印象

ここしばらくの間、熱に浮かされたように騒がれてきた
大相撲の出来事について、物事があまりおかしな方に
行かないといいなあ、と、また、怪我をした力士が、
これ以上困った状況に追い込まれないといいなあ、と
願いつつ、久しぶりに筆?を取ってみました。


今回の件で、日本人は、本当に気質が優しいのねえ、と
改めて思っています。それと、情に脆くもありますね。
曲がった事が嫌いでもあります。


さて、何をどう書こうか、何も考えていないままで
上手にまとまらないかもしれませんが、とにかく、今、
騒がれていることを、できる限りシンプルに、
言葉に表してみようと思います。


良い行い、というのは、案外すぐに人々の記憶から
抜け落ちてしまいますが、こういうスキャンダル的に
悪い出来事の印象は、どうしても長く後世にまで
残ってしまうもの。


今回の出来事で、モンゴルの力士たちの後世の印象も、
残念ながら、そういうものになってしまうのでしょう。


平成の名(大)横綱と呼ばれた貴乃花親方ですが、
信念が強く、高い理想を掲げる人という印象があります。
そして、きっと、親方は、モンゴルの力士たちが、
身勝手に縦社会の派閥をつくり、しかも内々で星の
回し合いをしていると、ずっと長い間、疑いを抱いて
きたのですよね。
もし、本当にそうだったなら、モンゴルの力士たちは、
すべきではない、恥ずべきことをしてしまい、今回、
当然の報いを受けることになったわけです。


貴乃花親方の掲げる理想は高く、本人も愚直なほど
真っ直ぐで、その思いや正義感に、多くの日本人が
共感して、悪しきは罰せよ、という大きな畝りになって、
今回のような騒動にまで発展した、と個人的には
察していますが、あまりに騒動が大きくなり、
ネットで少し調べ物をしているだけでも
至る所で目にするようになりましたので、私も、
ここに、こっそりと私見を書き綴ってみようかと
思い立ったわけです。


個人的には、モンゴルの力士たちの相撲も好きで、
多くが小兵の力士ですが、見ていて、流石だなあ、と
思うことも多かったのですよね。確かに日本人の好きな
相撲とは違うのかもしれませんが、身体能力の高さや、
勝負に徹する姿は見習うべきところも多いのでは
ないかしらと思っていました。
が、貴乃花親方始め、格闘技の専門家の目には
彼らの取り組みは八百長と映っていると知り、驚いています。
やはり、ガチンコ派と呼ばれる親方ですから、
見るところが違うのだろうなあ、と。


しかも故・九重親方八角理事長にも、現役の頃には
そういう噂があったと、今回の騒動を通じて知り、
素人としては、さらに驚いています。


若い頃、千代の富士と霧島の取り組みなど、手に
汗を握って見ていましたし、北勝海の突き押しなども
迫力があるなあ、などと思って観戦していたものでしたのに。


秋場所日馬富士の優勝も、見ていて単純に満身創痍
というふうに感じたものだったのですけれど……。


言われているような、卑屈な八百長で優勝や
星を売り買いしているならば、もう少し何か、
モンゴル人力士たちの態度や表情に、
後ろ暗いところが見え隠れしても良さそうなもの、
と個人的には思うのですけれど、こうやって、
そんなに腹黒い集団なのね、と教えられるまでは、
そんなことには、まったく気づきもしませんでした。


39歳で大怪我を乗り越えて幕内に戻ってきたという安美錦関。
先場所勝ち越した時のインタビューで、「負けて泣いた
ことはあっても、勝って泣いたことはない。
つらいことだらけだけど、頑張ってよかった」と言って、
涙ぐんでいるのをみて、思わずぐっときたものでした。
この人は、日馬富士関と同部屋の兄弟子だそうですが、
こういう不屈の努力の人に、日馬富士関は
「稽古場で一緒に上を目指してきた仲間」と呼ばれ、
引退を残念がられているのですよね。
類は友を呼ぶ、と言うけれど、汚い八百長をしたり、
今騒がれている類の理不尽な暴力を振るうような人が、
同じ部屋の、こういう環境の中で、生まれるものなのかしら?
と、少し不思議になります。


でも、暴力は暴力ですし、実際に貴乃岩は怪我をしており、
その酷い怪我の状態を見て、貴乃花親方は、尋常ではない
暴行事件と判断して、まっとうな裁きを、と
警察の手に委ねることにしたのですものね。


加害者を善人に仕立て上げることはしたくないものの、
日馬富士が慈善事業に熱心なことや、これまでの
振舞いが良かったことも、紛れもない、長年の事実では
あります。そして、その人物像は、上記の安美錦の弟弟子
というイメージには合致するけれど、どうも今回の事件の
「切れて後輩をボコボコにする」という行動パターンには
結びつかない気もします。
むしろ、本人が言っている「後輩を思って叱ったことが
行き過ぎてしまった」という行動と捉えたほうが、
単純に、人物像に一貫性がでるようにも思うのですが……。


