今そこにある混沌

前回ブログを更新してから、四か月以上経ってしまいました。
……というようなことを書くのも何度目でしょうか(苦笑)。


気づけば、2015年も既に春真っ盛りですが、
皆さんはいかがお過ごしですか?


もしかして、どこか落ち着かなさを感じている人も多いのではないかしら。
近頃世に漂う微妙なちぐはぐ感を、意識するでもなく肌で感じている
人は、少なくないように思います。



ということで(?)、現在世に漂う微妙な混沌を、ごく無意味に
言葉にしてみようと思いつきました。何しろ、曖昧な何かを
言葉にすれば、案外気分がすっきりしてしまわないとも限りません。
今年に入ってから、どうも何かがすっきりしないので。



今回も無駄に自らの頭の中をまとめる内容になりそうです。
あ、無駄にしている時間はないな、という方はどうかご注意を(笑)。
(しかも、中々アップできないまま時が流れてしまったため、
若干、内容が期を逸した感もあるかもしれません(苦笑)。)



では早速。


ええと、国内外問わず世の中は相変わらず不安定ですが、
どうも日本国内に限って言えば、何かが次段階に進んで
久しいように感じます。


世の空気は日々変わり続けるものですが、ある一定の期間は、
同じような匂いといいますか、同質の括りの中に収まっている
のですよね。で、その「質」が、ある時変わるわけです。


震災のように大きな出来事がそれまでの空気を覆し、一気に質を変えて
しまうこともありますが、平時?においては、大抵いくつかの象徴的な
出来事が重なり、以前とは異なる質の空気が少しずつ生み出されて、
やがて質そのものが変わる、という構造のような気がします。


この「同質の空気を持つ一定の期間」が「時代」なわけですが、どうも
今年に入って、その「時代」が変わったように感じます。そのように
感じている人は案外多いのかもしれません。



個人的には、今回の「時代を変える空気の変化」の目に見える発端は、
昨秋の内閣改造だったと思っています。で、解散総選挙を経て、IS
人質事件が収束したあたりで世に漂う空気の質が変化をし終えた、と。


「震災後」という括りがいよいよ終わったと感じますし、また、
より大きな枠組みの中で考えますと、「戦後」と呼ばれる時代も
終わりを迎えたのではないかしら、と感じます。


昨年末、日本は大きな岐路に立っている気がする、というようなことを
書いたのを覚えていますが、まさにそこから一歩先に踏み出した
後という感じ。あの時点では、踏み出す先もまだいくつかの選択肢が
あったはずですが、今はもう「進んだ先」にいるのですね。



いくつかあった選択肢の中で、日本がこの「現在」に進んだのには、
やはり国の、政治の判断と決定が大きく係わってきているはずですが、
今のところ、その選択には少し懐疑的です。


震災以降これまで、ずっと日本にあった「空気の落ち着き」が、
どこか失われてしまったように感じるからかもしれません。
……あの「空気の落ち着き」は、今の時代、何をおいても
日本が失わずにいるべきものだったと思うのですよね。



個人的に、日本の空気の落ち着きが失われてしまった
原因の一つは、為政者たちの「ものごとを見る目」が
微妙に客観性を欠きはじめたから、と考えています。
「今そこにある現実をただそのまま捉える」という
単純な確認作業をしなくなり、理想とする「未来像」
からの逆算のみで、ものごとが判断されているような。


与党になったばかりの頃は、現実が客観的な対象物だったので
「自らの理想とする形」と「現在地」との違いの把握が
容易だったけれど、自らの頭に思い描かれた政策が
徐々に現実に反映されていくと、中々それを客観的に
見ることは難しくなっていくのではないかしらね。


こと、現与党は、善かれ悪しかれ淡々と政策を実行していく
手段をもっているので、「政策=理想とする形」は、
多かれ少なかれ、実際に現実に具現化されていくのですよね。


故に、「机上の理想」と「現実」の違いが、野党時代に比べ
曖昧になるわけです。「現実」がある程度「自らの思考を
反映したもの」となるので、どうしても、現実を、主観なしに
捉えることが、難しくなるのですよね(たぶん)。野党時代は
ごく冷徹だった「現実を見る目」が鈍り、そこに「見たいもの」
を見るようになってしまう、といいますか。



故に、国内では物事の優先順位を見誤っていて、国際的には、
国としての立ち位置の「軸足の設定」を微妙に誤ってしまった、
ように感じています。全体的に、判断する際の「ものごとの認識」
が客観的=的確ではないために、進む先々で不要な歪みが
生じている状態、という感じ。



例えば、分かりやすいところで、外交と国際関係。
「戦後(冷戦後)の国際秩序」も乱れ始めて久しいですが、
現在の混沌の中の外交で最も大切なことは、


1.「日本的価値観と国際社会における日本の立ち位置」
2.「西欧的価値観の中での先進国の常識と秩序」
3.「西欧的価値観の外側にある諸文化の価値観と秩序」


を、可能な限り客観的に認識した上での、
世界の状態+利害関係の把握、なのではないかしら。


が、個人的に、この辺りの認識が、色々曖昧であるように
感じられてなりません。どうも、1と2のみ把握しようと
しているような、3が中途半端に2に組み込まれた形で
判断されているような。無意識に2のみを「国際社会」と
捉えてしまっているような……。ともかく的確さを欠く感じ。



