「リチャード三世」

時間に追われるうちに、いつの間にか世は春に……。


今日、強風の中、散歩に出かけたら、桜も終わりに近づいていて
驚きました。先月末は、まだ雪だらけの北海道にいたこともあり、
どうも冬の気分が抜けきれないのですが、時間はまったく容赦なく
どんどん流れていきますね。今年もあっという間に終わりそうで、
何だか恐ろしいですが(笑)、皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。



ええと、今回はですね、リチャード三世について書いてみようと思います。
「……誰?」という方もいるかしら。
中世最後のイングランド王といわれる人物です。
シェイクスピアの歴史劇で扱われている王の一人で、歴史上の人物
としてよりも、この芝居のキャラクターとして有名かもしれません。
日本でもニュースになりましたが、実は、今年二月、この王の
失われていた遺骨が見つかり、英国では大きな話題となっています。


そんな訳で(……どんな訳?)、今話題の「リチャード三世」を、
という依頼を受け、先月公演を行ったのですが、ついでに、ここに
リチャード三世に纏わる、愉快な事実を書いておこうと思いつきました。
何しろ中世英国の王家、骨肉の権力争いという、素敵で大仰で、
しかも流血と浪漫に満ちた華やかなトピックですので、
興味のある方がないとも限りません(笑)。



では早速。ええとですね、ご存じの方も多いと思いますが、一般に
リチャード三世は、英国史上最も非道な王と言われています。
以前、この裏ブログでも少しだけ触れましたが、シェイクスピア芝居
でも、兄、幼い甥二人、政敵の有力貴族や従兄、妻をサクサク殺した、
清々しいほど間違いない悪人として描かれています。


が、もともと、シェイクスピアの「歴史劇」というのは、大まかな
流れこそ合っているものの、実はかなりフィクション色が濃く、
史実とは異なる部分がとても多いのですね。歴史を扱うとはいえ、
あくまで台本として劇的に面白くなるよう書いていたはずですし、
何しろ当時は、歴史上の人物の子孫が自分のパトロンや時の有力者、
という場合がありましたから、そこはもう、色々と配慮をして
色々と脚色したりする事もあったようです。


で、「リチャード三世」は、近年、そういう政治的な「配慮」具合が
高かった作品として認識されています。一部では既に有名なのですが、
実際のリチャード三世は、芝居中の悪人イメージとは対照的に、
敬虔なクリスチャンかつ賢王で、しかも勇敢な戦士だったそうなのですね。



ええと、なぜそんなイメージのすり替えが行われたかに触れる前に、
リチャード三世に係わる歴史的背景をざっくりと説明しますね。



薔薇戦争」という言葉を聞いた事がありますでしょうか。
中世イングランド王家の権力争いの総称ですが、大雑把に言いますと、
とある王の五人の息子のうち、
‐三男の直系男子の血筋
‐次男の直系女子が四男の直系男子と結婚して出来た血筋
の、どちらが正統か、を争った戦いです。


上記を、ごく無意味に具体名を入れ説明しますと、エドワード三世の
第一子エドワード黒太子の息子リチャード二世を殺して王位についた
第三子ジョンの息子ヘンリー四世から続くランカスター家(赤薔薇)と、
第二子ライオネルの娘フィリパの息子で、かつ、殺されたリチャード二世の
後継者でもあったロジャー・モーティマの娘アンと第四子エドマンドの
息子リチャードが結婚して生まれた息子リチャード・プランタジェネット
から続くヨーク家(白薔薇)の争いです(笑)。



さらに、ごく無意味に具体的形容をつけ説明しますと、ランカスター家の祖
ヘンリー四世の息子のヘンリー五世の息子である、優柔不断な
ヘンリー六世にですね、ヨーク家の祖リチャード・プランタジェネットが、
自らの正統な王位継承権を認めるよう要求したのが、薔薇戦争の始まり。
で、リチャード・プランタジェネットの要求を受け入れ、自分の死後に
王位を譲ることを誓った平和主義者ヘンリー六世を無視し、好戦的な妃
マーガレットが、自らの息子エドワード(父親候補複数あり)の王位
継承権を守る為に、ヨーク家側に戦いを挑んだのが、薔薇戦争泥沼化の
始まり、と。……いつの時代も、間違いなく、女は恐ろしいのです。