ただ、怪我をした貴乃岩が、何も悪いことをしていないのに
一方的に殴られたと言っているらしいのですし、
貴乃花親方も、あまりに酷い怪我だったからこそ、
弟子を守るために、こういう行動を起こしたのですものね。
親方が、真っ直ぐで、曲がったことの嫌いな人なのは
過去の行動から見ても間違いないのですから。


怪我を負わされた弟子を守ろうとする、今回の貴乃花親方の
行動は勇気ある真っ当なものであることに疑いはありません。
ただ、公平を期するために、少し奇妙だと感じた部分や
辻褄が合わないと思うことも、ちゃんと書いておこうと思います。


今回起こしてしまった騒動は騒動として、日馬富士がこれまで、
問題を起こさない、ファンに愛される相撲を取ってきた
力士であったことを認めない、という世の風潮は、
個人的には奇妙に思います。


今回の不本意な引退を残念がったりしてはいけないでしょうか。
日馬富士の相撲や人柄が好きだった人が多くいることも、
これまで、彼が好青年であったことも、彼がこの騒動を
起こしたこと同様、事実として認めても良いはずです。


おそらくは、まだ事件の真相が100パーセントは明らかに
なっていない今の時点で、なぜ全く関係のない人々が、
逮捕しろ、追放しろと口汚く元横綱を罵れるのでしょうか。
それをしてしまっては、それこそ、「世論」は、自分たちが
揃って非難しているはずの「集団いじめ」を、実は
自分たちがしていることになりかねません。
そもそも、品格ある貴乃花親方が求める、真っ当な裁きとは、
こういうことなのでしょうか。「日本人の品格と礼節」を
支持する人々の行動とは、こういうものなのでしょうか。


個人的には、潔い相撲を取り、これまで努力家と呼ばれた、
力士の見本のようだった日馬富士の、
今回の不本意な引退は残念です。


先場所、満身創痍で優勝し、さあ、まだこれから、と
思っていたであろう横綱が、自らは良かれと思ってした
一つの過ちで、今は、引退を余儀なくされ、
取り調べを受ける身となり、しかも世間の人々には、
何を語っても隠蔽だ、口裏合わせだと疑われる。


もしかすると、彼は彼にとっての真実を語っているかもしれず、
今回のことは冤罪に近いようにも感じられると書きましたら
自らの信念に基づき、人として正しい行動を取っているだろう、
貴乃花親方を疑うことになってしまいますが、
それはこの文章の意図するところではありません。


何しろ、日馬富士本人が、マスコミ報道が出た時点で、
率直に殴ったことを認めているのですし、
これを受けて、せっかく暴力を追放しようという
機運が世に高まっているのですから、おそらくは、
このまま日馬富士は暴力事件を起こした力士として
書類送検され、真実が白日の下にさらされるのが
望ましいのだと思います。
せっかく、品格を失ってしまった相撲界に、
まっとうな品格を取り戻す絶好の機会なのですから。


ただ、個人的に幾つか、どうしても腑に落ちないことがあり、
いまさら、こんな所に書いても仕方がないのですが、
自らの頭の中をまとめる意味で、書いておこうと思います。


腑に落ちないことを、単純に言葉にいたしますと、
一連の事実の、一貫性のなさでしょうか。
この一貫性のなさを、一つ一つ見ていきますと、
今回の事件の印象がまた変わって見えるのかもしれません。
また、暴力をふるった側も、振るわれた側同様に
気の毒に思えてくるかもしれませんが、
不思議に思う部分を挙げてまとめたいだけで
決して理不尽な暴力を肯定するわけではありません。


さて、今回の一連の出来事ですが、下記のことが
個人的には腑に落ちないままです。


・怪我の程度とその後の行動の一貫性
・協会が「隠蔽していること」と「正当な裁き」の具体性のなさ


これらのことは、もしかすると、多くの人が心のどこかでは、
同様に感じているのかもしれません。


まずは、怪我の程度ですが、10/26未明に頭部に受傷。
受傷後すぐ(少なくとも数日中)に書かれたらしい、
1通目の診断書で軽傷、休場理由として提出された
2通目でも全治2週間程度との記述
(症状の記述については後で書きます)。
これが、本人のものだろうと言われている写真の裂傷の
ことだとしますと、見た目は衝撃的であるものの、
確かに全治10日前後の軽傷のようですので、
どちらの診断書にも矛盾はありません。


子供が頭をぶつけたくらいでも3~5ステープラー留め、
大人が転んで頭を割って10くらいのステープラー留めは
さほど珍しくもなく、入院も不要、翌日から頭を洗っても
よいくらいの怪我とも聞きますので、9~10ステープラー
留めるくらいの頭の裂傷は、見た目の衝撃に反して、
怪我の中では軽いもののようです。
その上、負傷者は「関取」ですから、感覚としてはさらに
軽傷と言えるかもしれません。


