光明

あっという間に2016年となり、気づけば立春も過ぎています(苦笑)。
今年も時間に追われる年になるかしら、としみじみ考えている
この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?



さて、こうして久しぶりにブログなどを認めていますと、昨年の今頃、
今年(2015年)は全体的に明るく前向きな年になるといいな、と
漠然と願っていたことを思い出します。


実際は、明るくもなく全体的に後ろ向きな年だったと思いますが(笑)、
今、振り返ってみると、あの当時すでに心の奥底では、2015年が
明るく前向きにはならないことを知っていた、と思うのですよね。


何といいますか、世の何かが難しい方向に進んでしまったのを
頭のどこかで認識してはいるけれど、
進んでみれば良い方向にむかうのかもしれないし、と、
とりあえず希望的観測でごまかしていた感じ、でしょうか。
肌感覚的な物事の理解は、理解する個人の思い込み
という場合もありますし、せっかくの新しい年なんだから、
と、とりあえず色々ポジティブに願っていたような。


ただ、こうして過去を振り返ってみて「あら、やっぱり」という、
想像した未来と似た結果だったりすると、直感や肌感覚による理解も、
あながち完全な妄想という訳でもないのかしら、という気になります。
いや、妄想であることに変わりはないのですけれど(笑)、
どこかに何らかの真実を内包する妄想ではあるのかな、と。



と、相変わらず回りくどい前置きをしたところで、本日の本題に。
ええとですね、日本代表のサッカー選手についてですね、
独断と偏見で観察した結果を書いてみようと思います。


が、職業的な理由により興味の対象は、集団と人間と
人間関係ですので、サッカーそのものが話題なのではありません。


実は、昨年11月の代表戦最後の試合を見た時、ふと嫌な感覚を覚えて、
この裏ブログの下書きに、そのことをちらりと書いてあったのですね。
その後、そのままほったらかしてありましたが、
現在、「あら、やっぱり」という結果が出ているので、
その時感じたことをきちんと言葉にしてみようかな、と思い立った訳です。


以前、男子サッカー代表について書いた時と同様、本田選手のファンの
方々には、間違いなく腹立たしい内容となるはずですので、あしからず。
また、ごく非科学的に感覚的な話ですので、そういうの嫌いなんだよね、
という方も、ぜひお時間を無駄にされないことをお勧めします(笑)。



では早速。


11月の代表戦を見て、今後香川選手大丈夫かしらと心配になったのですが、
以降やはり徐々にリズムを崩し運を失い、現在「あら、やっぱり」
となっていて心が痛みます。スポーツ記事でも色々噂されていて
メンタル、戦術変更、戦力外、監督との確執云々と言われていますが、
あくまで人間の波長といった目に見えにくいものの観点からのみ見ると、
香川選手がリズムを崩す大きな原因は本田選手との交わりと思っています。


「いやいや、さすがにそれは言いがかりでしょう」という嘲笑が
聞こえてきそうですが(苦笑)、個人的には、様々な伏線を
取り払った核心部分(発端?)はそうではないかと思っています。


バカバカしいようだけれど、ある人がある特定の人の調子を崩す、
という事態は簡単に起こり得るのですよね。通常「相性が良い悪い」
あたりの言葉で表現されているけれど、AはBの、BはCの、
もしくはCはAの調子を崩す、ということは、案外どこででも
起こっていることと思います。それが競技の結果に直結する
「選手」の場合、なおさら顕著に現れるのではないかしら。



シェイクスピアの悲劇「マクベス」の中にですね、


There is none but he
Whose being I do fear: and under him
My genius is rebuked, as it is said
Mark Antony's was by Caesar.
(奴ほどに俺が
恐れるものはない:奴の守護霊の下では
俺の守護霊は怖気付いてしまうのだ、ちょうど
アントニーのものがシーザーの前で怯えたように)


という台詞が出てきます。武将マクベスが、友人のバンクォーを
敵にまわす事を恐れて言う言葉ですが、相撲でも、横綱が、
特に強いわけではない特定の力士を苦手とする、ということが
多々ありますし、格闘技だけでなく、個人技の対戦競技でも
よくあることなのではないかしら。相性、ということですね。


ただし、香川選手と本田選手のケースは、単純な相性の
良し悪しの問題ではないと考えているのですけれど。



……以下、そういった目に見えない人間の運気のやり取りが
存在する、と前提した上での仮想(妄想?)ですので、
ご興味のある方は、ごく軽い気持ちで、くれぐれも
さらりと読み流してくださいね(笑)。



個人的に、本田選手という人は、とても厄介な特殊な能力の
持ち主だと思っています。で、香川選手は、現在、その
特殊な能力のターゲット対象となっている、という関係では
ないかと思うのですね。
何だかSFのような響きですけれども(苦笑)。


