練習の成果

今年も夏至まであとひと月になりました。
個人的に、2006年の夏至に記憶に残る出来事が様々ありまして
あれからもう10年?と気付き、……ゾッとしています(笑)。


それにしても、どうも1〜3月の3ヶ月よりも、3〜5月の
3ヶ月の方が長く感じる気がするのですが、皆さんはいかがでしょうか。
1月と3月は「年初め」という同一のくくりの中にあるから、あまり変化を
感じず、あっという間のような気がするけれど、5月は、一年の前半の後半、
というまた別のくくりの中にあって、その、くくりをまたいでいることが、
長さを感じさせる原因のような気がしていますが、いかがでしょう。


……というか、あまりそんなことを真剣に考えてみようと
思いつく人はいないかしら(笑)。



さて、今回は、舞台に立つ側の準備について、過去を思い返しつつ
個人的な見解を少し書いてみようかと思いつきました。


例えば長丁場の公演をする際に、人間ですから、やはり
調子の悪い日というものはあるのもので、常に
100パーセントの出来の公演になるわけではないのですね。
大体、いつも同じことの繰り返しですから、精神的な
新鮮味などはすぐになくなりますし、あとはひたすら
日々の仕事をこなす、という感じになるわけです。


で、もちろん良い日、悪い日とありますが、お金を払って
見に来ている人がいる以上は、今日は全然ダメだった、
という日を作るわけにはいきません。



で、どうするかと言いますと、調子の悪い時でも最低限の仕事が
できるような準備をします。それを支えるのが「技術」と。
身についた技術は、調子の良し悪しに関係なく体に染み付いて
存在するものですから、その「技術」と、それを「日々の調子に
関係なく発揮できる術」を練習によって蓄えておくわけです。


個人的にはパフォーマンスの次第点を90パーセントの出来に
設定しています。そして、その90パーセントは頭と理性で
把握できる技術部分で補えるようにしておくわけです。
感性や感覚に頼らない、毎回同じように繰り返せる部分ですね。



そうすることで、調子の悪い、ノリの悪いとき(どうしても
そういう時はありますから)でも、最低限、支払ってもらった分の
内容は観客に見せることができるようにしておくわけです。


観客は、玄人の技術を見に来ていると考えていますので、
「調子」に左右されない個人的技術的「完成度」が、
公演の90パーセントを支配するよう仕上げておく、と。
で、それがチケットの値段だと個人的には思っています。



残りの10パーセントですが、その日の調子や出来、感性・感覚に
左右される部分として残しておきます。勿論、コンディションを
整えるのも仕事のうちですから、大体、うまくコンディションを合わせ、
平均して95〜100のパフォーマンスができるように調節するわけです。


その中でも、特に調子のいい日というものはあるわけで、
そういう時は、100パーセントの出来というものを超え、
110パーセント、120パーセント、時によっては200パーセントの
出来になる、と。生の舞台は、演者と観客とで作るものですから、
そういう空気感を作り出した観客の功績、になりますでしょうか。


不思議と、今日は80%くらいのひどい出来だ、と演者側が思う日も、
観客側が50くらいを足してくれて、結局は130くらいの
素晴らしい公演になる時もあるのですよね。



話が少々逸れました。戻しまして……ええと、どうして
そもそも最初から技術で用意する部分を100パーセントにして、
いつでも100パーセントの公演が出来るようにしておかないのか、
と思う方もいると思うのですが、個人的には、10パーセントを、
その日の振り幅としてとっておくのが良いと考えています。


常に100パーセントで仕上げる集団もあるはずですが、
それですと、どうにも生の舞台の面白みがなくなってしまうように
感じるのですね。何にも左右されず(=どんな観客のどんな
空気感であっても常に同じパフォーマンス)常に100パーセント。
それだと、映画と同じになってしまいますから、逆に舞台の魅力が
消えてしまう気が、個人的にはしています。


そんな風に無難に完璧にかつこぢんまりと100でまとまった公演では、
観客は、90パーセントの「まあまあ」の出来にも当たらないけれど、
130パーセント、150パーセントの忘れられないような舞台に
巡り会える可能性もなくなってしまう、と。


ですので、「そもそもチケット代分が100であるべきじゃないの?」
という方々には、10パーセント分は宝くじ代ということで、
と(無理やり)ご納得いただきたいと考えています(笑)。
舞台は生き物ですから、その「生きている部分」に合わせ
変化させられる、あそびの部分を「宝くじ」と。
当たらなければ無駄になるけれど、当たれば、チケットの価値を
遥かに超えるいいものが見れますよという、まさにLottery。



ただですね、言い換えれば、「気分」や「ノリ」「高揚感」に
左右される部分を最大10パーセントに押さえておくのですね。


特に、外からの刺激にはパフォーマンスを左右されないように
気を使います。たとえ良い方向に刺激を与えられるのだとしても、
外的要因からくる一時の(絶対に長続きはしませんから)精神的
高揚感が生み出す調子の良さを「こう」と感覚に記憶させてしまうことは、
長丁場では危険だと考えています。インスピレーションなど
というものは、ごくたまにしかこないわけでもありますし。


つまり、残りの10パーセントは、あくまで「当日の会場そのものの
空気感やその日のコンディション」のみに左右される状態にしておき、
公演以外のところから気分的感情的高揚感の持ち込みをしない、と。
マチュアでしたら、そういうモチベーションの整え方があって
良いように思いますが、基本恒常性が求められるプロの場合は、
やはりそれは危険、と思っています。



結局の所、公演の外から高揚感を持ち込んでしまう、ということは、
「頭」の部分の比重が重くなった状態なのだと思うのですね。
「その場その時の現実」から直接高揚感を得ているわけでは
なくなってしまっているので、実は色々バランスが悪い状態、と。
ので、後に急激に調子を崩してしまいがちです。が、高揚感からくる
調子の良さが記憶に残ってしまっていると、そのアンバランスさに
なかなか気付けないのですよね。故に、空回ってしまい危険、と。


とにかくバランスが大事だと思っていますが、長期で「バランスを保つ」
ことは、案外デリケートな問題で難しかったりするのですよね。
個人的にキーポイントは、どんな時も常に地に足がついていること、
調子は心技体含めて「その場」で計る・作ること、と思っています。


ので、今日はよかったな、という日が続いた時、その調子の良さは、
外部からの気分への刺激を求めることによって持続させようと
するのではなくて、いずれ来る調子の悪くなった時のための、
淡々とした、つまらない技術的準備を地味に地道に無変化に
続けることによって保つ、ということを個人的には心がけています。
それがいつでも正解とは限らないのですが、基本形として、
そういうふうにしています。
そして、公演中は大抵それが吉と出るのですね。



ので、気分転換は、「調子の悪い時の為」用にしています。
かなり疑り深い性格なのでしょうか(苦笑)。
うまくいっている時ほど、慎重になる、と。



で、です。現在、特に長い公演をしているわけでもないのですが、
まさに今が「調子の悪い時」(笑)。これが寄る年波か?などと
感じつつ、もう色々大変不調。故に、こうして気分転換に
PCに向かい、これでなんとか色々整うことを期待しつつ、
頭の中の整理などをしています。



……しかし、「こんなことを読まされても困るんだけど」
という声が聞こえてきそうですが、潔く無視いたしまして、
しかも何の結論もなく、今回、このまま潔く書き逃げを
しようと思います。何しろ、調子が悪いわけですから(笑)!



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