(先日、サッカーの岡崎選手が試合中頭を負傷しつつも
プレーを続け勝利に貢献し、試合後、9針縫ったという
ニュースを見ましたが、もしかすると、多くの人が、
頭を9針も縫うような怪我でも試合に出続けられるの?
と思ったのかもしれません。頭の「裂傷」というものは、
そういうもののようです。一般の人が9針という印象から
想像するものとは、随分異なるのではないかと思います)


これは、受傷直後に巡業に参加し、11月2日まで、8日間に亘り
通常通り、稽古、活動をしていた貴乃岩の行動とも合致します。
裂傷は頭部で、それが髷で隠れていますから、それ以外は
いたって綺麗な顔や体だった、実際の姿とも合致します。


傷が、写真の見た目や診断書の通り、10日前後で治るもの
だとしますと、2通目の診断書を書いた医師の「11/9の退院時
(受傷後約15日目)にはほぼ完治しており、九州場所への
出場は可能だった、重傷のように報道されて驚いている」
という言葉とも矛盾しません。
また「頑張って二桁勝利を目指したい」という、
11/2時点の本人の言葉や、元気な姿とも矛盾していません。


一貫性がなくなるのは、これ以降です。


11/5に貴乃岩関は入院。
11/9に退院。
11/10休場が発表される
11/12〜九州場所を休場
11/13に11/9付けの診断書が提出される。
その後、現在まで、貴乃岩の姿は公では見られていない。


裂傷は比較的すぐに治るとして、頭部への打撲があった場合は、
少し時間が経ってからでないと症状が現れないことがあると
言われますので、もし受傷後、無理をして通常通りの活動を
しており、急に症状が悪化しての入院だったとしますと、
すでに受傷して11日が経過してからの入院ですし、
しかも頭のことですから、病院でも慎重に調べるはずで、
もし休場しなければならないほどの容態であったならば、
なぜ医師は入院してたった4日後の
11/9に退院を許可したのでしょうか。


もし退院はさせたものの、様子見が必要で、できれば安静にし、
相撲は控えた方が良いという状態であるならば、
なぜ「当面運動は控え、安静にし様子を見る必要がある」
といった内容の診断書ではないのでしょうか。


もし、退院後、翌日までの間に、殴打された後遺症などで、
休場を決めなければならないほどに容態が悪化したならば、
なぜその後、すぐに病院に戻り治療を行っていない
様子なのでしょうか。頭部のことは危険であるにも
かかわらず、です。


さらに、2枚目の診断書の内容と、全治の予想期間が
不釣り合いであることが指摘されています。


書かれている内容(症状)が正しいとするならば、
受傷後8日間に亘り、通常通り稽古をすることなど
不可能に近いほどの重症とのことですが、
貴乃岩関は通常通りに巡業・稽古に参加しているという
紛れもない事実があるわけですから、記述されている
症状が、10/26に受けた暴行によるものと考えるのは
物理的に無理があります。


仮に、それほどの重症を不屈の精神力で極限まで我慢し、
限界が来て11/5に入院したのだ、といたしましても、
ならば入院した段階では、即手術、絶対安静というほどの
危険な状態で、それほどの重症のはずですから、
その後すぐ、11/9に医師が退院させるというのは、
辻褄が合わないようです。


であるならば、診断書を書いた医師の「症状はあくまで
疑いという程度で、全治期間も受傷してからの意味であり、
退院時には安定していた。後の経過によっては、
仕事復帰も可能な状態だった」という、
「全治期間」のほうが事実に近いと考える方が、
現実に沿った解釈としては矛盾が少ないように思います。


となりますと、なぜ貴乃岩関は、九州場所を休場しなければ
ならなかったのでしょう。そして、なぜ、今回の巡業も
休まざるを得ないのでしょう。相当具合が悪い、
と言われているのは何故なのでしょう。


先場所休場の理由は、貴乃花親方によると「診断書が全て」
とのことですが、その診断書を、こうして現実に即して
考えますと、上記のように、貴乃岩は場所には出ることが
出来る状態ではあったが休場を選んだ、と考えるのが、
もっとも実際の出来事との一貫性があるように思います。


少なくとも、10/26に受けた傷により休場を余儀なくされたと
断定できるだけの根拠は、あまりにも薄いように感じます。


そうでなければ、貴乃岩は、11/5の入院直前、
もしくは、11/9の退院以降に、10/26の受傷とは異なる
別の怪我を負い、それが理由で休場せざると得なかったと
考える方が、現実との整合性が取れるようにも思います。


また、上記のように解釈しますと、貴乃岩関が、
少なくとも11/12以降、公に姿を見せなくなったことの説明が、
一番つきやすくなってしまうのが、不本意なところです。