その微妙な認識の最たるもの、と感じるのが、宗教です。


日本人は、本当に「特別に」他の宗教に対し寛容
なのですよね。


この特性は、こと今の時代には心から誇るべきことだけれど、
為政者たちの発言やニュースを見ていて、時折「日本人は、
『他の民族が、その日本的特質・考え方を理解できない』
ことを認識しているかしら」と疑問に思うことがあります。


そして、そこの認識が甘い故に、「日本的寛容さ」を、
他意がないまま他宗教の信者にも押しつけようとする
きらいがあるのではないかしら。


国内ならばそれでも構わないけれど、こと外交においては
「日本的な宗教観の寛容さ」を訴え同意を求めるのではなく、
むしろ「自らが宗教概念に寛容なアウトサイダーである、
という特性と立場」を、したたかに利用すべきなのではないかしら。



また、「日本」が「世界の常識」と捉えていると思しき感性・価値観が、
主に「英米ユダヤ」から見た常識である、という認識は、
ちゃんとあるのかしら、と不思議に思うこともあります。
こと、外務省の方々などは、愚直にそれを「世界基準」と誤認し、
とてもデリケートなものごとに、安易に対応してはいないかしら、と。


故に、甘い状況判断を基に安易に行動を起こし、結果、意図せぬまま、
日本はすでに、本来明確にする必要すらないはずの、宗教的「サイド」
を取ってしまった状態である、と個人的には感じています。


せっかくの、同じ土俵に立たなくても良い特権(=宗教上はどっちつかず
がなんとなく許される曖昧な立場」)を、日本はみすみす手放して、
動きが制限される土俵に自らあがってしまった気がするのですね。


これは、世界の浮つきの中に自ら飛び込んでいったということで、
国内の落ち着きを直接的に失わせた大きな原因と、個人的には
思っています。(どころか、今年に入って世界をより不安定に
させた要因の一つ、とすら感じます。)


もちろん、日本は先進国の一員として、欧米主導の「世界基準の常識」と
足並みをそろえなければならないのですが、的確に状況を認識して
さえいれば、足並みをそろえているように見せつつノーサイド
というしたたかな立場をとり続けることもできた、と思うのですよね。
というか、日本は、立場上それができる唯一の国ではないのかしら。
(……具体的にどうするのよ、とは聞かないで下さい(笑)。)



色々な面で日本は今、世界の中での、分かりやすい「強国」
という立ち位置を取り戻しつつあると思います。が、それが
今後の世の中で求められる「強い国」のあり方かといえば、
そうではないように感じます。


今後、世界の中で重要な役割を担うようになるのは、「強国」ではなく
「したたかな国」ではないかしらと思うのですね。


「強国」は過去の価値観に属するもので、「したたかな国=国際社会で
孤立することなく、また突出することもなく、かつ、あらゆる面で
『国際的価値観』と一線を画した自国の価値観を持ち続ける国」こそが、
今後の価値観に適った、力のある国となっていく気がしてなりません。



ともかく、自らの失敗・功績でさえも距離を置いて分析できるような
「冷徹で客観的な視点・判断能力」は、難しかろうが何だろうが、
現在、日本が何としてでも身につけなければならない、
最も重要かつ必要な処世術なのだろうと思っています。ものごとを
シンプルにし外交・政策の実行にしたたかさを生む原点ですものね。



例えば、今何かと話題の「歴史問題」。


一般的な日本の風潮として、事実をきちんと列挙して訴えていけば、
「世界、少なくとも米国は分かってくれる」と盲目的に信じている
ふしがありますが、米国こそ中国や韓国と同じ穴の狢ではないのかしら。
そもそも日本が悩まされているこの「歴史問題」の出発点は、
GHQプロパガンダなのではないのかしら。そして、実は、
米国ほど「正しい(客観的な)歴史認識」が世界に蔓延して
困る国はないのではないかしら。


今、声高に叫ばれる「人道的な観点」から考えても、米国以上に
先の大戦で「非人道的」な行いをしている国はないわけです。
ナチス以上の大量虐殺を、一民族に対して行っているのですもの。
言わずと知れた、原爆ですね。で、この虐殺が「正当化」される
唯一の道が、日本が「侵略者」だった、とすることなのですよね。


また、ナチスの行いを肯定することは決してしませんが、かの
「迫害」が現代の世で、ここまで人類最大の悪行として象徴的に
認識・糾弾されているのには、先勝国の富裕層にユダヤ教徒
占める割合が高いことが無関係ではない気がします。
もちろん一素人の個人的な意見ですけれど……。



ともかく、こういうことが「正統な常識」としてまかり通っている
時点で、現在の「先進国目線の世界の正義」はダブルスタンダード
なのですよね。ですから、日本こそ、自らの「歴史問題」を
はじめとする諸問題に向き合う時、現在の「正義」が、歪んだ土壌の上に
成り立っている、ということを誰よりも的確に認識していなければ。