ええとですね、ブラジルW杯の頃、本田選手の才能の本質は、
サッカーの才能ではなく、並外れた思い込みと意思の力だと思う、
と書いたのですが、その辺り、当時より現在のほうが
分かりやすく顕著だと思っています。


むしろですね、今では意思の力云々の域を超えて、
執念や怨念の類に近づきつつあるような気がするのだけれど、
いかがなものかしら。向上心と野心というよりも、
純粋な我欲という感じになってきているような。


なんだか、そんなことを感じ取った昨年11月の
代表戦だったと個人的には思っています。



ことW杯以降の本田選手のスタンスをですね、一言で表現すると
「自分の野心の為になりふり構わず」ではないかと思います。
もちろん悪意があってのこととは思わないのですが、
モチベーションは利己的であるように感じられてなりません。


で、その利己的な行動を周囲に「野心的な努力家で結果を掴み取る人」
というプラスの解釈として納得させてしまえることが、
同選手の特殊能力の、まずは一つと思うのですね。
思い込みの強さの部分でしょうか。言葉で表現される自己認識像と
現実とに乖離が見え隠れするのだけれど、自らの願望が投影された
自己認識像を、自分でも真実と信じ込むことができ、周囲の人々にも、
その自己認識像をそうと信じ込ませてしまえるような。


ある意味、純粋に利己的なので、罪悪感も自覚もないでしょうから、
きっと対峙してしまうと、相手は彼のまっすぐな思い込みの勢いに
飲み込まれてしまうのではないかしら。例えば、代表監督あたりは、
もう本田選手自身の言葉の色眼鏡を通してしか本田選手を
見ることができないのだろうなあ、とも思います。普通、
話をすることでその人物への理解を深めるけれど、話せば話すほど、
相手に自らの本質を見失わせてしまうことができる人って、
多分いるのですよね。願望の強さ+思い込みの強さの結果なのかしら。



それから、同選手にはもう一つ、意思の強さという能力が
あると考えているのだけれど、これがまた大変やっかい。
よく「代表は本田選手に依存していて、結局本田選手抜きでは
何もできない」などと評されますけれど、実際のところは、
ピッチから外れた本田選手が、自分抜きでは誰も活躍するな、
誰も得点を決めるな、と無意識にせよ意識的にせよ、
強く念じているがゆえの事態なのではないかと訝しんでいます。
嫌な言い方をすれば、何をおいても「自分」の活躍の場を作る事を
優先させたいメンタリティの持ち主なのではないかしら、と。


「そんなマンガみたいな事できるわけないじゃん」と
苦情の声が聞こえてきそうですが(笑)、人によっては
できてしまうのですよね。だからこそ、本田選手がそういう
特殊な才能の持ち主だと思うのですもの。人間の念は
現代の人間が想像する以上に力のあるものですし、
集団というものは、不思議に脆く繊細なものなのですよね。



さらに、実はこれが個人的には一番引っかかる部分なのですが、
本田選手は、サッカー選手としては決してトップレベルではなく、
独自のスタイルや現所属チームでの立ち位置を自力で確立するだけの
力量はないと思うのですね。が、サッカーという競技で
高いレベルで成功したいという野心は人一倍強い、と。


何をするかというと、結局、誰か他の、能力があって自らの
タイプモデルとできるような「成功例ターゲット」を見つけ、
徹底的に「その人」になろうとする、のだと思うのです。
影響を受けたり参考にしたりという事とは微妙に違って、
むしろアイデンティティを乗っ取るという感じかしら。
しかも、そこは決して無理をせず、ちゃんと手頃な、努力で
いずれ手が届くところに「ターゲット」を探し出すのですよね。
まさに目標を見つけて努力、ではありますが、個人的には、
あまり見ていて良い気持ちはしないタイプの選手です。
大抵の場合、ターゲットを犠牲にしてしまうからでしょうか。


11月の代表戦での、なんといいますか、集団の空気感を眺めていて
(画面越しにですけれど)、本田選手という人はもしかして
根っからそういう体質なのかしら、と考え込んでしまいました。


同選手の選手としての特徴が「フリーキックの名手」だったり
「トップ下のDNAの持ち主」だったり「鋭いパス」「ゲームメイク」
「献身的」「チャンスメイク」「潤滑油」だったりと時期毎で
変化するのは、競技能力の柔軟性や幅を示しているのではなくて、
独自の創造性の欠如と努力による習得能力を示していると考えています。
不屈の努力は素晴らしいことなのだけど、何かちょっと嫌なのですね。
野心や努力の方向性が、多分身の程を超えてしまっているあたりが。