1) 10/26~11/2の間にはなかった傷が、現在はある


もしくは


2) 10/26に負った傷は比較的軽傷で、九州場所前には
ほぼ治った状態だった=休場すべき正当な理由がない


としますと、公に姿を見せたり、外部の聴取を受けたり
するのは、遅ければ遅いほど真実が分かりにくくなる、
とも考えられるのですから。


そもそも、貴乃花親方は正しいことをしている訳ですので、
きちんと正統の手続きを踏み、きちんとした診断書を出せば
良いのです。会見こそ開く必要はありませんが、ただ普通に、
きちんと日常の中で、貴乃岩関が人前に姿を見せることは、
何の問題もないはずです。また、被害者なのですから、
マスコミの過剰な取材を堂々と断る権利もあります。
協会による事実の隠蔽を恐れているのであれば、なおさら
メディアの前で、ごく自然に正当性を証明することに
デメリットがあるとは考えにくいのです。


現在の、曖昧な診断書のみを提出し、本人は公に一切
顔を見せず、怪我の程度も、親方と本人以外は
誰もわからないまま、という状態になっている
という事実は、正しい行いをしている人の起こす行動として、
一貫性があるようには感じられないのが、残念でなりません。


むしろ、現在、巷で糾弾されているように
「自らの暴行を隠蔽していた」というよりは、
11/2に警察から確認の連絡がくるまでは、巡業中に
同郷の後輩をきつく叱ったことがあったという認識だけで、
また、貴乃岩本人もその後、通常通り巡業に参加、かつ、
当人同士では和解していたために、それが問題になるとは
思ってもみなかった、という解釈ができる、
日馬富士の言動に一貫性があるようにも感じ、
ふと同情を禁じ得なくなることもあります。


もちろん、貴乃花親方の行動は、傷を負わされた弟子を
守るため、また真実をうやむやにさせないためにとった、
然るべき行動のはずですから、なおさら、行動と現実とに
一貫性がないことが不利になるのではないかと
つい案じてしまうのです。


怪我の程度とその後の行動・出来事の一貫性を
単純に追えば、貴乃岩関の休場・及び現在の深刻な容態の
直接的原因が、10/26の日馬富士関の「暴行」にあったとは、
考えにくくなってしまうものですから。


また、仮にこれから出てくる診断書が、実際の怪我ではなく
「精神的な疾患」に関わるような内容のものだとすれば、
またそれが、不必要に衝撃的な内容ものであるとするならば、
より一層、貴乃岩の九州場所休場の理由と、日馬富士
「暴行」との関連性はうやむやになってしまいます。


そうなりますと、真実を明らかにするどころか、むしろ
印象のみで物事は判断され、とにかく日馬富士が悪い、
という世論の流れが、容易に作られてしまうと思いますので、
事実を曖昧にしたまま、印象で世を扇動することを意図した
行動と取れないこともなくなってしまうのが、残念です。


さらに、貴乃岩の居場所を、過度に不要に隠し続ける
ことは、正しい事をしている側の取るべき態度とは
合致しにくくなり、故に、例えば、貴乃岩に、自身に不利な
発言をされないよう、現在、洗脳している可能性もある、等の
あらぬ疑いをかけられてしまう危険性もあるのですから。



次に、腑に落ちない事に、巷でまことしやかに囁かれている、
協会の「隠蔽」と、貴乃花親方が求める「正当な裁き」とが、
具体的に何を指すのか今ひとつはっきりしないことがあります。


10/26 受傷
10/29 被害届の提出
11/2 貴乃花部屋による表敬訪問
  ⇨この時点では、貴乃岩も元気な姿を見せ、場所への抱負を語っている
   同日、鳥取県警から協会へ連絡が入る
11/3 協会から該当両親方へ問い合わせ・両親方ともに分からないと回答
  ⇨貴乃花親方は、階段から落ちたと聞いている、と言ったとのこと
11/5~9 貴乃岩入院
11/10 取組編成会議・貴ノ岩の休場発表
11/11 親方から親方へ謝罪・理事会では話題に上がらなかった
11/12 場所開幕・貴乃岩休場
11/13 9日付の診断書が提出される
11/14 報道・横綱が怪我を負わせたことを認め謝罪・休場
  ⇨協会が捜査に着手


まず、「事件後、貴乃花親方は事情を知り、すぐに協会に
報告したが、協会が動かなかった為、激怒して警察に通報した。
故に、協会はこの時点で事件そのものを隠蔽しようとした」
という辺りが、近頃一般に想像されていることかと思いますが、
仮にそうだとしますと、親方の言葉そのものと矛盾してしまいます。