さらに、その後、色々戦闘があってですね、両軍色々重要人物が死に、
最終的にはヨーク家の勝利で、薔薇戦争は一応の決着をみます。
で、リチャード・プランタジェネットの長男エドワードが四世として
戴冠。今、話題のリチャード三世は、このエドワード四世の弟です。



と、ここまでがリチャード三世の時代に至るまでの歴史的背景ですが、
……ついでに、このままサクサクとその後の出来事の説明も
続けてしまいます(笑)。


エドワード四世は、二人の息子、12歳のエドワードと9歳のリチャード
を残し、急逝します。その後、エドワードが五世として王位につくことに
なりますが、その戴冠式の前にですね、後見人であるはずの
叔父グロスター公リチャードが、この少年王を弟共々ロンドン塔に
閉じ込め、自らが三世として、さっさと王位についてしまいます。


後に、ロンドン塔の若い王子二人が謎の失踪を遂げると、
「どうやら叔父に殺されたらしい」との噂が広がり、民心は
リチャード三世から離れた、と言われています。そんな中、
「ランカスター家最後の王位継承権を持つ男子」ヘンリー・チューダーが現れ、
「あんた人気無いから、俺に王位よこせばいいよ」と亡命先のフランスから
イングランドに攻め込んできます。そして、「ボズワース平原の戦い」と
呼ばれる戦いで、リチャード三世率いるイングランド軍を敗り、
七世として戴冠、めでたくチューダー王朝を開くに至るのですね。



さらに続けますと、その七世の息子が、六人の妻で有名なヘンリー八世、
その息子が「王子と乞食」のモデルとなった病弱なエドワード六世。
その後王位は、9日間ほど、「誰?」と誰からも言われたジェーン・
グレイへと渡った後、エドワード五世の腹違いの姉、今もカクテル名
として有名な「ブラッディ・メアリー」メアリー一世を経て、
メアリーの腹違いの妹、大英帝国の基礎を築いたエリザベス一世へと
受け継がれていく訳です。……情報過多ですね(笑)。ともかく、
シェイクスピアが活躍したのは、このエリザベス一世時代の後期です。



で、ここで、リチャード三世の「悪人イメージ」が作られた理由に戻ります。


ずばり、リチャード三世を殺して王位についたヘンリー・チューダーの
「王位継承権」が、かなり胡散臭いものだったからなのですね。


正統な王(リチャード三世)から力づくで王位を奪ったという方が
むしろ正しいくらいで、故に、チューダー王たちは、リチャード三世を
暴君に仕立て上げ、「暴君から国を救った君主」となる事で、
自らの正当化を図ろうとしたようです。
で、国を挙げて、歴史を書き換えたと。ので、チューダー期に書かれた
リチャード三世の伝記は、かなり公平性を欠いている、という訳ですね。


ちなみに、チューダー家は、歴史を捏造するのではなく、
巧みに「事実」を歪曲解釈し誇張したようです。
リチャード三世は、確かに、兄エドワード四世の死後、甥二人を
ロンドン塔に送り、また王子たちの母方の一族を処刑し、
自らが王位に付く為の障害を打算的に排除したそうなのですが、
その動機が、芝居に描かれているような極悪な権力欲だったかどうかには
疑問符がつき、「ロンドン塔の王子たち」を本当に殺害したかどうかは、
実にところ、はっきりしないのです。



当時の宮廷の、裏の人物関係・権力争いは、想像以上に複雑で、
エドワード四世の妃の一族が、分不相応に権勢をふるっていたり、
(しかも幼いエドワード五世に対して強い影響力があった)
エドワード四世の出生に関するスキャンダルがあったりして
(母の不貞による子で、実は王位継承権は無かった……?)、
もしかすると、リチャード三世こそ、もっとも純粋に、国と、
父リチャード・プランタジェネットの名誉と、ヨーク家の正統な
権利の為に、尽くそうと試みた王だったのかもしれません。