実は、今季香川選手が新境地を開拓して調子を取り戻したことが、
嬉しかったのですが、再び「スター」に返り咲いてからの
代表招集が嫌だなあ、と思っていたのですよね。
香川選手は、特に色々と吸い取られやすい体質なのかもしれませんし。
とにかく、本田選手との接触で、何らかの微妙なセンスを
微妙に狂わされてしまうのではないかしら。
自信とか、肌感覚とか、同時に運とかもね。
まさに彼の'genius'が'rebuked'で'fear'を覚えるという感じ。
同様の立ち位置にいたとしても、さほど影響を受けない選手も
いると思うのですけれど、そこは、相性、なのでしょうか。
本田選手には幸運で、香川選手には不運な組み合わせ。


個人的には、香川選手ほど本田選手という存在から
解放されてほしいと願う選手はいないのですが、
11月の試合を見ていて、ふと、こういう特殊な人の「念」から
逃れることってできるのかしらと疑問になったのですよね。


そもそも、特殊な執念の持ち主の明確な野心の一つが
「日本代表での活躍」にあり、その分野での成功の象徴=10番が
現在香川選手である限り、香川選手も日本代表も、
その執念の縛りから自由になることは難しいのではないかしらと。
その執念が成就して、ターゲットが別のものに移るまでは。
そう思ったところで、どうにも嫌な気持ちになり、そういえば
ここでさっさと書くのをやめてしまったのでした(苦笑)。



さて、ここからは本田選手云々ではなく、香川選手に話を移動。
英語圏の文化で、優れた芸術家やスポーツ選手を、
神に愛された人々と呼ぶことがあります。
キリスト教的に、優れた能力は神からの贈り物と
考えるところからきているのでしょうか。天賦の才とも言いますね。
香川選手は、この「神に愛された人々」の一人と思っています。


とりあえず、この「能力=God's Blessing」そのものは誰にも
奪うことはできないわけですから、今がまさに正念場と思って
応援しています。ただ、この「Blessing」って、頭や言葉で
理解できるものではないのですよね。同様にBlessingを受けた
人間にだけ感じ取ることができるもの、と言いますか。
そのあたり、色々厳しいところもあるのかもしれません。
天才と同じものを見ることができるのは天才だけ、と言いますし。
だからこそ同レベルのチームメイトには、
好かれ信頼されているのでしょうから。


ただ、素人目線で、シンプルに簡単な事実だけを見ると、
今の状況は大きなチャンスを与えてもらっているようにも
感じるのですけれど、実際のところはどうなのかしら。
ええとですね、


1.代表に招集されて帰ってくると調子を落とす
2.チームで前半に活躍したポジションと代表で担うポジションが異なる
3.代表では活躍していない


あたりが、11月時のシンプルな事実と思うけれど、現在、
所属チームで香川選手が活躍できず苦労している状況というのは、
代表で苦労している状況ととても似ているのではないかしら。
だとすればその状況の打破方法を、能力の高い所属チームのメンバーで
探らせてくれているのだから、むしろラッキーであるような気もします。


監督としては、自チームの中心選手に代表に呼ばれる度に
いちいち調子を落とされてはたまらないですし、
意図しているかどうかはわからないけれど、
色々一石二鳥を狙えるなら、狙うのではないかしらね。
もしかすると、香川選手をもう数段階上の選手に作り変えて、
自分色にイメージを変換させたいのかもしれませんし。


Blessingを受けた選手にありがちで、香川選手もどこか、
向上心と野心に欠けるところがあるようにも見えますし。
2連覇時のような動きはもうできないかもしれない、
と言っているのをどこかで見ましたが、きっと本当は
やればできるのをやらないでいるだけなのかもしれませんし。
なりふり構わない図太さと、執念と、必死の努力の姿勢は、
香川選手が他から奪っても許される部分なのではないかしらね。
それを取り入れたって、Blessingの生み出す華のあるプレイは
消えるわけではないですもの。


今の不穏な空気を一変させて、またチームが生き生きと
楽しげにプレイできるような状況を作り出せるのは、
結局、香川選手の創造力だけのような気がします。
ので、実のところ、求められていることは、さほど
難しいことではないのではないかしら、という気もします。
「型枠」だけをしっかりと頭に叩き込んで、あとはその枠内で
自由にのびのびとプレイすれば、周りがつられて
躍動し始めるのではないかしらね。決まりごとの中で何ができるか、
そういうことを考えるのは、むしろ楽しそうな気がしますけど。


確かに天才の見るものは天才にしか見えないのだけど、
凡人のはめ込んだ型枠の中でも自由に呼吸できるのが
天才でもありますし。型枠内にさえいれば、凡人は
満足するものでもありますし。もし今仮に信頼を失って
いるとしても、些細なきっかけで好転するかもしれませんし。
単純に可愛さ余って憎さ百倍、という状況かもしれませんし。