貴乃花親方自身が、「私が最初隠していた本人から傷口を見て、
早期に行動を起こしたというまでです。現状は警察の、鳥取警察署に
まずご相談をして、そこからすぐに県警へとあがったという次第です。
地元の警察の方々も、私の意向、意思を汲んでくださり、捜査をして
くださっております。その捜査状況も私は知らなくて当たり前ですが、
存じ上げません」と言っている訳ですから、被害届を出した時点では、
具体的に何が起こったのかは把握しておらず、それ故に警察に捜査を
依頼した、ということではないでしょうか。


で、理由が何であれ、彼の信念に基づき、協会には報告をしなかった。
捜査が進む中で、警察が協会に連絡、協会から確認の連絡があって、
貴乃岩を問いただしたところ、横綱に殴打されたことによる
怪我だったと打ち明けられた、といたしますと、不可解と言われた
貴乃花親方の行動も、まったく不可解ではなくなります。


貴乃花親方自身が事の真相を知ったのも、協会から連絡があった
11/3と考えますと、それを受けての、大事を見ての11/5の入院だった
ということも腑に落ちますし、貴乃岩の兄という人の
「親方が入院を勧めてくれた」という言葉とも合致します。
表敬訪問の際の貴乃花親方の比較的穏やかな表情とも
矛盾しないようです。ですから、当然、協会もこの時点までは
知らなかった、と考えるのが最も現実に即しているように思います。


となりますと、ここまで、協会の発表している事実関係に矛盾はなく
むしろ隠蔽できることすらないように思います。11/3までは、
親方・協会は詳細を知らず、当事者たちの間では、貴乃岩も含め、
誰もその出来事を特別なこととは思っていなかった、というのが
実際の出来事の解釈としては最も矛盾がないように感じます。
(暴力に対する感覚の違いについては後述します)


ですから、もしも、親方と協会の間に、何らかの食い違いが
出てきたのだとすると、11/3以降のことで、主に
横綱が酒席で平幕に怪我を負わせた」ことの認識の違いを
巡る対立、と考えるのが矛盾が少なそうです。


例えば、貴乃花親方にしてみますと、これは暴行ですから、
きちんと公にして処罰してほしい、というような反応でしょうし、
協会にしてみれば、少々過ぎたが、本人同士が和解しているし、
後輩指導の範囲内、厳重注意で済ませることではないか、
となるのではないでしょうか。一般の感覚では、親方が正しく、
協会が隠蔽体質だ、と思われる理由も、ここですね。


ですが、もしそこですでに明確な対立があったとしますと、
11/3の警察連絡から、11/13に診断書が提出されるまでの間、


・警察に被害届が出されているような事態で、
・さらに11/10には、貴乃岩が休場することも認識していた


にも関わらず、協会が事態を重く見ていなかったのは、
なぜなのでしょう。


貴乃花親方が「正当な裁き」を協会に求め続け、それを
協会が無視(隠蔽)していたのならば、14日の協会の
右往左往ぶりは説明が付きません。協会の対応は、まさに
寝耳に水、という説明がしっくりくるような混乱ぶりでした。


ということは、貴乃花親方側が、協会に対して
「正当な裁き」の要求はしていなかったのでしょうし、
実際、それは、その後の「警察に捜査を一任してある」と
協会の捜査協力を頑なに断っている態度とも一致します。


ですから、協会には隠蔽するだけの情報も危機感もなく
(それはそれで問題ですが)、目的が正しいものであれ
貴乃花親方の方が、協会に対し何事かを隠していた、
と考える方が、現実の出来事との矛盾は少なそうです。


また、親方の求める「正当な裁き」の意味するところですが、
暴行に至った経緯・理由・背景などの捜査を、
頑なに警察に任せているわけですから、まずは
「10/26に、稽古場以外で、日馬富士関が、
全治10日前後の傷を、貴乃岩関に負わせた」
という行為そのものを、因果関係を含めて、客観的な視点で
調べて欲しい、ということになるかと思います。


で、です。
現在騒がれている「忖度」や「背景」「確執」辺りの推測は
置いておきまして、まず単純に「全治10日前後の裂傷」が
出来た状況の説明として、最も矛盾がないように感じるものは、
実は、「後輩への指導が行き過ぎた」ではないかと思います。


「何か」を「許せない」と捉えた日馬富士が、なんだその態度は、
となった、と。双方の「何か」に対する「認識」が、おそらく
異なった訳ですから、当然、一方は、礼を著しく失したから殴った、
となるでしょうし、もう一方は、何も悪いことはしていないのに
突然殴られた、となるはずです。


周囲の感覚は、ああ、横綱を怒らせたな、だったのでは
ないかと思います。また、良い悪いは別として、
殴る行為そのものが、相撲の世界で珍しいことではなかった
としますと、その場にいた他の力士たちが、
血が流れるのを見て止めに入った、ということの意味合いも、
また違ってくるのではないでしょうか。
血が流れるまで黙って見ていた、ではなくて、
行きすぎになる前に止めた、のではないかと思います。