その上で、日本にとって最善の落としどころを見つけてほしいです。
もちろん、これまでのように「事なかれ」でやり過ごすのは
愚の骨頂ですし、かといって、客観的「正義」を正攻法で
振りかざすのも不適当、現状のパワーバランスも考えなければ
ならないし、国益も損ねないように……と、ああ、もう大変。


勿論、現政府はその辺りは百も承知で、したたかに
立ちまわってくれていると信じますが……。


例えば、日本と直接の利害関係がなく、かついまだ世界的な影響力を
持つBBCあたりをうまく引き込んで、彼らが「自発的に」
ドキュメンタリーなどを作って世界に配信するように仕向ける、
なんてことをこっそりしている、とかね(笑)。
とにかく、したたかに、したたかに、と願ってしまいます。



国内に目を移しても、今は、まさに混沌のまっただ中。
新時代の「手探りの時期」と思いますから、何もかもが
あやふやなのは当たり前なのですけれど、それにしても、
どうも社会の軸になるはずの「価値観」がしっかりと
定まっておらず、しかも、為政者側が目指す「国の理想像」が、
「現実の必要性」と、今のところ結びついていないので、
社会全体が不安定に混乱しているように感じます。


「戦後の秩序」やこれまでの「常識」が崩れ去り、せっかく
新しい時代の新しい秩序を形作ろうという気運が盛り上がっているのに
まだ物事は、前時代の価値観の範疇で判断されている、感じかしら。
そして、それではだめなのですよね。


こと、政治に係わる人々は、前時代の価値判断そのものから解放された
目で現在の空気を眺め、見極め、そこから未来に続くビジョンを
描き出してものごとを決定していかなければ、色々なことが上擦って
根付かず、混乱が続くだけとなるのだと思います。



勿論、自らが描く理想を、ぶれることなく実現に向けて
押し進めることは大切なはずですが、その理想が、
上からの押しつけになってしまった時点で、
政治は「実」を見失っているのですよね。
結果、描いたような成果も生まれなくなります。


「描く理想」がどこかで現実の必要性と結びついていなければ、
それは「誰かの空想の産物の具現化の押しつけ」となるのですもの。


現実の必要性が率直に満たされる・解決されることがなくなり、
また、為政者が、思い描いたように成果が出てこないと焦りはじめると、
安直な成果を求めさらに本質を見失い、どんどん泥沼にはまっていって
しまうのではないかしら。



もちろん、今行っていることの全変換、ということではなく、
ただ「現実」と「描く理想像」との接点をきちんと把握し
微修正を繰り返せばいいだけなのだと思います。


だから、やはり、今こそ、一度立ち止まってじっくり物事を
見つめ直す時期なのではないかしら、としみじみ思います。
ものごとが単純ではなくなっているからこそ、「掲げる理想」
と今の時代との適合性をきちんと見極めるべきなのですよね。
選挙があり、国内外で問題は山積み、で、そうは
言っていられないとは思うのですが、せめて心構えとして、ね。



政治は成果が出るまでに時間のかかるもの。一度判断を誤ってしまうと、
簡単に軌道修正ができるものではないのですよね。けれども、
小さな歪みはいずれ大きな歪みとなり、現実に跳ね返ってくるもの。
軌道修正を先送りにすればするほど修正は困難になる、と思います。
その典型的な例が「戦後」問題なのではないかしら。



ともかく、この国の風土気候と、そこに暮らす日本人という集団の
特性を解釈することから、日本に適した価値観=国の未来像は
見えてくるのではないかしら。やはりその軸(根?)の部分が
はっきりしていないと、また、的確でないと、何もかもが
浮ついてしまいます。個人的には、どうも現政府の、この部分の
理解・解釈が、今、どこか的確さを欠いている気がしてなりません。


かつ、利害関係を一切抜きにした現在の世の状態(国内外の)を、
とにかく、今、もう一度客観的に把握しておく時期なのでは
ないかしら、と思うのですよね。政治的経済的なことだけでなく、
とにかく全てを、それこそ「地球儀俯瞰」的に。



その上で、上記の二つを突き合わせて対比させれば、色々なことが
明確になり、道が見え始め、現在手を付けるべきものごとの優先順位も
自ずと決まってくるような気がしますが、いかがなものかしら。
……って、我ながら何とざっくりした物言いでしょうか(笑)。


 

……と、ここまで思いつくままに書きなぐって参りましたが、
いったい何が言いたいのか、自ら疑問に思います(苦笑)。


ええと、とにかく、今年に入ってから、世の何かが、
的を得ていない、ように感じるのですね。で、その微妙な「ずれ」
から生じる歪みと浮つきが、今の混沌を生み出している、ような
気がするので、どうかこれ以上、色々悪くなりませんように
と願っている、ということでいいかしら(笑)。


と、適当に結論が出たところで、今回も潔く
書き逃げをしようと思います(笑)。



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