実はですね、現在のクラブチーム監督との戦い?に勝利して
監督が望むようなこと「も」こなせるようになり、
クラブチームでの立場を不動のものにできれば、
香川選手は代表でも本田選手からの影響を受けずに
済むようになるのではないかしら、となぜか私の分析論にも
直感的に光明が見出せたので、まとめてアップしてみよう
という気になったのでした(笑)。



と、全く関係のない人々の、全く詳細などわからない状況について、
全く意味もなく独断と偏見で詳しく解説してみたわけですが、
一体何がしたかったのかしら(笑)・・・?


取り急ぎ、香川選手への応援、ということで、
今回も潔くサッと書き逃げしようと思います。



<追記>


上記の、ごく無意味で独断的な分析に直感的に見出した光明を、
ごく無駄に具体的な言葉にいたしました(笑)。
このままですと、どうもすっきりしなかったので。



ええとですね、スポーツ選手や芸術家の天賦の才というものは、
本来、「普通の」同業者ならば、その違いを肌で感じ取ることが
できると思うのです。そこで、残念ながら神のBlessingを
受けなかった人々は、自分の身の程を知る、のですね。で、
それぞれ自分の活躍すべき場所というものを知っていくわけです。


身も蓋もないようですが、単純に適材適所。全員が主役では
世は成り立ちませんし、色々な役割があり、そこに適する
それぞれの才の人がいるわけです。種類の違いであって、
決して良し悪しではないのですよね。


ただ、やはり天賦の才の持ち主が担うのは、人々の憧れの的
となる立場ですので、自分はそうではないのだなあ、と
認識することは、特にスポーツ選手にとっては、
辛い経験となってしまうのかもしれません。


が、天才には天才の痛みや辛さや苦しみがありますし、
そうではない人々には、天才には望むべくもない幸運や
喜びがある訳です。世の摂理というものは、本当は
とてもうまくできているものなのですよね。


個人的に、本田選手に引っかかるところがあるのは、
まさにこの部分。野心が身の程(自らの能力の種類と上限)
を凌駕してしまっている、と言いますか。
意志と思い込みの強さで、主観的に自らを信じ
我武者羅に努力する姿勢、と言いますか。
一見、良いことのように見えるのですけれど・・・。


でもですね、客観的な自己認識=身の程を知ることは、
やはり本当の成功の基本中の基本なのではないかしら。
「天賦の才」を認めず、努力すれば自分もそこに
たどり着ける、と思い込む執念は、本人にとっても
周囲にとっても、大変危険だと思うのですよね。
度が過ぎる野心は、いずれ身を滅ぼしてしまうものですし。


個人的には、自らの才能の種類をきちんと見極めて
自らの適所を見つけ、そこで一流の質の仕事をしている人は、
やはり最終的には能力の種類にかかわらず、一流と
認められていくのだと思うのです。まさに適材適所、と。



で、本田選手の能力を総合的に解釈し、サッカー競技における
同選手の最適な活躍の仕方を想像してみますと、例えば、
「2部チームの1部昇格請負人」といったものになるのでは
ないかと、個人的には思います。同選手はですね、良くも悪くも、
自らのレベル「に」周囲「を」従わせることができるのだと
思うのですね。ですから、本人の能力よりも劣るレベルの
人々の中にある場合は、最高の人材となるのではないかしら。


ですから逆に、自らの能力を上回る人々の中にある場合は、
周囲の人々を自分のレベルまで下げてしまうことになって
しまうのではないかしらね。


頑なに身の程を知ろうとしないがゆえに、この地位に
固執してしまうのは、いつかどこかで本人の歯車をも
狂わせる第一歩と思っています。


真の成功の鍵は、自らの身の程を知る、ことにある、と。



で、です。香川選手も「身の程」を知らねばならないのでは
ないかと思うのですね。彼の場合は、逆方向にですけれど。
「天賦の才」を的確に自覚し、それを最大限に引き出す努力を
することは、実は「神に愛された人々」の義務だと個人的には
考えています。そうでないと、他の人々に対して色々失礼に
なるのですもの。そして、やはりいつかどこかで本人の歯車も
狂わせてしまう、と。


ゆえに、香川選手が自らの天賦の才を正しく認識し、
きちんと正しく努力して、存分にその才能を発揮することが
できるようになれば、それが本田選手が身の程を知る
きっかけになるような気がする、と直感的に感じたことが、
この分析に差した光明である、と定義いたします(笑)。



ああ、すっきりした、とごく無意味に満足したところで、
清々しく二度目の書き逃げを(笑)。


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