一般の人の感覚では、それが「珍しい事ではない」ことが、
すでに相撲界おかしい、となるのでしょうが、
どちらにしても、何だその態度は、と叱ったことが、
行き過ぎてしまった、というのが、「打撲以上の傷、
軽度の裂傷」を負わせてしまったことの説明としては、
もっとも矛盾がなさそうです。


逆に、現在、巷で騒がれているような「怒りに我を忘れた
壮絶リンチ」や「見せしめのためのリンチ」が、
横綱」によって無抵抗の相手に行われたとしますと、
相手もまた力士であるとはいえ、全治10日程度の軽傷で
済むはずがなく、それこそ2枚目の診断書に書かれていた
ような結果となっていたはずですが、上記に解説したように、
そのような重傷を負ったと考えるには、単純に、
実際の貴乃岩の受傷直後の姿・行動との矛盾点が多すぎます。


むしろ、我を忘れて壮絶リンチをした結果が、全治10日程度の
怪我なのだとすれば、横綱の力士としての力を疑ってしまいます。


ともかく、日馬富士関の咎は、稽古以外の場で、
同郷とはいえ、他部屋の力士に怪我を負わせたことであり、
これは本人が認め謝罪しています。ですが、
その怪我自体は、上記に書きましたように比較的軽傷で、
場所が始まる頃には、ほぼ完治していたと考えるだけの
状況的な事実があるように思います。また、何よりも
本人同士が和解していた、との証言があるようで、
これも、11/3までの、本人たちの態度とも合致します。


さらに、日馬富士は、社会的制裁を受け、引退をしているわけ
ですから、負わせた傷に対する罰としては、すでに十分である
ようにも思います。この場合、被害届を取り下げ、示談と
することも可能なはずですが、少なくとも親方はこれを
拒否している訳ですから、親方の望む「正当な裁き」とは、
裁判にまで持ち込み、日馬富士を刑事的に裁く事、と
なるのでしょうか。


もしくは「正当な裁き」の意味するところが、今回の事件の
背景を詳らかにすることで、自らが長年疑惑を抱いてきた
モンゴル力士の八百長行為を白日の下に晒させること
だったと仮定しますと、日馬富士の引退後、前々から
準備されていたもののように溢れ出てきた、白鵬への
八百長疑惑やバッシングに、妙に納得できるところもあり、
残念に思えてなりません。それと、この「暴行事件」への
裁きとは、まったく別の問題なわけですから。


おそらく親方の意図するところではないものの、
マスコミ報道の出方が、やはり理事選を控えた2010年の
元朝青龍関の暴行疑惑が出た時と似ているように
見えてしまうことも、不本意なことと思います。


また、こういったことから鑑みると、貴乃岩の休場は、
怪我が理由なのではなく、それがどのようなものかは
本人のみぞ知るわけですが、貴乃花親方の強い「信念」
による、協会への抗議のボイコットだったと考えるのが
矛盾がないようにも感じます。「真っ直ぐで一本気で、
こうと思ったことを曲げない」と評される人物のこと
ですから、納得がいく行動と言えるかもしれません。


ただ、その頑なな態度が、
「自分が学んできた日本の相撲界の慣習」の
範囲内で行動した、とも考えられる日馬富士に、
「暴力リンチ横綱」という、おそらくは真実ではない
レッテルを張った上で、引退に追い込むことに
繋がっています。


日馬富士咎めるのであれば、そもそも、その行動が
問題視されてこなかった、相撲界の風習・常識の是非を
公平な立場から問わなければならないはずですが、
結果として、親方の行動はそういう結果へは
(少なくとも今は)繋がっていないようです。
今のやり方では、相撲界の「悪しき」風習を、すべて
モンゴル人力士たちの持ち込んだ「非常識」として
すり替え、彼らに罪をなすりつける、という方向に
向かっているようにも感じます。



何よりも、受傷の理由や怪我の程度がどうであったにせよ、
殴られた貴乃岩もモンゴルの男です。たったそれだけの
傷のことで、親方に守って貰いたかったでしょうか。
親方に真相を話さなかったのは、先輩たちに脅されていた故
なのでしょうか。そんな意気地無しが、怪我を隠して
巡業を続けるものでしょうか。先輩から理不尽な扱いを
受けたなら、甘んじて受け、むしろ、土俵の上で正々堂々と
自分を痛めつけた横綱たちを打ち負かしてやろうと
意気込んではいなかったでしょうか。そもそも、それが、
貴乃花親方自身の理想とする力士像ではないのでしょうか。


モンゴルの男として、おそらくは日本とは感覚の異なる母国で、
「リンチを受け、それに甘んじ、先輩が怖くて親方にも言えず、
真相がバレてからは、ひたすら親方に守ってもらうような奴」と、
「しかも、自分を殴った相手を、正々堂々と土俵上で殴り返すのではなく、
マスコミを使って、引退に追い込むような情けない手を使う奴」と、
思われてしまうかもしれないことを、本当に望んだのでしょうか。
本当に、親方と本人の意思は一致しているのでしょうか。