が、真面目すぎて裏切られ、陥れられた、という感じでしょうか。


また、今回の遺骨発見で、リチャード三世は側湾症だったことが
分かっています。その身体的特徴も悪人のイメージ作りには
役に立ったようで、積極的に誇張して伝えられた結果、
リチャード三世は、曲がった背、肩の瘤、萎えた手、引きずる足を
持つ人物となった訳です。しかも、王家に残る肖像画には、
そういった不具が、描き足されていたそう。


ので、リチャード三世は、死後、一連の出来事の全責任を押し付けられ、
「悪人」に仕立て上げられたというのが、どうやら真実に近いようです。




ちなみに、どこからともなく現れた印象の、胡散臭いヘンリー・チューダー
ですが、実は、ヘンリー六世の甥‐父親違いの弟の息子‐です。
ヘンリー五世の未亡人が、ウェールズの戦士と結婚してできた息子の息子で、
歴史の表舞台には出てこない母方の影響が大きかったことが想像できますね。


しかも、ヘンリー・チューダー自身の王位継承権の根拠となっているのも
母親で、これがヘンリー四世の腹違いの弟から続く家の出身。
とてもプライドの高い女性だったらしく、この人物が、
息子を王位につける為に、色々と画策し、有力貴族を寝返らせた事が、
ボズワース平原の戦いでの勝利に繋がったとか繋がらないとか。
真実は闇の中ですが、リチャード三世は、死ぬ間際の戦闘で、
背信、裏切り者ども!」と叫んだと伝えられていて、王が有力貴族の
裏切りに合い敗れた事は、当時からよく知れ渡っていたようです。
……いつの時代も、間違いなく、女は恐ろしいのです。



と、結論?が出たところで(笑)、芝居「リチャード三世」に話を戻しますね。


シェイクスピアは、チューダー期に活躍した人物ですので、当然、
「リチャード三世」はチューダーの歴史書に沿った悪人となっている
訳ですが、よくよく台詞を読み込んでいくと、どうも当時から、
真実は議論の的となっていたらしいことが窺い知れます。


さらに、シェイクスピア自身が、リチャード三世を悪人と
認めていたかどうかも微妙なところで、リチャード三世の正当性を
示唆するような台詞が巧みに組み込まれていますし、最後の戦闘も
死に様も、意外なほど英雄的に描かれています。
(上演ではカットされる事が多いのですけれど……)


ですので、個人的には、史実そのものや、政治的な後世の裏事情を
全てひっくるめて出来あがったキャラクターという気がするのですね。



また、「リチャード三世」の執筆当時、シェイクスピア
まだまだ売り出し中だった可能性が高く、同じく売り出し中の
仲間の主演俳優リチャード・バーベッジの為に、大衆受けする、
白黒はっきりした魅力的な悪人の悲劇を書き上げた、
とも言われているそう。



いずれにしても、シェイクスピアの描いた「リチャード三世」は、
「悪人」ではなく、「清々しい程間違いない『架空の』悪人」と思うのですね。
そして、リチャードの台詞の音が持つ質も、驚くほど軽やか。
で、そのけろりとした「作り物」に、役者ごとに違った血肉が
与えられるのを見るのが、個人的にはリチャード三世を見る醍醐味です。



なので、このキャラクターを「異常な心理状態の、自己嫌悪と
自己愛と、密かな罪悪感に満ちた複雑な」人物として扱い、
芝居そのものを、「悪人と呼ばれた男の内面を探る」心理劇ふうに
仕立て上げることには、どうも違和感を覚えてしまうのですが、
総じて、米国では、その傾向があるかしら……。
(ごく独断的な意見です(笑)。)
やはり、あくまで主役は歴史であってほしいのですよね。
日本ではどうなのかしら。



……何だか、何が書きたかったのか分からなくなってまいりました。
ええとですね、結論として、史実を歪曲しても、結局真実は残る、
という辺りでいかがかしら(笑)。



最後に、ロンドン塔の王子の一人、エドワード皇太子のこんな台詞を
紹介して、今回もさっさと書き逃げをいたします(笑):



   Methinks the truth should live from age to age,
   As 'twere retailed to all posterity,
   Even to the general ending day.
   (ざっくりとした意訳:真実はね、これから生まれてくる人々が
   皆、次々と語り継いでいって、やっぱり、この世が終わるまで
   ずっとずっと生き続けていくのじゃないかしら)




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