど、時折、ありきたりの言葉で、説明のできない
「何か」を、ふと体現してしまえる役者さんがいます。そういう人は、
演じる時、単なる言葉の意味を越えた、音と声と人間という存在の美、
とでもいうような、得体の知れないものを表現してしまう事があるのですね。


で、そういう表現には、「日常的な人間の感情表現」を
蹴ちらしてしまう程の、圧倒的な力と存在感があります。



「人間感情の、華やかな表現」は、確かにぱっと人を引きつけるの
だけれど、自然の美しさのような、理由も分からない美を
体現出来る人々は、より貴重なのです。そう心から思います。


で、個人的には、浅田選手には、今季のフリーで この方面を目指して
ほしいと思ったのですね。音楽と、振り付けと、体の動きと、技とが、
ぴたりと一致することで生まれる、意味を越えた恐ろしいほどの美しさ。
自らのスケート人生を表現している、という内容と、この音楽なら、
今更、頭での解釈など必要ではないはず。ここの動きの表現しているものは
これ、なんてことは考えず、振付の形と、一連の流れを使って、身体で音楽を
理解し体現する、という方向でこのプログラムを磨いていってはくれないかしら。


何と言いますか、音楽をもっと深く聞き込んで、「振付の動き一つ一つ」が、
どの音、どの旋律から生み出されたものか、丁寧に確認するのですね。
例えば、冒頭の腕を広げる形、あれはどの音から生み出され
どうずれば、その音に最も合う形、タイミングとなるのか、
じっくり考えてみてほしいです。ジャンプも、振付の一環として、
どの音の時に、なぜそのジャンプが組み込まれているのか、という
捉え方をして、丁寧に身体で解釈するのです。そうすることで、
動き一つ一つに深みと、演技全体に一体感が生まれると思うのですね。



それをじっくり確認したら、あとは、音楽に身を任せる、という練習を
繰り返せば良いのではないかしら。本番でも、頭を空にして、
音楽に体の動きを呼応させることにひたすら集中すればいい気がします。


簡単なようですが、難しいことですよね。体そのものが完全に動きを
覚えていなければなりませんし、頭を意識的に無にする、ということも、
とても難しいはずなのです。(……だからこそ、新たに3A二回という
別の目標をつけ加えるべきではないと思うのですよね……。)



そういえば、以前、新聞記事で、タラソワコーチのインタビュー
があって、そこに、「私は、真央が実力以上の演技をした時が
とても好き。初めて3アクセルジャンプを二回飛んだ時の事を思い出して」
というような事を言っているのを読みましたが、コーチが言っているのは、
まさにこのことなのだと思います。初めてトリプルアクセル
二回成功させたのは、仮面舞踏会だったと思いますが、あの時の、
「無心」の演技を思い出して、と言っているのではないかしら。
「3アクセル二回」そのものではなくて。


とにかく、浅田選手の課題は、頭からの解放、と思っています。本番で、
どれだけジャンプのことを考えず、音楽に呼応した動きの一部として、
身体でとらえ飛ぶことが出来るか。体が覚えるまで練習をしてきている
はずですから、例え考えるのを止めても、多分、体は勝手に飛ぶのです。
浅田選手の体は、既にその域に達しつつあるように見えますし、本来は、
「この音で踏み切る」、くらいの認識があればジャンプに問題などない
くらいの能力の選手のはず。これを邪魔しているのは、浅田選手の場合
「頭」なのではないかと、実はここ数年疑っています。


頭からの解放が上手くいき、音楽に身を任せることができさえすれば、
浅田選手は、力強い音の時には、力強い動きを、柔らかい音の時には、
柔らかい動きを、自然と体現できる能力を持った人なのだと思います。
で、そんな無心の動き方が出来たとき、振り付けは音楽と融合して、
最も美しく表現されるのではないかしら。そして、理由もなく
ただ圧倒的に美しいものになるのだと思います。』



……と、数か月前、こんなことを書いていました。


今読み返してみて、やはりこういう練習にかけるはずの時間を、
3Aを二回を入れることの練習に費やしてしまうのならば、
浅田選手は、せっかく今期当初、憑きものが落ち、破りかけていた
はずの殻を、今回のオリンピックでも割ることができずに
終わってしまうかな、と感じてしまいました。
どうか杞憂でありますように……。



ただ、今の時期に、アクセル二回に挑戦したことも、今の時期に、
異様な空気に呑まれてしまったことも、個人的には良い事と思うの
ですよね。あ、呑まれたなと気づいて目覚めればいいだけの話ですし、
もしかしたら、今、新たな気持ちで、3Aと三回転‐三回転を試せば、
とても簡単に感じるかもしれませんし、ね。


そして、本番の演技が終わるまで、いつでも、惑わされない方法は、
常に、ごくシンプルな課題を心に刻みつけていることです。例えば、
ショートでは生きた表現、フリーでは無心での音楽の体現、とかね。



……と、これは、一ファンの勝手な理想だけれども、ともかく
浅田選手なりの、誰にも何にも惑わされていない正しい判断で、
シンプルで最適な目標を定め、自信を持って戦いの場に
向かっていって欲しいな、と、こっそり熱心に願っています。
皆さんは、いかがでしょうか……?



しかし、今回、ブログ二回分を、まとめてアップしているような
ものですから、さすがに長いですね。(……ていうか、いつも通り?)
きれいにまとめようという野望は潔く諦め、このまま潔く
書き逃げしてしまおうと思います(苦笑)。



それでは、皆さん、良いお年を!


Season's Greetings with all good wishes for the New Year.




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