貴乃花親方の尊いであろう信念が、貴乃岩の未来を奪うような
結果になっては本末転倒ですが、実際、親方の頑なな態度は、
貴乃岩関から九州場所を奪い、現在と未来をも
奪いつつあるのではないでしょうか。


また、もし、本当に現在も相当具合が悪いのであれば、
せっかく症状が悪化して間もないだろう時に入院し、
きちんと調べただろうにもかかわらず、ちゃんとした
処置をせず、退院を許可した医師にも責任の一旦がありますし、
何よりも、体調がより悪化したと考えられる11/9の退院以降、
正式な治療をさせていないとすると、それこそ、
日馬富士が怪我を負わせたこと同様、もしくは
それ以上に、大きな人道的問題です。


もし、よくわからない精神疾患などを理由に、貴乃岩を
公に出すことを拒否し続けますと、その理由が、
もしかして別の怪我が原因なのではないかという疑念や
それを隠すために病院にも行かせられない状態なのではないか
といった、あらぬ憶測を呼びかねません。また、ここまで
頑なな態度を続けますと、一本気で曲がったことが嫌いな
性質ゆえに、真実を知った折、弟子に嘘をつかれていたことに
激昂し、徹底的に痛めつける、といったような行動を取りかねない、
と勘ぐられてしまいかねません。もちろん、仮にそうだとしても、
これは、日馬富士とは異なり「正統な理由と真っ当な信念の下に、
親方が弟子に行った指導」なのでしょうから、隠すことなく堂々と
病院に行き、加療すれば良いことです。仮に、それを隠し、
日馬富士の暴行に仕立てあげようとしているのであれば、
大きな問題ですが、そうであるわけがないのですから。


と、頭に浮かぶまま、長々と書き綴ってきましたが、
もしかすると、皆さんが同様にどこか腑に落ちないと感じている
ことを、言葉にしただけかもしれません。


貴乃花親方の、真っ直ぐな信念が、決して誤った方向に
向かっていませんように、と願いつつ。



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<追記>

現在、白鵬を黒幕として断罪し、あまりに激しい白鵬へのバッシングが
あるようですので、試しに、今、横綱が叩かれている事柄を、あえて
すべて真逆に解釈してみようかという気になりました。
事実の見え方は、見る人の視点によって、容易く変わるものですし。
ただし、あくまで個人的な解釈遊びですので、ご了承ください。


*上記(・部分)が現在の一般的バッシング、
下記(→部分)が100%白鵬寄りの解釈です。


・貴乃岩は八百長に加担することなく、白鵬に真っ当な勝負を
挑んで勝ち、稀勢の里の優勝と横綱昇進を後押しすることになった。
・貴乃岩は、真剣勝負で白鵬に勝った、自分は八百長はやらないと
豪語した。
・故に、白鵬に恨まれ、星の回し合いに加わらない裏切り者として、
モンゴル勢から、制裁を受けた。
・モンゴル会の八百長のことを公にはできないため、皆、
真実を話していない。


 →白鵬は、日本人横綱を誕生させる為に、稀勢の里に優勝を譲る事を
 協会から頼まれ、八百長相撲をした。せっかくならば、同郷の力士に
 花をもたせてあげたいと、わざと貴乃岩に負けた。故に、ガチンコと
 言われている貴乃岩との一戦こそ、白鵬の行った八百長取組の
 一つだった。


 →貴乃岩は、それを知らず、親方の信じる「白鵬八百長相撲を
 している」という言葉を頑なに信じており、俺は勝った、と
 豪語していたため、白鵬日馬富士が腹に据えかねて注意。


 →白鵬が協会に頼まれて八百長相撲に加担したこと、
 その葛藤を知っている日馬富士が、貴乃岩の、白鵬
 ないがしろにする態度に怒る。そんな中、売り言葉に
 買い言葉で、あなたも八百長横綱にさせて
 もらったんだろうと言われ激怒。
 =相撲協会の一員である限り、真実はとても話せない。


・モンゴル力士たちは重要な取組で白鵬に星を譲ったり
 している。白鵬の優勝回数はその賜物で、真の記録ではない。


 →協会から頼まれて幾つかの八百長相撲をした他、
 同郷の力士への情相撲をした事はある。
 →モンゴル力士への厳しい判定も多く、そうでなければ、
 優勝回数はもっと多いかもしれない。
 →むしろモンゴル力士相手にこそ、同国人トップの誇りもあり
 真剣勝負をしてきた。モンゴル人同士ゆえに、モンゴル相撲的な
 取組になってしまうため、日本の相撲ファンには動きが
 不自然に見える事もあるが、モンゴル相撲を見ると、何となく
 その違いが見え、真剣勝負であることがわかる。
 こと、実力が近い白鵬日馬富士の対戦で顕著。


白鵬の相撲にも行動にも、横綱の品格がない。真の横綱とは言えない。


 →2014年頃を境に、それまで品行方正で日本人以上の品格が
 あるとされてきた白鵬の態度が変わった。
 →朝青龍の引退後、一人で寡黙に相撲界を牽引してきたにも関わらず、
 正当に評価されず、華がない、つまらない、いっそヒールになったほうが
 もっと相撲人気が出るんじゃない、等の心ない事を言われてきた。
 →モンゴル勢への主に判定・昇進等への差別は存在するが、親方が
 協会内の序列の低い立場の人物だったこともあり、守られる事なく
 一人で差別の矢面に立ってきた。
 →品格がないとされる相撲や態度の中には、現在、品格の塊のように
 美化されている過去の横綱たちにも見られていたことがある。
 →審判判断などで、よほど腹に据えかねる差別があり、
 横綱の品格云々の前に、相撲界そのものが他国の力士に
 敬意を表さないことに、嫌気がさした部分もある。


嘉風との取組での態度が前代未聞の醜態


 →協会は「手つき」がきちんとできていないと、立ち合いの成立は
 認めないとし、実際モンゴル人力士たちは厳しく注意を受けてきた。
 →「行事待った」を無視して相撲を続ける事は品格にかけると
 注意を受けた事があった。
 →白鵬は行事が「待った」と言ったと思った。自分の手つきが不十分
 だったので、待ったをかけられたと思って止まったが、相手が
 相撲を止めなかったので、行事を見て確認している間に押し切られた。
 →行事の式守伊之助は誤審が多いとも言われている。
 行事の質が下がったとも言われるが、今件も、
 「残った」の滑舌が悪く「待った」と聞こえたと思われる。
 →こんな中途半端な相撲では、お客さんに申し訳ないと思い、
 審判団の一貫性のある判断・良識を待った。
 →以前にも、琴奨菊日馬富士の一戦で、琴奨菊の手つきが
 不十分だったが見逃され、それに気づいて相撲を止めた
 日馬富士が寄り切られて負けている。


・万歳三唱が品格がない


 →かつて(2013年?)稀勢の里白鵬に勝った際、観客が万歳三唱を
 煽った。観客の品がないとも言われたが、強い白鵬に勝った喜びを
 表して何がいけないのか、という肯定意見が多かった
 →「40回優勝」という偉業をやってのけた直後で、
 しかも、自分は自分の力で真っ当に戦ってきた自負もある。
 その特別な折に、喜びを観客とともに祝おうとして行ったことを、
 品格にかけると罵るのは日本人側のダブル・スタンダード
 ようにも思う。

 
・モンゴル人に、伝統ある日本の神事、相撲は理解できない。
 よって品格など望むべくもない。


 →そもそもモンゴル相撲も二千年を超える伝統を持つ格闘技で
 奉納儀式(神技)。その大横綱の息子が、他国の伝統の重さと
 格式を理解できないはずがない。実際、長期に亘り品行方正だった。
 →モンゴル人力士に対して、あまりに露骨な差別をしておいて
 「日本相撲の品格」と言われても説得力がなく感じる部分もある。
 →それでも、きちんと横綱の勤めを果たしている。


・協会や親方、審判団などに、現役の力士が意見するなど、
 あってはならない。

 
 →黙って耐えてきてはいるが、あまりにも露骨な自分、または
 モンゴル人力士への嫌がらせ、理不尽な判定が、長い間あった。
 →品格云々と言われるが、求められることに応えるたびに、次は
 真逆の要求を出されるなど、「苦言」に一貫性はなかった。
 →協会も親方もそれに対し無力で、有効な対策はとってくれず、
 腹に据えかねて、自らの身を守るために意見をするようになった。


・自分は神かと勘違いしているような傲慢な態度。協会は、白鵬
悪行に対し処罰を課さず、人気者にやらせたい放題でいいなり。


 →日本人には、総じて立場の上のものに服従する性質があるため、
 公平に扱ってくれる人も、公平に戒めてくれる人もいなくなって
 久しい。
 →それでも、バッシングされているほど勘違いをした
 傲慢な行動をとっているわけでもない。「何をしても
 叩かれる」類のバッシングであることも多い。
 →そもそも「印象」で悪い事をしてるように疑われているだけで、
 現実には処罰の対象になるようなことはしていないため、
 協会も処罰のしようがない。


そういえば、勝手で横暴で暴力的な人物としてのイメージが
定着している元朝青龍ですが、「横綱の品格」云々を除けば、
ちゃんと協会の一員としてルールを守っていた人物だと
いうことを、意外に思う人は多いのではないでしょうか。
マスコミの印象作りというのは怖いものです。



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